『百年小説』(ポプラ社)★★★★☆

 同じポプラ社の『諸国物語』の国内版。海外版と比べると、ちょっと微妙なラインナップである。名訳シリーズとは違って、ネット上で読めるものもたくさんあるしなあ。というわけで、所有しているものは手持ちのものを、ネットで読めるものはネットで読んでみました。(結果的にいくつかが未読のままに。。。)

「杯」森鴎外 ★★★☆☆
 ――滝への途中に清冽な泉が湧き出ている。温泉宿の方から賑やかに話しながら近づいて来る。女の子に違ない。「早く飲みましょう」「そうそう。飲みに来たのだったわ」手ん手に懐を捜って杯を取り出した。この時背後から第八の娘が現れた。

 冒頭の泉がわき出る描写が目に浮かぶようで美しい作品です。はっきりいって森鴎外の小説は、ストーリーだけなら「ベタ」といっていいような作品が多い。黒い(?)杯を「熔巌の冷めたような」と表現したり、西洋人の肌を「琥珀のような顔」と表現したり、独特の色彩が鮮やかです。(青空文庫
 

夢十夜夏目漱石 ★★★★★
 ――こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然云った。自分も確にこれは死ぬなと思った。

 やはり前半の幻想味のまさった短篇が好きです。明らかな夢の風景から、十篇を通して徐々に悪夢が現実に浸食してくるような構成もいいのですが。(青空文庫
 

「一口剣」幸田露伴 ★★★★★
 ――お蘭と駆け落ちした刀工正蔵、今は農具鍛冶屋に身をやつし、日々の酒代もままならぬ日々。今日もお蘭と口喧嘩。と、殿様から名刀ご所望の声が。お蘭は喜ぶも正蔵は渋い顔。実は正蔵名工どころか師匠を凌げぬ腕の鈍さ。

 みどころがたくさんあります。まずはお蘭がかわいい。駄目男正蔵と鉄火なお蘭ののろけたようなやりとりには、時代小説ファンなら心をつかまれるんじゃないでしょうか。翻って刀造りを命じられ、一念こもったたたみかけるシーンの迫力も半端じゃない。鬼気迫るとはこういうことをいうのでしょう。会話のカギカッコもないし句点もあまりないのではじめのうちは読みづらいですが、慣れるとこんな面白い作品はありません。(J-TEXTS)
 

「拈華微笑《ねんげびしょう》」尾崎紅葉 ★★★★☆
 ――不説説。不聞聞。口よりも眼はよく言い、耳よりも聞くこと聡し。二十五六の判任づくりの男、毎朝同じ時刻同じ場所にて行遇う車上の美人あり。擦違う時、ある朝女よりまづ微笑をくれしに釣出されて、男も笑みかえせしより、其後は微笑が挨拶となりし。

 「拈華微笑《ねんげみしょう》」とは「以心伝心」のような意味の仏教用語。タイトルから冒頭から仏教づくしなのが、最後になって活きてきます。これのおかげで最後の「○○○!(××××)」が活きてます。ロシアかどっかのユーモア小説みたいな話でした。(近代デジタルライブラリー
 

「吾家の富」徳冨蘆花
 

「武蔵野」国木田独歩 ★★★☆☆
 ――「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。

 ある意味幻想小説でした。二葉訳ツルゲーネフを引用しまくっているのですが、おそらく独歩のなかでは現実の武蔵野とロシアの美文ががっちりリンクしているのでしょう。今の目で読むと、なんだか夢遊病者の見た夢みたいで、それはそれで面白い。(青空文庫
 

「風呂桶」徳田秋声 ★★★★☆
 ――津島はこの頃何を見ても、長くもない自分の生命を測る尺度のやうな気がしてならないのであった。ちょうど其の時、妻に対していくらか不機嫌になっていた折だったので、風呂桶を据えようと大工にあれこれ云う、わざとらしい其の調子が何うにも堪らない気がしたのであった。

 木の幹が太く生長しているのを見て、それだけ時が経って「それだけ自分の生命を追詰めて来ているのだ」というものの感じ方などを読むと、読んでいるこっちの方がげんなりしてしまいます。でも本文を読むかぎりではそれほどの年齢でもないような。四十代か?(※秋声自身は五十のときにこれを書いたらしい)。よく言えば感受性が豊か、悪く言えば偏執狂的なそういうものの感じ方が、妻の弟の問題がきっかけで爆発しそうになるところがクライマックス。そこでやはり妻に手を上げた亡父のことが頭によぎり、またもや死の影が差してくるという着地のうまさが印象的な小品です。(青空文庫
 

