『夜の来訪者』ジョン・プリーストリー/安藤貞雄訳(岩波文庫)★★★★☆

 『An Inspector Calls』John B. Priestley,1946年,イギリス。

 有名戯曲の新訳版。まあ今となってはミステリとしては期待しない方がいい。そこは60年前の作品です。

 読む人間の立場によって、誰の言い訳に共感したり嫌悪を感じたりするかがぐるっと変わりそうな作品です。という意味で、作品の感想を聞けばその人の価値観がもろにわかりそうな気がして、あまり断定的なことを書きたくない。(まあ書いたところでわたしの価値観になど誰も興味はないだろうから書くけどさ)。

 ちょっとシーラがぴーちくぱーちく言い過ぎて、強引に話を進めてる印象なのがイマイチ。

 自分のやったことを反省し(たようなことを言って)、自らの行為を正当化しようとする者たちを非難するシーラ・バーリング。とはいえ自分が反省することよりも、反省しない他人を批判することの方に熱中してしまってるという点で、もっとも醜悪な人物。だいたい一番ひどいことをしたのはこの人だと思うものなあ。

 世間の常識や慣例を言い訳に、何よりも世間体や社会的地位を守ろうとするアーサー・バーリング氏。憎まれ役としてはステレオタイプ、もはや可愛いもんです。

 ジェラルドのやったことはちょっと毛色が違う。自殺した女性にというより、婚約者のシーラに対する後ろめたさなのである。男の言い分と女の言い分という、永遠に生きつづける問題ですね。シーラがヒステリックになることの一応の理由づけにもなってはいます。

 一番ぶれがないのがシビル・バーリング夫人。この人の自信の基盤は階級意識です。人間としての個人的な感情よりも階級に基づく社会的な良識にのっとって行動しているため、いちばん泥臭くはありません。現代の話だと思えば荒唐無稽だし、昔の話だと思えばそういうもんだったんだろうな、と感じてしまうこともあって、もっとも粘着感がなかった。

 60年前からイメージとしての若者像なんてまるで変わってないんですねぇ。。。責任感という文字など彼の辞書には存在せず、すべてを他人のせいにしてふてくされる恐るべき問題児、エリック・バーリング。

 そして五人の罪を暴きにやって来た警部。捜査の一環ならともかく、自殺なんだから警察がぶーぶー言うこと自体おかしいじゃないか、というのはおそらく的外れな文句なんでしょうね。道徳的な罪が暴かれ上品な人たちの嘘が明るみに出るところこそが作品の眼目であって、法律的な罪ではなく道徳的な罪を問題として糾弾する装置に、警察という形を取らせたのが強引に感じられるだけで。とはいってもじゃあ警察じゃなく神父にでもすりゃいいのかって問題でもないしなあ。

 舞台は裕福な実業化の家庭、娘の婚約を祝う一家団欒の夜に警部を名乗る男が訪れて、ある貧しい若い女性が自殺したことを告げ、全員がそのことに深く関わっていることを暴いてゆく……。(カバーあらすじより)
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