『神を見た犬』ディーノ・ブッツァーティ/関口英子訳(光文社古典新訳文庫)★★★★★

 『Il colombre e altri racconti』Dino Buzzati。

天地創造(La cerazione)★★★★☆
 ――ようやく宇宙創造を終えた全能の神のもとに、技術者の一人が歩み寄ってきた。「若手グループで立案したプロジェクトをお見せしたいのです」

 ノアの方舟に乗れなかった動物がいたなどというよりもよほど面白い、前代未聞の天使によるプレゼン。
 

「コロンブレ」(Il colombre)★★★★★
 ――十二歳になったステファノは、父の船に乗せてもらった。「船の跡に黒いものが見えるんだ」父親の顔がみるみる青ざめた。「コロンブレだ。餌食にする人間に何年もつきまとう。餌食となる本人にしか見えないんだ」

 ああ。これって人生だな。最後になって初めて大事なことに気づく。何も見えずに一人合点したまま、みんな一生懸命生きてゆくのだ。
 

アインシュタインとの約束」(Appuntamento con Einstein)★★★★☆
 ――アルベルト・アインシュタインが通り過ぎようとすると、その男が近づいてきた。「私の名はイブリース。死の天使だ。おまえの魂をもらいにきた」

 SFやショート・ショートではお馴染みのネタを、もう一ひねりした作品です。例えばP・G・ウッドハウスにしても、自分のラジオ放送が政治に利用されることに頭が回らなかったそうですが、アインシュタインも(直接ではないにしろ)知らずにきっかけを作ったことは間違いありません。
 

「戦の歌」(La canzone di Guerra)★★★★☆
 ――王が顔をあげ、訊ねた。「わが軍の兵士どもは、いったい何を歌っておるのじゃ」「兵士たちの歌でございます」「もっと陽気な歌はないのか? すばらしい軍歌があるではないか」

 永遠に勝ち進み続ける戦争、というイメージが残酷だけれど美しい作品。戦争のあとには何が残るのか。むなしさのようなものを、こういう形で描ける人は素晴らしい。
 

「七階」(Sette piani)★★★★☆
 ――その病院は変わったシステムを採り入れていた。入院患者たちは、病気の程度によって、各階にふりわけられているという。七階、つまり最上階は、病状の軽い患者たち。一階ともなると、一縷の望みもなくなってしまう。

 北村薫編『謎のギャラリー こわい部屋』にも別訳が収録されていました。症状の軽重によって入院する階が違う、という設定を読んだだけで、とうぜん行き着くべき結末の予想はつくわけですが、自覚のない入院患者自身の視点で物事が語られることで、病室の移動が病状によるのではなく不条理めいた悪意によるものに感じられます。実際のところ癌などの場合、告知するしないは医者らに委ねられているわけで、あながち空想とも言えないところが怖い。
 

「聖人たち」(I Santi)★★★★☆
 ――聖人たちはみな海岸沿いに小さな家をあてがわれている。聖人に列せられた聖ガンチッロにも小さな家があてがわれた。だがその村では昔から、マルコリーノという別の聖人が守護者として崇められていた。

 「天地創造」では「あらかじめすべてお見通し」の全能の神を通して、意外な(でも意外ではない。お見通しなんだから)物語を語る、という悪ふざけ(?)をしていた著者ですが、本篇でも「見苦しい感情は持ち得な」い聖人による、嫉妬(でも嫉妬ではない。聖人だから)のごとき物語を紡ぎ出します。そうかこういうふうに真逆のことを何食わぬ顔でさらりと書くとファンタジーになるのだと興味深い。
 

「グランドホテルの廊下」(Il corridoio del grande albergo)★★★★★
 ――夜も更けてからホテルの自室にもどった私は、トイレに行きたくなった。ところがもう少しでトイレというところで、ガウン姿の男と鉢合わせになった。彼の前でトイレへ入ることに気おくれを感じ、ほかの場所に行くふりをして通りすぎてしまった。

 笑うべきか怖がるべきか、頭が判断できない神がかり的な稀世の傑作。気まずさであれ何であれ、度を越してしまえばギャグにもなるし恐怖にもなるのです。にやにやしながら読んでいたのに、口元を歪めたまま固まってしまいました。
 

「神を見た犬」(Il cane che ha visto Dio)★★★★★
 ――パン屋の老人は、意地悪心から財産の相続に条件をつけた。五年のあいだ、焼きたてのパンを貧しい人々に配らなければいけない。不信心者が多い村でもとりわけ不信心な甥が善行に勤しむ姿を想像して、老人はさぞかし腹を抱えたことだろう。

 ファンタジーというよりもむしろ、神という潜在意識に囚われた恐怖政治のようでした。諷刺も諷刺、恐ろしい皮肉にして本質なのだけれど、最後のセンテンスのおかげでファンタジーに昇華しています。日本人のことを、“宗教を持たないから無責任だ”というときの〈宗教〉とはつまりこういうことなんじゃないでしょうか。
 

「風船」(Il palloncino)★★★★☆
 ――ある日曜のことだった。二人の聖人が地上を見下ろしていた。「なあ、君は生きていたころ幸せだと感じたことはあったかい?」「いいか、地上では誰ひとり幸せでいることなんてできやしないさ」「しかし、なかには幸せだという人間も……」

 小さな幸せと小さな悪意。なのに悪意の方がとてつもなく大きく感じるのはなぜなのだろう。そんな世俗のことなど笑い飛ばすようなラストにまだしも救いがあります(^^;。
 

「護送大隊襲撃」(L'assalto al grande convoglio)★★★★★
 ――正体がばれずにすんだおかげで、山賊の首領ガスパレ・プラネッタは、三年で獄を出ることができた。山には手下たちが潜んでいるはずだった。だがドアを開けた瞬間、かつての手下がいまでは首領に成りあがっていることを知ったのだった。