「伸び支度」島崎藤村 ★☆☆☆☆
 ――十四、五になる大概の娘がそうであるように、袖子も人形のことなぞは次第に忘れたようになった。子供の好きな袖子は、いつの間にか近所の家から子供を抱いて来て、自分の部屋で遊ばせるようになった。父さんは、その子供を人形扱いにする袖子のことを笑えなかった。なぜかなら、そういう袖子が、実は父さんの人形娘であったからで。

 びっくりするくらい平凡なたとえ、びっくりするくらい安直な成長譚……。もしかすると当時は、「こんなことが文学になるなんて!」という新鮮な衝撃だったのかもしれない。でも今となっては……。(青空文庫
 

「わかれ道」樋口一葉 ★★★★☆
 ――お京さん居ますかと窓の戸の外に来て、ことことと羽目を敲く音のするに、誰れだえ、と雨戸を明くれば傘屋の吉。お互い姉弟のように思っていた。

 メロドラマですが、餅を焼いたり和やかな前半から一転して芝居っ気すらただよう終盤の緊張感がたまりません。でも実はおそらく前半だってぜんぜん和やかではないのかもしれない。現代ならともかく、身よりのない独身女性が針仕事だけでのんびり暮らしていけるわけがないと、当時の読者なら読み始めてすぐにそう感じていたのかも。(青空文庫
 

修禅寺物語岡本綺堂 ★★★★★
 ――夜叉王:して、御用の趣は。頼家:頼家に似せたる面を作れと、絵姿までも遣わしておいたるに、今まで打ち過ぎしは何たることじゃ。夜叉王:わしも伊豆の夜叉王と言えば、人にも少しは知られたもの。たといお咎め受きょうとも、己が心に染まぬ細工を、世に残すのはいかにも無念じゃ。

 ぜひとも舞台で見たい作品です。演劇の約束事としての「面」と、作品のなかの「面」が重なる場面を、何も知らずに舞台で見ていたなら、鳥肌ものだっただろうなあとちょっと悔しい。(青空文庫
 

「猫八」岩野泡鳴 ★★★☆☆
 ――「五月号に載った久米の「虎」ってのはひどいね」「どんな話なのでげすか」

 このために「猫八」と「虎」の二篇を採用したようなものですね。アンソロジーを編纂するのなら誰もが一度はやってみたいような類のカップリングです。(『岩野泡鳴全集1』)
 

「外科室」泉鏡花 ★★★★☆
 ――実は好奇心のゆえに、しかれども予は予が画師たるを利器として、ともかくも口実を設けつつ、予と兄弟もただならざる医学士高峰をしいて、某の日東京府下の一病院において、渠が刀を下すべき、貴船伯爵夫人の手術をば予をして見せしむることを余儀なくしたり。

 泉鏡花というと土俗的な道具立てを使った泥臭くない耽美幻想譚という印象をすっかり植えつけられていたのだけれど、これはまたずいぶんと(ある意味)どろどろに耽美でした。ちょっと思いこみの激しいヒステリー気味の奥さんかなあと思っていたら、いったいどんなプレイだよ(^_^;。一転して「下」の部では、当時のいい女の基準がわかって面白かったです。(青空文庫
 

「青草」近松秋江
 

小さき者へ有島武郎 ★★★☆☆
 ――お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡げて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。時はどんどん移って行く。お前たちの父なる私がその時お前たちにどう映るか、それは想像も出来ない事だ。

 何だか「日本一短い母への手紙」シリーズの源流のような話です。(青空文庫
 

「死者生者」正宗白鳥 ★★★☆☆

 病人をめぐるあれやこれや。芥川の文章によって名のみ有名だった作品を――というところでしょうか。(『現代日本文学大系16 正宗白鳥集』)
 

「勲章」永井荷風 ★★★★☆
 ――寄席、芝居。何に限らず興行物の楽屋には舞台へ出る芸人や、舞台の裏で働いている人たちを目当てにしてそれよりもまた更に果敢い渡世をしているものが大勢出入りをしている。

