『オイディプス症候群(上・下)』笠井潔(光文社文庫)★★★★☆

 無茶苦茶ひさしぶりの矢吹駆シリーズ。

 ナチズムとハイデガーを扱った『哲学者の密室』と比べると、ボリュームのわりにはこぢんまりした印象を受けます(これまで以上にリーダビリティが高くてあっという間に読み終えてしまうのも一因かもしれません)が、やっぱり読みごたえがあります。

 ナディアを事件の渦中に放り込んで当事者にしてしまったのが面白さの一因かな、と思うものの、カケルの登場しない雑誌連載版の評価が低いらしいことを鑑みると、どうも当事者ゆえの肌感覚のサスペンスが面白さの理由というわけでもないようです。

 孤島ものの面白さは、連続殺人と疑心暗鬼によるサスペンスだけではなく、素人探偵による推理合戦(多重解決・どんでん返し)もひとつでしょうか。その点、登場人物が突然哲学談義を始めたり、ナディアとカケルが推理合戦(というかナディアの推理をカケルが批判)したり、(ナディア及び読者から見れば)意外な真相が飛び出したりと、本書にはその手の面白さがてんこもりです。

 難点といえば、見立ての矛盾が真相解明の重要な手がかりになっているのは「本質直観」のこのシリーズらしく楽しめましたが、そもそもの見立て自体に必然性が希薄なのが残念。終盤でカケルとナディアによって繰り広げられる論理合戦に、長々とギリシア神話の紹介が混じるのも(矛盾というか性質の違いを明らかにするためとはいえ)ちょっとしんどかったです。

 内と外をめぐる原理的な問題はともかくとして、終盤の論理合戦の部分は現象学的推理というより普通の消去法的推理みたいなのが、ものたりない反面とっつきやすくもありました。

 綾辻氏の館ものではなかば流れ的にお約束になってしまっている感のあるとある趣向がありますが、本書の場合は舞台となっている場所ゆえにちゃんと必然性があって(単に伏線があるという以上に)アンフェア感は感じません。いやむしろあるに決まっているのに当たり前すぎて見えなかったというべきでしょう。(どうってことないといえばどうってことないのですが)こういう仕掛けはけっこう好きなので嬉しくなります。

 監視塔をめぐるフーコー論へのカケルの回答がメインではありますが、その周辺の議論の方がむしろ面白かったです。なぜ男が追いかけ女は逃げるのか?という問いをきっかけに始まる、男と女という対称性ではなく母と子という非対称性が一次的範疇だというカケルの持論には哲学や心理学よりむしろミステリ・マインドを感じました。なぜ人を殺してはいけないのか?という問いに対するラディカルな回答にも、そのロジック自体の面白さ以上にそういう意味があったことに脱帽です。〈外部〉云々という話から、孤島に人を集める動機を直観するための布石かと思っていたら、それだけじゃなくって最後にそんな結末が待っていたとは。この最後のシーンのためだけでも、細かい瑕瑾などどうでもよくなってしまいます。

 中央アフリカで発見された奇病。その奇病に冒されたウイルス学者である友人に頼まれ、ナディア・モガールと矢吹駆は、アテネに向かう。目的は、ある資料を友人の師・マドック博士に届けるためだったが、博士は、なぜかアテネを離れ、クレタ島南岸に浮かぶ孤島「牛首島《タウロクラニア》」に渡っていた……。(カバー裏あらすじより)

 「牛首島」の不思議な建造物・ダイダロス館に集ったのは、ナディア・モガールと矢吹駆を含む十人の男女だった。島を襲った嵐のため、孤立化する島の中で死体が発見される。その死体に施された装飾の意味は? 謎が謎を呼ぶ中、次々と殺されていく訪問客……。はたして彼らがここを訪れた真の意味とは!? 一六〇〇枚に及ぶ記念碑的探偵小説!(カバー裏あらすじより)
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  『オイディプス症候群』(下)
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