 ピカレスクというにはあまりにも純粋な、「漢」な物語。何かを為すべく決意してその意思に生きた人間というのは、誰であれかっこいいものなのだ。
 

「呪われた背広」(La giacca stregata)★★★★☆
 ――右のポケットに手を入れるまで、中に紙切れが入っていることに気づかなかった。請求書だろうか。ところが、それは一万リラ札だった。

 傍目八目な読者としては、もうそうなるに決まってるじゃん!と思うのだけれど、フィクションの世界の住人たちは思った通りに行動してくれます(^^;。
 

「一九八〇年の教訓」(La lezione del 1980)★★★★☆
 ――地上の争いが絶えぬことに愛想をつかした神は、人間どもに戒めの教訓を与えることにした。夜中の十二時きっかりに、ソビエト連邦最高指導者が急死した。

 これも「神を見た犬」と同趣向の作品。こちらは長さの関係もありコントっぽくなってますが。
 

「秘密兵器」(L'arma segreta)★★★★★
 ――世界中が恐れていた第三次世界大戦は、予測どおり、二十四時間以内に終結した。だがその展開はあらゆる予言を覆すものだった。なにより、世界情勢にいささかの変化ももたらすことはなかった。

 まあ……よかったんじゃないでしょうか。。。現状維持ってことで(^^)。何でもありなら何でも解決のはずなんだけどなあ。。。
 

「小さな暴君」(Il bambino tiranno)★★★★☆
 ――ジョルジョ少年はずば抜けた子どもだというのが、家族のあいだでのもっぱらの評判だったにもかかわらず、恐れられる存在だった。誰もがみな、少年のわがままという悪夢に苛まれていた。

 アンファン・テリブルもの、というよりは、親バカものというべきでしょうか。嘘くさい大人の世界に、子どもが引導をつきつけます。とはいえやっぱり嫌なガキです(^^;。
 

「天国からの脱落」(Il crollo del santo)★★★★☆
 ――聖エルモジェネはちらりと下界に目をやった。ソファーに腰かけた美しい女性。若者が二人。さらに別の若者は立ったまま物思いにふけっている。レコードから流れてくるのはジェリー・マリガンの曲だ。

 ささやかな人間讃歌。だから楽しいんだ、ってのは誰もが認めるところでしょう。
 

「わずらわしい男」(Il seccatore)★★★★☆
 ――お邪魔してまことに申し訳ありませんお忙しいのは重々承知しておりますがほんの少しだけお時間をいただいたらすぐに帰るつもりです功労勲章受勲者リモンタとはお友だちでいらっしゃいますね? そのリモンタ氏が私に……

 うわあ。鬱陶しいやつだなあ。だけどなぜか愛すべきやつです。いやしかし世界を支配できるんじゃないだろうか、この人(^^;。文字どおり誰もかなわないんだから。
 

「病院というところ」(Questioni ospedaliere)★★★★☆
 ――血だらけの彼女を抱きかかえ、僕は裏門から病院の敷地内に入った。看護師らしき人が通りかかる。「すみませんが……」「ここは内科です。表玄関にまわってください」

 なんて不条理なスラップスティック。本来なら事をスムーズに動かすために作られたはずのルールに、逆に縛られてしまうのはどこの世界でもいつの時代でも世の習い。
 

「驕らぬ心」(L'umiltá)★★★★☆
 ――よそ者らしい男がひざまずいたとき、はじめて修道士は、その男が司祭だと気づいた。「そなたに何がしてやれるかな」「告解を聴いていただきに参りました」

 本当にこんな人だったらいいのにねえ。実際は政治や陰謀にまみれているのだろうな。ファンタジーとしてとても美しい物語。ていうかむしろお茶目。
 

「クリスマスの物語」(Racconto di Natale)★★★★☆
 ――クリスマスの夜、司教さまは神とお過ごしになるのだ。大聖堂にみすぼらしい男がやってきた。「ここには神がみちあふれている! 私にも少し分けてくださいませんか」「大司教さまから神を奪おうというのか!」ところがその瞬間、神が消えてなくなった。

 クリスマスには善行を、クリスマスには人に優しく。司祭でさえも本来の意味を忘れてしまう。神ありき、ではないのにね。
 

「マジシャン」(Il mago)★★★★☆
 ――家に帰る道すがら、私はスキアッシ教授に出くわした。彼はマジシャンだと噂する者さえいた。その晩、私は疲れていたし気もめいっていた。

 イタリア語はわからないけど、この「mago」って「魔法使い」の方じゃないのかなあ? ちょっとかっこつけすぎだぞ、スキアッシ教授、だなんて思ってしまうような、お師匠さまなのだ。
 

「戦艦《死》」(La corazzata "Tod")★★★★★
 ――来月『戦艦フリードリヒ二世号の最後』が刊行されるらしい。一九四二年から、「特殊任務」のスタンプが押された転属命令が送られてきた。

 彼らは何と戦っていたのだろう。巨大な戦艦はさらなる巨大な戦艦を生むだけだという愚かな鼬ごっこなのだろうか。所詮戦艦とは戦うために作られたものであり、軍人とは戦うために生きる者でしかないということなのだろうか。戦争の亡霊が戦うのは、文字通りの亡霊でしかないのかもしれない。
 

「この世の終わり」(La fine del mondo)★★★★☆
 ――ある朝の十時ごろ、とてつもなく大きな握りこぶしが町の上空にあらわれた。それは、神であり、この世の終わりだった。

 なんて醜い。冒頭こそ笑かしてくれましたが、その後はグロテスクと言っていいほど醜い。死ぬまで好きなことをやるなんてまだかわいい。死んだ後のことまで煩悩に縛られてるなんて。
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