 あまりにも「荷風」という作家のイメージにぴったりの作品でした。浅草の楽屋通いをしているうちに、飯屋の爺さんの写真を撮ってあげた、という話。写真を撮るとき、踊子がふざけて勲章もつけてあげたのがタイトルの由来です。何気なく働く人たちの矜恃が光ります。(『荷風全集18』)
 

「真鶴」志賀直哉 ★★★★☆
 ――伊豆半島の年の暮だ。十二三になる男の児が弟の手を引き、物思わしげな顔つきをして、海岸の高い道を歩いていた。兄は恋という言葉を知らなかったが、今、その恋に思い悩んでいるのであった。

 まさに志賀直哉。ストーリーなどないに等しい。でも贅沢をいえば、「恋にうんたら」とかいう部分も言葉にして書かずに風景描写などで伝えてほしかった。こういう小説だからこそ余計な部分が気にかかる。(『小僧の神様 他十篇』)
 

「恭三の父」加能作次郎 ★★★★☆
 ――恭三は自分の部屋へ行こうとして、「手紙か何か来ませんでしたか。」と尋ねた。「お、来とるぞ。」と恭三の父は鼻のつまった様な声で答えた。「何と言うて来たかい。」「別に何でもありません。八重さのは暑中見舞いですし、弟様のは礼状です。」「もう宜い、/\、お前に読んで貰わんわい、これから……。へむ、何たい。あんまり……。」

 このまんま「パパはヘンテコ」とかいうタイトルで児童文学でもいけそうな気もします。ガンコでかわいい親父さんです。(青空文庫
 

「久米仙人」武者小路実篤

「妹の死」中勘助 ★★★☆☆
 ――今から十八年前、重体になった妹を見舞いにいったことがあった。これは妹の死後書いた小品である。

 出ました病床もの。死後に世話をする者がいなくなった海棠に水をやりましたなんてのがあざといのにほろりとくる。言葉は悪いが肉親の死をもネタにして美しい物語にしてしまえるのが小説家なのでしょう。(『現代日本文学大系29 鈴木三重吉森田草平寺田寅彦内田百間中勘助集』)
 

「刺青」谷崎潤一郎 ★★★★★
 ――それはまだ人々が「愚」という尊い徳を持っていた自分であった。誰も彼も挙って美しからむと努めたあげくは、天稟の体へ絵の具を注ぎ込むまでになった。

 「美に耽る」という言葉通りの意味の「耽美」小説。旺文社文庫版で読んだのですが、刺青のシーンが桑田雅一の切り絵になっていて、(普通なら絵にしちゃいけないシーンだと思うんだけど)けっこう絵になってました。(『刺青・春琴抄』)
 

「椿」里見トン ★★★☆☆

 義姉と義妹が夜中に布団に入って会話をしていたら椿が落ちて、「あら」という話。行間から何かを読み取るもよし、読み取らぬもよし。(『北村薫の創作表現講義』)
 

「鮨」岡本かの子 ★★★★★
 ――福ずしは始めは、主人夫婦と女の子のともよ三人きりの暮しであったが、やがて職人を入れ、子供と女中を使わないでは間に合わなくなった。客のなかの湊というのは、五十過ぎぐらいの紳士で、濃い眉がしらから顔へかけて、憂愁の蔭を帯びている。

 前半は『名短篇、さらにあり』で読んだ「家霊」のような、家の娘ゆえの引け目とたくましさ、後半はその娘から見た「鮨」男の思い出、あんたらみんなかっこよすぎるよ。(青空文庫
 

サラサーテの盤内田百間 ★★★★★
 ――中砂の奥さんがやって来た。夫が貸していたサラサーテの盤を返してほしいという。奧さんはそれからいつもやって来るようになった。

 サラサーテの肉声が録音されてしまったレコードという、イマドキの怪談話のようなアイテム。怖さを予期して身構えている読者の覚悟をかわしてしまうような、皮膚一枚分だけ感覚自体のずれた怖さが一級品です。(『現代日本文学大系29 鈴木三重吉森田草平寺田寅彦内田百間中勘助集』)
 

「生涯の垣根」室生犀星
 

「虎」久米正雄 ★★★☆☆
 ――新派俳優の深井八輔は、有名な三枚目役者だった。今度振られた役というのは、ただ『虎』の一役だった。人の名ではない、ほんとの獣の虎に扮する一役だけだった。

