『水夫の帰郷』デイヴィッド・ガーネット/池央耿訳(河出書房新社)★★★★☆

 『The Salor's Return』David Garnett,1925年。

 ガーネット。地味ではあるんだけれど、すごくいい。たいした事件も起こらないし(妻が狐になるという大事件を扱っている『狐になった夫人』ですら淡々としてる)、出てくるのはみんな普通の人ばかりだけど、登場人物の純朴な魅力が伝わってくる。

 引退して酒場を始めた元船乗りのウィリアム・ターゲットは、何かというよく笑う。黒人の妻テューリップに嫌がらせをする牧師や姉ルーシーに激怒しても、ちょっとおかしなことがあればツボにはまって大笑いし、テューリップの出産時には手持ちぶさたに海老網を作って、子どもが産まれれば作りかけでも網などなかったことにして笑う。

 神様なんて気にしない。でも未婚や洗礼が原因で妻や子が迫害されると知るや、あっさりと教会に行く。船乗りは酒屋に向いてないと言われた途端にきびすを返す。久しぶりに再会した弟ハリーと、一秒後にはもう昔のように仲良くしている。

 まさに豪放磊落、直情径行。読んでいるこちらの胸がすかーっとするくらい気持のいい男だ。

 ターゲットがアフリカから連れ帰ったダオメの王女テューリップは、「緑も瑞々しい柱筒状のたおやかな茎の先で優美に揺れる、あの麗しい花からの連想」でつけられた呼び名だけれど、名前とは裏腹にとても芯の強い女だ。故国の伝統に染まり牧師や義妹を魔法使い扱いして怯えるものの、いじめや差別に負けることは決してない。健気でりりしい。

 飲み明かした翌日の早朝、二人で馬に乗り村を駆ける姿は地味ながら感動的で、とても好きな場面だ。「教会を過ぎるところでウィリアムは歓声を上げ、テューリップもそれに応えて晴々と叫んだ。ドーセットの村にこんな声が響いたことはかつてない」。ここだけ引用してみても単なる事実の描写に過ぎないのだけれど、読み終えてからふと思い浮かべてしまう場面だ。

 記憶に残るのは二人だけではない。ターゲットの姉ルーシーの、皮肉な意味で〈いい人〉〈社交性のある大人〉っぷりが実にリアルで、憎らしいのに憎めない嫌な奴だ。テューリップのためを思ってテューリップを追い出すなどという理屈には、こういう人いるいる、と思わずうなずいてしまった。昨今のひねりのない悪役と比べると、何ともふてぶてしい魅力を放っている。

 終盤になって唐突に出てきた薹の立ったボクサーも、その唐突さすらキャラの一部のような気がしてくる。場違いでちょっとズレた、考えるのは苦手だけどまっすぐ進む力は強いブルドーザーみたいな奴。小説の構成からいえば、物語を終わらす為にだけ出てきたような人物なのだけれど、その力業な感じと人柄がぴったり一致しているのが何だか面白い。

 善意を持っているのか政治的思惑を秘めているのかよくわからない牧師や、凄まれて我が身かわいさで働いているようで何だかんだ言って主人思いのトム・マジウィックも忘れがたい。

 ちょっと古いタイプの小説かもしれないけれど、一人の人間の一生をじっくり味わってみるのもたまにはいい。一冊分つきあうに足るだけの人生だ、と思う。

 豪放磊落な水夫、ウィリアム・ターゲットがダオメの王女を妻としてイギリスへ連れ帰り、旧弊な農民の人種偏見に根を発する迫害と闘いながら、持ち前の直情径行ゆえに自身の運命を手繰り寄せて志半ばに果てる悲劇を、著者ガーネットは陰湿を排した即物的な筆致で簡潔に描いている。初出から十年を経た今もなお、物語作家ガーネットの面目は揺るぎない。(帯裏あらすじより)
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