『前巷説百物語』京極夏彦(角川書店)★★★★★

 お馴染み〈巷説百物語〉シリーズでありながら、同時に〈同心・志方兵吾〉シリーズという新しいシリーズにもなっているテクニックと遊び心が楽しい一冊。志方同心を主人公に新たに捕物帳でも書いてくれないかな、と誰もが思うのではないでしょうか。捕物帳ではお馴染みの同心とお調子者岡っ引きのやり取りが魅力的なこともあって、レギュラー陣は又市だけにもかかわらずこれまでで一番面白いと感じました。

 それからこれ、〈見世物〉シリーズでもあります。二十面相シリーズの楽しさを大人向けにするにはどうすれば?と考えるとこんな感じになるのかな。素人のわたしが読んでも、江戸時代にこの言葉はなかっただろうってのが明らかなほど、言葉遣いに関する〈確信犯〉度は深まっており、そのうえいくら江戸時代でもそれで騙されはしないだろうってトリック。作り物感が強くなっているというか、お約束を楽しめない人にはちょっとつらいかもしれません。でも実写で映像化はツライだろうな。。。

 これまでのシリーズが百介の目で表から見た物語だったのに対して、又市の目で裏から仕掛けを見られるのも本書の特徴。そのせいで(?)全体的にますます『仕掛人』っぽくなってます。

「寝肥」★★★★☆
 ――お葉は四度も買われたんだぞ。身請けされた時点できれいになってるんだ。郭に戻る必要はねェ。戻ったにしてもだ、自分売った銭は何処行くんだよ。四回分郭から金取った野郎が居るてェことになる。「そんなことも知らねェのか、又公」と長耳の仲蔵は言った。「そいつはねぶた参りの音吉だよ」

 第一話ということもあって、本書を通しての約束事を紹介する趣が強い。以降の作品のように、読者に伏せられたからくりが最後に明らかになる、ということはありません。前日譚とはいえ、又市に女の影がちらつくのが意外です。それも含めて又市が「青い」ことこそが本書では重要なんですけどね。
 

「周防大蟆」★★★★★
 ――荒事の依頼である。又市は浪人の山崎に使いに行った。損料商ゑんま屋では主のお甲が待っていた。「この度は――仇討ち仕事でございます」「助っ人封じか、返り討ち封じか」「いずれも――違います」「違うとは」「ある意味では返り討ちの助勢なのですが、依頼人は仇を討つ方のお人なのです」

 〈仇討〉が武家社会の約束事として紹介されます。状況だけなら“衆人環視のなかでの殺人”という不可能犯罪もの(^^)です。〈不可能〉を〈可能〉になし得るキーワードが〈嫌われ者〉。いったいどんだけ嫌われてんだよ(^^)とツッコミながら楽しめる一篇です。
 

「二口女」★★★☆☆
 ――依頼人の縫様てェのは後妻でね。俊頼様は前の奥様に遠慮があったんでしょうな、縁談渋ってたんですが、貰ってみたらば絵に描いたような良妻振り。お坊ちゃんもお生まれンなった。先妻の子は去年に亡くなりになったんですがね、今になって縫様が、自分が殺めなさったと、こう仰るのだよ。

 “障子越しの一部分”や“遠目の目撃”の〈伝聞〉だった前二作とは違い、志方兵吾自身がその目でモロに見て関わる分、さすがに説得力に無理があるような。。。事件自体もすっきりしないものなので、すっきりしない事件にはすっきりしない仕掛けということなのかもしれません。人の心もトリックも、納得するしないは割り切り方次第ということでしょうか。
 

「かみなり」★★★★★
 ――おちかが瓦版を見て又市に声をかけた。「立木藩のお留守居役が、お腹を召したんだってサ。隣の屋敷のお女中に夜這かけたらしいのサ」彼を罠に嵌めたのは他ならぬ又市たちだった。だが死ぬとは思わなかった。納得いかねェよ。又市は独りごちた。後日――ゑんま屋の巳之吉が又市を訪れた。女将たちが何者かに勾引かされたのだ。

 これを読んで思い浮かべたのが道路族と国民と地元企業の関係でした。地元企業にとっては、道路公団の解体を望んだ国民を殺したいほど憎んでるのかな……と怖くなったり。妖怪好きにとっては、棠庵と又市の蘊蓄談義が長いのが嬉しい(^_^)。小手先芸じみていた前三作と比べると、スケールが大き過ぎる分むしろアリかと思います。前話に続いて志方&万三がじかに関わりますが、関わり方もスマート。プロの暗殺集団が登場するためいっそう仕掛人めいています。
 

「山地乳」★★★★★
 ――南町奉行所定町廻り同心志方兵吾は、岡っ引きの愛宕の万三らを連れて道玄坂脇の縁切り堂を訪れた。この黒絵馬に名を書いた書いたら実際に相手が死んだ――そう申し出た者は、既に八件に上っている。八件とも、慥かに的は死んでいた。

 本篇中でも割と好きな「狐者異」の前々日譚。ここに至って志方同心が主役級の絡み方。山地乳って名前もビジュアルも怪異の内容もぱっとしないなあと以前から感じていたのですが、祗右衛門と黒絵馬による大がかりな悪事と志方同心による捨て身の罠のおかげで、作品自体は本書中でもなかなかの出来。作り物の妖怪が出てきても、「そういうものなんだ」と読む方が慣れてきたというのもある。
 

「旧鼠」★★★★☆
 ――伝えましょう。それが、又市が久瀬棠庵から聞いた最後の言葉だった。此処に居たんかと、林蔵が声をかけた。「お前こそ何処に居やがった。棠庵の爺ィの処は行ったか」「居らんかったで」「あの爺ィがか。それでゑんま屋には?」「行かん。ちゅうか、行けん。客が一人も居らんかってん。怪訝しいと思うやろ」

 この話は概念としての妖怪です(まあ他のもそうなんですけど、張りぼてとかの実体ではなく、具体的な化物でもなくってことで)。「狐者異」の前日譚。『前』の総決算ということで、小右衛門以外にもいろいろとシリーズに関わりのある事物に筆が及んでいるのがファンには嬉しいところです。比喩としての妖怪なので、妖怪にこだわらず無理せず話を作ることができるのでしょう、「狐者異」で触れられていた事件が、仕掛人大戦争みたいな凄絶な活劇に仕上げられています。妖怪好きとしてはその分だけ妖怪味が薄くてちょっと物足りませんが。
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