『贖罪(上)』イアン・マキューアン/小山太一訳(新潮文庫)★★★★★

 『Atonement』Ian McEwan,2001年。

 これは読みやすい。というのも、おのおの住人たちがそれぞれの視点から、その目に見えた(と思っている)ものごとを語ることで、食い違いすれ違いが生まれて謎やら悲劇やら……というのがクリスティーとかのお屋敷ものみたいで、すいすい読めます。

 丁寧な心理描写というよりもむしろ意識の流れ的な、執拗すぎる自己分析がまた面白い。それを読めばものごとにはすべて理由があって、しかもその人のなかでは完全に筋が通っているのに、視点を変えればまったく別の正解があったりして、小説全体が縦と横と斜めと上と下と……カギがいくつもある複雑なクロスワードパズルのようです。

 わたしみたいなあんまりよろしくない読者は、双子捜索時にブライオニーが母親の窓にぶつかって閉めてしまう場面で、あわててページをさかのぼって「おお、こんなところにこんなにさりげなく」とか思うのがせいぜいなんだけど。

 これだけみっちり書き込んでおいて、そのくせ書かないところは書かないでおく緩急もうまいです。ずっと理屈理屈で来て、あるとき理屈を飛び越えちゃっても、納得できてしまうのです。あるいは、書かれない部分に、ミステリ的に言えばそこに「真相」があるのかもしれないし、あるいはまた別の見方とか、分析を避けた自己欺瞞とかがあるのかもしれないし――この点に関しては下巻が楽しみです。

 ものごとのいろんな面が浮き上がってくると同時に、そういうものの見方をする登場人物の人物像ももちろん浮かび上がってきます。なかでは小説家志望のブライオニーがいちばん印象に残ります。小利口という言葉がぴったりくる13歳の聡明な少女なのですが、彼女が背伸びして見せるのを、かわいいと思えるときもあれば、こまっしゃくれていると感じるときもあって、これなどもものごとの見方のいい例で、少女の視点は変わらないのに、読者のものの見方が作者によって変えられてしまっているということなのでしょうか。

 身分違いの幼なじみが互いのそして自分の愛情になかなか気づけなくて……というベタな王道恋愛ものでもあります。

 現代の名匠による衝撃の結末は世界中の読者の感動を呼び、小説愛好家たちを唸らせた。究極のラブストーリーとして、現代文学の到達点として――。始まりは1935年、イギリス地方旧家。タリス家の末娘ブライオニーは、最愛の兄のために劇の上演を準備していた。じれったいほど優美に、精緻に描かれる時間の果てに、13歳の少女が目撃した光景とは。傑作の名に恥じぬ、著者代表作の開幕。(カバー裏あらすじより)
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