『レベッカ(上)』ダフネ・デュ・モーリア/茅野美ど里訳(新潮文庫)★★★★★

 半年ほど積ん読してたら、一年も経たないうちに文庫化されてしまった。早すぎるだろ……。ミュージカルに合わせての文庫化っぽいが。

 デュ・モーリアは絶版本を中古で探すくらい好きなのに、『レベッカ』を読むのは実は初めて。いつでも読めるという安心からいつまで経っても読めないというよくあるやつです。

 デュ・モーリアだから通俗的な面白さは抜群なんだけれど、思ってたより〈レベッカ〉という存在が迫ってこなかったのが意外でした。語り手の存在はもちろん、家政婦頭ダンヴァーズ夫人とか、代理人フランク・クローリーとか、マキシムの姉ビアトリスとか、レベッカの〈いとこ〉ジャック・ファヴェルとか、語り手の元の雇い人ヴァン・ホッパー夫人とか、現在(というか回想)のキャラが充分すぎるほど強くって、むしろレベッカ像を塗りつぶしてるくらい。

 特に語り手の空想癖と、ダンヴァーズ夫人の悪意の印象が強烈で。ゴシック・ロマンというより少女小説だよね、この空想癖は。夢見る乙女の夢の中身がたまたま悪夢だったというだけで。(ゴシック・ロマン自体がもともと少女小説っぽいとはいえ)。健気な少女と意地悪娘という王道パターンの面白さです。

 ちょっと違うけど『赤毛のアン』とかの、空想癖のある女の子の面白さ。

 何かあるたんびに語り手の脳内で再現VTRやイメージ映像みたいのが流れるので、前半はサスペンスというよりもところどころコメディっぽかったりさえします。レベッカの影というより、劣等感と戦う田舎娘の奮闘記という感じで。

 キャラもいちいち立ってます。義姉ビアトリスはマイペースでさばさばしていて、読んでいてすかっとするような気っぷのよさ。はきはきしているので、この人が出てくると重苦しい空気もからっとします。

 語り手の心の拠り所となるフランク・クローリーは見るからにいい人で真面目で可哀相になるくらいのお人好し。マンダレーに馴染めない語り手が唯一心を許せる人なんですが、まあそういう人ってのは役回りとしては損な役なんですよね。ほんと、いい人すぎる人の悲哀がにじみ出ていました。

 執事のフリスなんてときどき出てくるだけでほとんどキャラらしいキャラもないのにこの存在感。キャラらしいキャラがない=自分を出さずに目立たず控えめな執事の本分というところなんでしょうか。

 途中から出てくるメイドのクラリスは新入りなので、語り手もマンダレーの呪縛に囚われずに気安く接することができました。この若い女の子同士のたわいない楽しげな雰囲気というのが、緊張感のある本書のなかでほっと心がほぐれる微笑ましい場面でした。

 そんな人たちがなんやかややってるのを楽しみつつ、語り手の考えすぎにも思えたものが紛うことなき悪意として現われて一つの山場を迎えたところで下巻に続きます。少女小説味の強かった上巻からは一転して、下巻はミステリ色がぐっと強くなります。

  肝心の新訳ですが、訳文どうこうより、「メード」とか「レーンコート」っていう表記が気になって仕方がありませんでした。「ウェイター」と「ウェーター」なら許容範囲かとも思うし、「テーブル」を「テイブル」と書かれたりしたら逆に嫌なんだけど、「レーン」はないだろ。。。(※でも国語辞典は「レーン」が主流だったりするみたいです)。

 『Rebecca』Daphne du Maurier,1938年。

 ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た――この文学史に残る神秘的な一文で始まる、ゴシックロマンの金字塔、待望の新訳。海難事故で妻を亡くした貴族のマキシムに出会い、後妻に迎えられたわたし。だが彼の優雅な邸宅マンダレーには、美貌の先妻レベッカの存在感が色濃く遺されていた。彼女を慕う家政婦頭には敵意の視線を向けられ、わたしは不安と嫉妬に苛まれるようになり……。(裏表紙あらすじより)
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