『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』室生犀星/東雅夫編(ちくま文庫)★★★★☆

 室生犀星は大好きな作家なので楽しみでした。とはいえ読むのは久しぶり。収録されているのは初期短篇ばかり。

「童話」★★★★★
 ――「お姉さま、――」小さい弟は何時の間にか石段に腰をかけ、目高をすくっている姉に声をかけた。「お前、いつの間に来たの……よく来られたわね。」「みんなお達者、――」「ええ、みんな………。」「きょうお母さまに会ったよ、」

 たとえば遺影を見ながら物思いにふけっていたとして、それを(あたかも霊が実在するかのように)霊との会話という形で描けば、それは表向き怪談になるでしょう。二人の人間がいて、それぞれが物思いで見ている内容がぴったり一致していれば、ますます怪談めいてきます。たとえて言えばそんな感じ――実在する同じ幽霊を見ているのではなく、実在などしない同じ空想を見ているような、茫漠とした不思議な魅力を持った作品です。発表順では「童子」「後の日の童子」のあとになるのですが、本篇を読んだあとで他の二篇を読むことで、その二篇が本篇の解説にもなっているという、編者のしてやったり顔が浮かぶような憎らしい収録順です。
 

童子★★★★☆
 ――母親に脚気があるので母乳はいっさい飲まさぬことにした。翌朝になっても乳母はこないばかりか、返辞すらなかった。為方なく毎日貰い乳したが、その日、赤児は緑便をしたので、乳のせいだと思った。「夕方はおれが取りに行く」

 ↑「童話」の感想で書いた、たとえば遺影を見ながら……という部分が、本篇の後半わずかな部分といえるでしょうか。本篇の大半は怪談ではなく、我が子に対する素直じゃない感じの男親の愛情が滲み出ていて、すごくいじらしくてほろりとします。乳母の乳が出なくてあーでもないこーでもないと気を揉んだり、意地を張ったり、そんなだからこそ終盤の悲しさが生きてきます。
 

「後の日の童子★★★☆☆
 ――夕方になると、一人の童子が門の前の、表札の剥げ落ちた文字を読み上げていた。いつも紅い塗のある笛を携えていた。しかしそれを曾て吹いたことすらなかった。「きょうは大層おそかったではないか。犬にでも会ったのか。」「いいえ、お父さん。」

 「童話」「童子」を読んだあとで読むと、当たり前の幽霊譚に思えてしまうから困る。タイトルがまぎらわしいが「童子」の直接の続編というわけではありません。我が子が死んだ後の……という意味では続編だけれど。
 

「みずうみ」★★★★☆
 ――纜《ともづな》を解きかけていた眠元朗は、渚にいる娘の方を顧った。「先きにお乗り。」「お母さまが入らっしゃらないのに、舟を出しちゃわるうございますわ。」「出しはしないんだよ。」

 父親なら誰しもが(?)娘に抱いているような愛情を、下世話な夾雑物を排除してエッセンスだけで描いたような作品。まったく非現実的な世界で繰り広げられる、ごく現実的な生活感が独特です。
 

「蛾」★★★★☆
 ――お川師堀武三郎の留守宅では、四十九日の法要も終って、坊さんも帰ってからのことであった。女房が立って出て見ると、そこへ、いま法事をあげたばかりの武三郎が、四十九日前に出たきりの川装束で、ひょっこり這入って来た。

 神隠しめいた話を、浮気か何かだと疑る妻の視点から描いた作品。謎めいたお内儀の影がどんどん日常を圧迫していく展開は、まさにホラー。蛾もさり気なく雰囲気を盛り上げます。
 

「天狗」★★★★☆
 ――よく、小間使いや女中などが、夕方近い、うす暗がりのなかで、膝がしらを斬られた。それは鎌いたちに違いないと人々は言っていたが、その鎌鼬という名のことで、赤星重右のことが、口に上った。

