『箱舟の航海日誌』ケネス・ウォーカー/安達まみ訳(光文社古典新訳文庫)★★★☆☆

 著者略歴を読むかぎりでは完全に素人小説家なのだけれど、そこそこ面白い。

 「大きな白い頭はそよ風に震え、手足はか弱かった。そのためだろうが、いつも仲間と横一列になって立ち、左右に体を揺らし、うるんだ目をしばたたかせていた」。これはクリダーという今は絶滅してしまった生き物の描写なのですが、読んだ瞬間「これはニョロニョロじゃないか!」とびっくりしてしまいました。もちろん偶然なのでしょうけど、おそらくこんなふうにもともと発想が児童文学に向いていたのでしょう。

 ほかにも、ノアが一面青く塗りつぶされた紙を見て「地図か? 陸はどこかね?」「もうすぐ陸はなくなりますから」というやりとりには、ルイス・キャロルのファンなら『スナーク狩り』の白紙の海図を連想せずにはいられません。

 あるいは、ころころ転がって移動する動物が坂を上る場面の楽しさ。まずクマの行動にびっくりしました。作品全体から見ると、児童文学というより絵本の発想みたいでここだけ浮いているのですが、こんなふうに限界を設けないでのびのびと発想力を活用しているのも、面白さの要因なのだと思います。

 一方で、やはり素人の拙さが出てしまう箇所もありました。世界に初めて雨が降る場面。動物たちは「雲」という存在も言葉も知りません。だから動物たちは「鳥じゃないわよね」「なんだろう?」と不思議がっている。なのに著者があっさり地の文で「雲」という言葉を無神経に使ってしまっては台無しです。ここは「白い点」や〈黒い塊〉といった言葉で通してほしかったところです。

 ほかに気になるところは、性悪説とでもいうべき著者の宗教観でしょうか。スカブという架空の動物が肉を好むようになったのにはまだ理由があります。でもほかの肉食獣たちときたら、眠っていた食欲を呼び覚まされただけで、もともと肉食の性質を持っていたと言わんばかりです。禁断の木の実をなぞっているにしても、そそのかされたくらいで林檎はともかく動物を食うかよ、と。著者の思想はともかくとして、物語的には動物たちが肉食に目覚める何か面白いきっかけがあればなあと思いました。

 動物たちのその後をはっきり書かないのが児童文学にしては異色に感じました。あとはみなさんご存じの通りです、とでもいうような結末。ただ単に捕食や絶滅の残酷さを避けただけなのかもしれないですけどね。

 中盤がだれます。方舟に乗って動物たちも退屈。読んでるわたしも退屈。

 『The Log of the Ark』Kenneth Walker,1923年。

 ノアは神に命じられた通り、洪水に備えて箱舟を造り、動物たちとともに漂流する。しかし舟のなかに禁断の肉食を知る動物・スカブが紛れこんだことから、無垢で平和だった動物の世界は、確実に変化していくのだった。聖書では語られない、箱舟の“真の物語”!(裏表紙あらすじより)
 ----------

  『箱舟の航海日誌』
  オンライン書店bk1で詳細を見る。
 amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。


防犯カメラ