『Childhood's End』Arthur C. Clarke,1953・1990年。
第一章を書き替えた新版の邦訳。といっても変更箇所はほとんどないそうです。まえがきで「だって、これはフィクションなのだから!」などとわざわざ断っているのがクラークらしい。
初めて読んだのだけれど、少なくとも第二部まではごく当たり前の侵略SF&ユートピア/ディストピア小説だなあと感じました。ソ連の脅威を火星襲来とかに置き換えたように、西欧先進諸国−未発展諸国の対応を先進宇宙人−未発達地球(西欧)文明に置き換えただけのありきたりの内容です。
オーヴァーロードの正体とか、オーヴァーロードが英語しかしゃべれないとか、「原始的な部族を文明化しようとして失敗した」こととか、あまりにも西欧キリスト教文明あからさまな箇所が頻出することを考えると、クラークが天然で帝国主義者っていうよりは、意図的にそれを諷刺しているんだとも思えるのだけれど。
(ここらへん、巽孝之氏が解説で『家畜人ヤプー』に触れながら、突っ込んで書いてくれてないのが残念)。
問題は第三部ですが――。ジェフの見る夢の光景は素晴らしかった。でもジャンの見た星の景色にはそれほど魅力を感じなかったし、オーヴァーロードの目的もふうん。という感じでした。
クラークはあくまでハードSF、それも技術的な部分に関しては一日の長があるけれど、思索的SFには……。レムなんかと比べてしまうとどうしてもしょぼい。
UFOや超常現象を信じてる(信じてた)人が不用意に自分の趣味を出しちゃった感じです。ハードSFなら科学的な手続きに当たるところ――つまり思想的な手続きを踏んでない。アイデアを補強するロジックがないんです。もちろんわたしはそういうSFも大好きなのだけれど、クラークの作品、しかも「哲学的」とか「オールタイムベスト」とか騒がれてる作品としては物足りない作品でした。
地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は姿を見せることなく人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらした。彼らの真の目的とはなにか? 異星人との遭遇によって新たな道を歩み始める人類の姿を哲学的に描いた傑作SF。(裏表紙あらすじより)
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