 この深井のポジションというのが今となってはどうもわかりづらい。有名で人気者というのだから大部屋俳優ではないのだろうし、といって今の感覚で名脇役とか喜劇俳優とかいうのとも違うようです。だけど嫌な子どもだよなあ。子どもじゃなくても嫌だよ。自分が持っているコンプレックスやら立場やらを汲んだ表情を、自分の目の前で他人にされたんじゃあ。(『現代日本小説大系32 新現実主義2』)
 

「お豊の貞操芥川龍之介 ★★★★☆
 ――「明日になるとな、三毛公、この界隈へも雨のように鉄砲の玉が降って来るぞ」乞食は急に口を噤んだ。誰かのけはいがした。まだ年の若い女だった。「何だい、お前は新公じゃないか?」 彼女は少し落ち着いたように、こう乞食へ声をかけた。

 こういうのを読むと改めて思うけど、芥川ってツボがわかっていたんだなあ(ってエラそうに書いちゃいましたが)というか、そうなるしかないようなことをそうなるように書けてしまえるのって、すごい。短篇作家だってのもわかる気がします。(青空文庫
 

「窓展く」佐藤春夫 ★★★☆☆
 ――奥まった路地に、鳥籠のような恰好の家が七八軒一廓をなしている。ある日、雪隠のうらへ出た……「や、どうもすいません」突然そう言ったのは、隣の豆腐屋のおやじだった。豆腐屋が新しく窓を設けたのである。それは、私の家の雪隠の窓と向い合っていた。

 なんと住宅問題小説。隙間もないほどぴったりとくっついて建てられた家だから、何かとトラブルが絶えなかった隣家が、よりによってトイレの真っ正面に新たに窓をつけ、あろうことかそれを開けっ放しにしておくというとんでもなさ。語り手の方も意地を張ってトイレの窓を開けっ放しにしておくのだからなにをかいわんやではあるのですが。(『佐藤春夫全集5』)
 

「雲雀」藤森成吉

「山の幸」葉山嘉樹
 

押絵と旅する男江戸川乱歩 ★★★★☆
 ――この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったら、あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに違いない。

 惜しいかな押絵の話になるとつまらなくなっちゃう(と言っては言い過ぎだけど)、冒頭や結びの夢かうつつか幻かという、とろんとした緊迫感のある雰囲気の方が好きでした。(『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩集』)
 

「アリア人の孤独」松永延造 ★☆☆☆☆
 ――私が未だ十九歳の頃であった。 私の生家から橋一つ越えた、すぐ向うの、山下町××番館を陰気な住居として、印度人〈アリア族〉の若者、ウラスマル氏が極く孤独な生活をいとなんでいたと云う事に先ず話の糸口を見出さねばならない。

 あんまりよくわからない。こういう「解説」タイプの小説って、何でもないことを大げさに「これこれはこうだったのだあ」と書かれると興ざめです。大げさだと感じてしまうのは、つまりわたしが鈍感で、かつ作品が繊細であるということなのだろうけど。(青空文庫
 

「ゼーロン」牧野信一 ★★☆☆☆
 ――更に私は新しい原始生活に向うために、一切の書籍、家具、負債その他の整理を終ったが、最後に、売却することの能わぬ一個のブロンズ製の胸像の始末に迷った。結局龍巻村の藤屋氏の許に運んで保存を乞より他は道はなかった。知合いの水車小屋から馬車挽き馬のゼーロンを借り出さなければならなかった。

 なんだか外国の小説を登場人物名と舞台だけ日本に変えたようなミスマッチ感ぷんぷんの作品でした。たぶん「走れメロス」とかが「走れ太郎」とかだったら感じるようなミスマッチ感。(青空文庫
 

「へんろう宿」井伏鱒二 ★★★☆☆
 ――この土地では遍路のことを、へんろうという。宿屋は何軒あるかとたずねると、へんろう宿が一軒あるというのである。

 泊まった宿屋の隣の部屋から聞こえてくる身の上話。代々受け継がれているわけでもないのでしょうが、神職世襲しているかのごとく、何か聖性すら感じさせるような達観と諦念がすがすがしい作品でした。(著作権は切れてないはずなんですが、ネット上で読めちゃいますね)
 