 同じ編者の『妖怪文藝 巻之参 魑魅魍魎列島』にも収録。語り手の解釈では、天狗の話はともかく、鎌鼬の話は説明がつかない。結果から逆に遡って尾ひれがついていくのは、英雄や伝説につきもの。しかも天狗と鎌鼬って全然関係ないじゃん!という、実際の伝説などの、あとから作った作り物っぽささえも狙って書いているのなら凄い。
 

「ゆめの話」★★★★☆
 ――浅井多門という武士がありました。ある晩のこと、ひとりの若い女が歩いているのを、ふしぎに思いながら歩いていました。あるいは何かあやしいものではないかとも思い、声をかけて見たのでした。

 夢かうつつか……という言葉がこれ以上にぴったりくる作品もありません。いきなり最後に語り手(作者?)が出てきて何か言って、なんだか小泉八雲の作品みたいです。
 

「不思議な国の話」★★★☆☆
 ――あの大池のふちで、娘さんが急に見えなくなったんです。大騒ぎして捜してみたけれど、それらしい影すら見えなかった。父親がある晩、娘の室を窺っていると、障子がすうと開かれました。紛うかたもない娘が半身をあらわし、音もなく庭へ下り立ったのです。

 初出の『金の鳥』というのは児童雑誌であるらしく、山の怪異を姉が弟に語って聞かせる話という形式が取られており、姉による解説までついた親切設計の怪異譚です。
 

「不思議な魚」★★★★☆
 ――ガラスの箱の中にいたのは、美しい白魚のような形をした、それでいて、瞳もあり、足や手のある美しい人間のような魚であったので、李一はふしぎそうに眺め込んでいました。

 不思議な魚による報恩譚。ではありますが、むしろ前半に登場する魚売りのいかがわしさと、その魚による怪しくて妖しい歌や会話に引き込まれます。
 

あじゃり」★★★★☆
 ――『阿闍梨さまはこのような山寺にお住みなされてお寂しいことはございませんか。』『わしはここで沢山です。こうして山百合の根を掘りあてるのが楽しみじゃ。』

 山暮らしをする高僧が美少年で身を持ち崩す……その身を案じる信仰篤い町の住人の口から語られる高僧は、文字どおり悟ったような潔さがとても魅力的です。聞き手である快庵禅師が最後に一刀両断するのも、傍若無人な名探偵のようで、しかも迷いや煩悩をも断ち切るようで、また潔い。
 

「三階の家」★★★☆☆
 ――松岡は明らかな不愉快さを表情にうかべていた。「何時来た?」「ちょっとお話をしたいことがございましたから……」「おれは忙しいんだ。」「……では御邪魔をいたしました。」

 怪談として読めば(普通に読んでも?)結末は明らかで、むしろ結末を先送りにしようとする主人公ともども「厭だなあ」と目を背けつつじわじわ核心に近づいてゆくスリルがあります。
 

「香爐を偸む」★★★★☆
 ――男は夕がたになると外へでかけた。あきらかに女ができていることも、女はいつのまにか感じていたけれど、しつこく黙って、いつも「いってらっしゃいまし。」そう言って特に妬くような素振りも言葉づかいもしなかったのである。

 病身の千里眼の妻――いや、これは困る。臥せっていれば外を出歩く夫に嫉妬するのは当然で、しかもすべて見抜かれて(見抜いて)いるんですから。たとえ本当の千里眼ではなく妄想であったにせよ。これだけでも気が触れる理由には充分です。そこにとどめの一品。強引な感じもしますが、それを補って余りある迫力の最後でした。
 

「幻影の都市」
 

「しゃりこうべ」★★★☆☆
 ――「迎えにゆくぞ、――」「来られるものですか? しゃりこうべさん。」「その頭の鉢の地がだいぶ剥げかかっているぜ、――風邪をひとつ冒いたってもうそれきりだと思うがよい、」

 しゃりこうべとの問答というけったいな掌篇。死について書かれているようなんだけれど、正直なところよくわからない。内容的にも絵的にもインパクトがあるのは確かで、哲学的アニメーションとかになりそう。
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