『ルソー 人間不平等起原論・社会契約論』ルソー/小林善彦・井上幸治訳(中公クラシックス)

 デュマの『ジョゼフ・バルサモ』にはルソーに傾倒する青年が出てくる。というわけで『社会契約論』をじっくり読もうと思ったのだがとてつもない悪訳で頭が痛い。

 中公クラシックス、ラインナップは魅力的なんだけれど、基本的に『世界の名著』『日本の名著』の新書化です。新書化、文庫化自体は悪くはないんですけれどね。問題なのは、昔の本の新書化=訳が古い、ということです。

 『社会契約論』を読もうと本書を手に取ったのですが、とてもじゃないけど読めたもんじゃありません。人文系の翻訳書ではよくあることですが、オリジナリティあふれる「てにをは」のおかげで、書かれてあることはほとんど意味不明です。

 「ある者は他人の主人であると信じているが、事実は彼ら以上に奴隷である」というのはまだいいでしょう。落ち着いて読めば「彼ら」というのが「他人」のことであるのはわかりますから。せいぜいのところ下手な文章というに留まります(とはいえこれがえんえんと続くのにはうんざりしますが)。

 「他人の奴隷となる人間は、身を与えることではなく、少なくとも生活のために身を売ることである」。さあだんだん意味不明になってきました。でもこれもまだましな方です。文脈から「他人の奴隷となる人間(にとって)は、(譲り渡すとは)、身を与えることではなく、少なくとも生活のために身を売ることである」と補えますから。

 「しかし、専制君主の野心が臣民に招く戦争や、その飽くことのない貪欲、その大臣たちの誅求などが、臣民自身の紛争よりも彼らを荒廃させるものであるならば、この社会的平和からなんの得るところがあろうか」。意味がわかったあとで好意的に読み返してみれば、言わんとするところは理解できるのですが……。原著を読むための参照用翻訳の最たるものですね。

 たとえこんな文章でも、悪訳文体のパロディだと思って読めばけっこう笑える――というしょうもない境地に達してしまったので、まったく別の意味でならそれなりに楽しめましたが、真面目に読もうとすれば頭が痛くなること必定です。

 原著や英訳を参照せずこの日本語訳だけを読んで『社会契約論』を理解できる人がいたとするなら、その人はかなり頭がいいか、完全に誤読しているかのどちらかでしょう。

 最近は新訳ブームですが、やはり売り上げを考えてのことなのか、文芸系の新訳がメインになってしまっているようです。一刻も早く、大量の人文系古典名著を新訳刷新してくれることを願います。

 ※あ、併録の『人間不平等起原論』はよいです。小林氏の解説もいい。でも『社会契約論』は岩波文庫とかほかの訳書で読むことをおすすめします。
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