「機械」横光利一 ★★★★★
 ――初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。三つにもならない子供がいやがるからといって、親父をいやがる法があるかといって怒っている。畳の上をよちよち歩いているその子供がばったり倒れるといきなり自分の細君を殴りつけながらお前が番をしていて子供を倒すということがあるかという。見ているとまるで喜劇だが本人がそれで正気だから反対にこれは狂人ではないのかと思うのだ。

 ニュートラルにもほどがある語り手が、奇妙を通り越して怖いくらいでした。いやあ実際、こういうふうにすべてを感情よりも損得勘定詰めで考える人ってのは怖いです。殴られたり疑われてたりするのに、痛さをまったく感じない語りに独特のクセがあって面白い。そういう、怖いんだけどのほほんとした文章を面白がっていると、ちゃんと落ち(?)までついていて唸らされます。ミステリ好きにも相性がいいと思ふ。(青空文庫
 

「渦巻ける烏の群」黒島伝治 ★★★☆☆
 ――やはり西伯利亜だと思った。氷が次第に地上にもれ上って来ることなどは、内地では見られない現象だ。「ガーリヤ!」そして、硝子を叩いた。「何?」「パンだ。あげるよ。」……それが今日は返事がない。誰か来ているのか? 出てきたのは、ぷりぷりと不機嫌な少佐だった。

 小説というよりも、ぶっきらぼうでぎこちない手記みたいではあります。怒りも悲しみもなく、ただ事実だけを描いたような素っ気なさゆえにかえって伝わってくるものがあるのも事実。だってリアルな現実なんてこんなものです。死ぬときは階段で転んで死んだりもしちゃうわけで。劇的なことなんて何一つありません。(青空文庫
 

「焼跡のイエス石川淳 ★★★★☆
 ――昭和二十一年七月の晦日、明くる日から市場閉鎖というふれが出ている瀬戸ぎわで、殺気立つほどすさまじいけしきであった。「白米のおむすびだよ」とどなっているが、白米という沸きあがる豊饒な感触は、むしろ売手の女のうえにあった。そのとき、一箇の少年……ボロの土まみれに腐ったのが立ち上がったような、悪臭を放ったのが飛び出してきた。ものおじししそうにない兵隊靴の男でさえ、および腰であった。

 『石川淳短篇小説選』で読んだばかりなので。
 

「バッタと鈴虫」川端康成 ★★★★★
 ――街の子供の一人が鳴く虫の声を聞いた。明くる日は紅提灯を買い虫の居所を捜した。「バッタ欲しくないか」「頂戴な」女の子が手を出した。

 思春期未満の心温まる一こまから、突如として人生にまで広がるスケール感にびっくりします。そしてまた少年の日の一こまに戻る、SFXやCGの映画を見ているような変幻自在の美しさでした。(『掌の小説』)
 

「暢気眼鏡」尾崎一雄 ★★★☆☆
 ――「ちょっとォ」という芳恵の声に、「うるさいな」と思い思い目が覚めた。「ほら」と突き出したものが何だかわからない。「何だ」「邪魔だから取っちゃった」それは入歯の金歯であるらしかった。

 暢気だ暢気だと言葉で書かれても、「私天然ぼけです」って自己アピールされてるみたいで、しらける一方。「暢気眼鏡っていう小説を書こうと思ったんだけど」とか「暢気眼鏡なのは私の方だったかもしれない」とかって、奥の手を安易に使っちゃってますし。(『現代日本文学大系68 尾崎一雄中山義秀集』)
 

「秋風」中山義秀

「告別」由起しげ子
 

「闇の絵巻」梶井基次郎 ★★★☆☆
 ――ある強盗が語ったところによると、何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快な戦慄を禁じることができなかった。 闇! そのなかではわれわれは何を見ることもできない。より深い暗黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫って来る。こんななかでは思考することさえできない。

 梶井基次郎の作品というのは、「桜の樹の下には」にしても猫の耳の話にしても、あるある妄想ネタとでもいうべき世界観にあふれています。本篇でも独特のまとわりつくような文体で描かれた闇の恐怖と魅力は著者の独擅場。永遠の思春期作家・基次郎クンの感受性が堪能できます。(青空文庫
 

「散歩者」上林暁 ★★★★★
 ――少し気障な言い方をすれば、私は孤独な散歩者である。仕事に疲れたり、思いに屈したりするたびに、私は家を飛び出て、新市域の街をさまよい歩くのである。

