『時間割』ミシェル・ビュトール/清水徹訳(河出文庫)★★★★☆

 『L'emploi du temps』Michel Butor,1956年。

 『時間割』というタイトルとは裏腹に、第一部を読み始めて感じるのは、時間ではなく空間、語り手が道に迷うシーンでした。いえ、第一部とは道に迷う話であると言ってもいいくらいに、迷ってばかりです。外国人が初めての町で道に迷うのは当然ではあるのですが、ここまで徹底していると半ばギャグ、半ば迷宮。日記による回想という形式も相まってか、迷ってるくせに妙に細部に詳しく緻密なので、未知の不安というよりは迷路で楽しんで迷っているような、不思議な印象を受けました。

 第二部に入ると回想録から一転、現在の日記に。去年の10月から現在6月のあいだに起こったことについては当然ながら書かれていないため、読んでいる方としても戸惑わざるを得ません。第一部では道に迷う快さみたいなものを楽しめたのですが、ここではもやもやとした不安・不快感だけが残りました。やがて現在の日記に混じって再び過去の回想も現れるのですが、すべてにおいて“あの出来事が起こるまえの云々……”といった調子で思わせぶりばかりが続くので、はっきり言ってうんざり、退屈の感は否めません。作中作の『ブレストンの暗殺』についても、実際のストーリーははっきりと書かれないので断片的に想像するしかありません。ここは我慢の章でした。

 第三部。まずは冒頭で、現在と回想を規則正しく交互に記した「秩序」について断わりがあり、その理由についても後半で明かされました。作中の作家による探偵小説論なども語られます。ここは前章以上に過去に行ったり戻ったり、果ては回想の中でさらに過去の回想をしてたりして、ややこしいのですが、神話とか暗合とか探偵小説論とか事件とか、徐々に何かが明らかになって来たらしいので、一つ一つの挿話をいらいらせずに読むことができました。複雑な時間軸を、表を確認しながら鹿爪らしく読むのもいいですが、極端な話、時間軸を無視して読んだとしても、時間軸は飛び飛びのくせして、ポストモダンのようなエピソードの羅列ではなく物語の流れ(意識の流れ?)としては一貫性があるので、気にせずだらだらと読んでいても飽きることはありません。

 第四部は「姉妹」という題名からもわかるとおり、アンとローズに揺れる語り手の未練たらたらが、通俗恋愛小説風に語られています。ここはいいですね。通俗も通俗、めろめろで(^_^;。そしてそれと同時に、いよいよもって語り手の精神状態が危うくなってくる。まあ予想通りといいますか。

 結局のところ一言で言えば、「異国に来てノイローゼになった外国人が、失恋のショックも加わり、ありもしない暗殺事件と都市の呪いを作りあげた強迫観念を正当化しようと、やけに複雑な日記療法を試みて果たせず、しかして一年間の滞在期限が過ぎて何とか無事故国に帰る」というような作品でした。なんというか、複雑な構成のわりには根っこが安易なところがいかにもフランスらしいような。

 作品全体よりも、細部が面白い作品でした。

 ※『ブレストンの暗殺』という邦題はおさまりが悪いなあと思いながら読んでいたのだが、途中で、例えば『ブレストン殺事件』では駄目なのだということに気づく。

 主人公のジャック・ルヴェルは、濃霧と煤煙につつまれた都市ブレストンを訪れる。現代の象徴ともいえるその底知れぬ暗鬱のなかに暮らした主人公の一年間の時間割を、記憶と回想の巨大なカノンに響かせて再構成する。神話の枠組、土地の持つ魔力、時間の迷宮……鬼才ビュトールが、二重の殺人事件=推理小説のプロットを使い、人間の根源にひそむ暗黒を描いた現代文学の記念碑的傑作。(裏表紙あらすじより)
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