『酸素は鏡に映らない』上遠野浩平(講談社ミステリーランド)★☆☆☆☆

 古典的ライトノベルは小説ではなくサブカルの一分野である、というのがわたしの持論です。表面的なことで言えば、アニメのノベライズが同じ棚に並んでいて違和感がないのは同じジャンルに属するからだと思うのです。

 ――と、いうわけで、ベタで古くさいアニメ〜ラノベに連なる特徴として、キャラ立ち・セリフ萌え・名文句の多発・独特の間・説明臭さ……あたりが挙げられるでしょうか。

 キャラ立ちは説明不要ですね。最近はキャラ萌えの手法を導入した小説も増えています。映画のカットバック手法を取り入れた小説が当たり前のようになったのと同じく、これからこういう小説作品は増えていくことでしょう。作家が自覚的なのであれば、これはいい兆候だと思います。

 セリフ萌え・名文句の多発はひとまとめにしてもいいでしょう。登場人物のセリフか地の文かの違いですから。名ゼリフ自体は悪くないのですが、まったく場違いなところで多発するのが特徴です。タイミングを外せば名ゼリフもただの戯れ言です。ところが、下手な鉄砲も何とやら――稀に本当の名セリフも混じっているから油断できません。

 独特の間。わかりやすい例だと、宮崎アニメの「笑う前に顔を見合わせて一拍おいて笑いがはじける」の法則が挙げられます。わたしは宮崎アニメの大笑いシーンを観るたび、背筋がすっと冷えるサムザムとした気持になるのですが、なぜかアニメではこうした独特の間というものが重宝されています。磨けば歌舞伎の型のようなものに昇華されるでしょう。

 説明臭さは、アニメやラノベに限らず、最近のエンターテインメント全般によく見られる傾向です。これだけはわたしは我慢できません。説明で済むなら創作ではなくハウツー本でも読んでいます。ところがどうやら世の中には、創作にハウツーを求めている人もいるようなのです。

 あらすじも↓こんな風に自己啓発(^_^;である。

 「それはどこにでもある、ありふれた酸素のようなものだ。もしも、それを踏みにじることを恐れなければ、君もまた世界の支配者になれる――」ひとけのない公園で、奇妙な男オキシジェンが少年に語るとき、その裏に隠されているのはなんでしょうか? 宝物の金貨のありか? 未来への鍵? それともなにもかもを台無しにしてしまう禁断の、邪悪な扉でしょうか? ちょっと寂しい姉弟と、ヒーローくずれの男が巡り会い“ゴーシュ”の秘宝を探し求めて不思議な冒険をする、これは鏡に映った姿のように、あるけれどもなくて、ないけれどもある、どうでもいいけど大切ななにかについての物語です――あなたは、鏡をどういう風に見ていますか?(裏表紙あらすじより)
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