これまでの舞城作品の主人公は、〈普通〉ではなくとも取りあえずのところ〈一般人〉でした。でも獅見朋成雄は相当に変わってる。龍馬のように鬣が生えているという外見はともかくとして、そもそもがコミュニティに属していません。正確にいうと普通の町で生活しているし、家族もいるし、警察と関わるし、学校のことにも触れられているのだけれど、ほとんどが「モヒ寛」なる変人書家がらみの自分語りと、「山ん中」の話。
もちろん自分語りは舞城作品の十八番の特徴みたいなものなんだけど、外部社会と接触しない自分語りっていうのは、その純化された形としての危うさを持っています。異端児。〈自分だけが〉という思春期特有のコンプレックスのわかりやすい肥大化。
そして「山ん中」に入って初めて(一応のところ)社会の一員となるのですが、そこで行われているのが「盆」という、なんじゃそりゃ的なしょーもない儀式であり、そういうわけわからんちんなことを大まじめにされてしまっては、あっけにとられるを通り越して、並のコンプレックスなどどうでもいいことに思えてしまいます。並の、どころか鬣でさえ。そもそもその村がいったい何のためにあるのかといえば、怪しげな雰囲気とは裏腹に、カリスマの美食集団というズッコケ度。殺人だってどーでもよさげに思えますって、そりゃあ。
毒を以って毒を制すというか、極端なところから極端なところに針が振れるので、こんなのを読んだら、まあたいていのことならどうってことないと思えるようになるでしょう。
人を殺すとは何か?とか人間とは何か?だなんて問いかけはまあ答えが出るもんでもないので、そういうのはひとまとめにして“思春期の悩み”だと思った方がいいかもしれない。
ある意味すごくわかりやすい作品でした。理屈で割り切れない、はみ出た力強さみたいなものはやや薄い。
しかしわたしは探偵小説に毒されてるなあ、と思うのは、名探偵だと違和感ないのに、こういう奇人たちだと「おいおい。。。」って思っちゃうところです。どっちもリアリティとは無縁のはずなんですけどね。
それと擬音。しゅりんこきしゅりんこき。しぞりりりりんに。ほかの人が書けば「実験小説」と言われてもおかしくないくらいの擬音の嵐なんだけど、なーんか普通に読めてしまっている自分がいる。
中学生の獅見朋成雄はオリンピックを目指せるほどの俊足だった。だが、肩から背中にかけて鬣のような毛が生えていた成雄は世間の注目を嫌い、より人間的であることを目指して一人の書家に弟子入りをする。人里離れた山奥で連日墨を磨り続けるうちに、次第に日常を逸脱していく、成雄の青春、ライドオン!(裏表紙あらすじより)
-----------
『山ん中の獅見朋成雄』
オンライン書店bk1で詳細を見る。
amazon.co.jp で詳細を見る。