『Příliš hlučná samota』Bohumil Hrabal,1980年。
「三十五年間、僕は故紙に埋もれて働いている――これは、そんな僕のラブ・ストーリーだ。」
すごくのんきで夢見る男の一人称のように見えて、実は政府による本の発禁廃棄処分だとかナチズムだとか管理社会だとか大戦だとかという歴史的背景がしっかりと根を張っているみたいです。
いかにも社会主義国的に、来る日も来る日もおんなじ仕事の繰り返しのなかだからこそ、想像力が発達するってのは、あるかもしれない。
祖父も父も空想癖のある一家だったらしい。だけど語り手は仕事がら本を読んで「心ならず教養が身についてしまっているので」、妖精やお化けの代わりに哲学者や神学者の幻を見るのだそうだ。こういうすっとぼけた発想と言い回しの巧さが可笑しい。
何かと言えばうんちという、そのくだらなさと情けなさと(恐らくは)リアリズムも強烈です。うんちって、滑稽という言葉がぴったり来るんですよね。悲劇にはなりえない。とかいいつつ、最終章で導かれるうんちがらみの行方にはちょっと感動してしまいましたが。
回想と空想と現実が織りなす語り手の人生。恋愛をはじめとして、人の心のほろりとするところを突いてくる。小刻みにえぐってきます。
鮮烈なイメージで描きだす、シュールでグロテスクな愛と死と孤独。ナチズムとスターリニズムの両方を経験し、過酷な生を生きざるをえないチェコ庶民。その一人、故紙処理係のハニチャは、毎日運びこまれてくる故紙を潰しながら、時折見つかる美しい本を救い出し、そこに書かれた美しい文章を読むことを生きがいとしていたが……カフカ的不条理に満ちた日々を送りながらも、その生活の中に一瞬の奇跡を見出そうとする主人公の姿を、メランコリックに、かつ滑稽に描き出す、フラバルの傑作。(帯紹介文より)
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