 気障も何も「孤独な散歩者」と言いながら、やっていることは女の品定めなのが可笑しい(^^)。手をつないでいる男女に嫌悪を感じたり、女の何気ない仕草にがっかりしたりといった語り手の主観的好悪が、紀行文みたいなまなざしのさりげない名文で綴られるからこそ面白い。いやでも実際、当時をしのばせる風俗エッセイの名品です。(『上林暁全集』)
 

「幸福の彼方」林芙美子 ★★★☆☆
 ――「僕に子供があることを吉尾さんは話したかな」絹子は、「えッ」と息を呑んで信一の顔をみつめた。子供が生れると間もなく、妻は子供を置いて信一の友達と満洲へ逃げて行ってしまったのだ。信一は子供を里子に出すことにして出征したのであった。信一は去年戦場から片眼をうしなって戻って来た。

 これはまたベタな話ではあるが……。そのタイミングでそういうこと告白するかぁ?というのが気になって仕方がなかった。好き嫌いは別にして人間としておかしいだろうに。――と思うわたしは潔癖なのだろうか。そんなだからどこもかしこもわざとらしく感じられててんで受け付けませんでした。(青空文庫
 

「うけとり」木山捷平
 

「小美術館で」永井龍男 ★★★☆☆
 ――冷房の利いた午前の美術館は、ウィークデーの静けさに満ちていた。喫茶室の係りは三人とも未亡人だ。ジェントルマンさんは今日も来るだろうか。

 なんだか美術館訪問エッセイのように始まりますが、場面が三人の喫茶係に転じれば途端にかしましい。埴輪や歴史が修辞的に使われていますが、ちょっとあざとい感じがしないでもありません。さらりとした大人の恋って感じです。(『現代日本文学大系86 井上靖永井龍男集』)
 

「聖家族」堀辰雄 ★★☆☆☆
 ――死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。がやっとのことで群集の外に出たとき、細木夫人は自分が一人の見知らない青年の腕にほとんど靠れかかっているのに、はじめて気づいたようだった。「僕、河野です」何だかその青年に一度どこかで会ったこともあるような気がした。そう言えば何処かしら死んだ九鬼に似ているところがあると彼女は思った。

 どうもこの手の心理小説というのはよくわからない。書けば書くほど陳腐になるというか、読み終わるころにはげんなりでした。美しげな文章とは裏腹に読む者の体力生命力を奪います。(青空文庫
 

「心願の国」原民喜 ★★★★☆
 ――ふと僕は湖水のほとりの森の径で、今は小鳥になっている僕の親しかった者たちと大勢出あう。「おや、あなたも……」「あ、君もいたのだね」寝床のなかで、何かに魅せられたように、僕はこの世ならぬものを考え耽けっている。僕に親しかったものは、僕から亡び去ることはあるまい。死が僕を攫って行く瞬間まで、僕は小鳥のように素直に生きていたいのだが……。

 肉体を持たない者がふと心に夢見たような透明なスケッチ。クリスチャン作家ではないようなのだけれど、「神の国」的なうさんくささも感じてしまったのはなぜなのだろうか。私小説的に読んでしまうから駄目なのかな。原爆とも縁もゆかりもない作家が書いたものと思えば、繊細すぎてこの世と折り合いのつけられなくなった人間の絶唱が幻想的に描かれているいい作品じゃないかと思うんだけども。(青空文庫
 

「波子」坂口安吾 ★★★☆☆
 ――「死花」という言葉がある。美しい日本語のひとつである。伝蔵自身が、そう言ふ。そうして、伝蔵が、死花を咲かせるなどと言いだしたのは、波子の嫁入り話と前後していた。

 安吾というと強烈な意思のみなぎる作品の印象が強かったけれど、こんなふつうっぽい小説も書いていることに驚きました。まあちょっと極端ではありますが、父と娘の何となくな確執が綴られます。(青空文庫
 

山月記中島敦

 うむむ……作品の絶対数が少ないから、中島敦を収録するとなれば「またか」という顔ぶれになるのは仕方ないといえば仕方ないのですが……。(青空文庫
 

富嶽百景太宰治 ★★★★☆
 ――広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。

 『津軽』同様の、紀行エッセイのような私小説のような、一見ゆるゆるお気楽なところにほっとします。(青空文庫
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