『時間都市』J・G・バラード/宇野利泰訳(創元SF文庫)★★★★☆

 『Billenium』J.G. Ballard,1962年。

「至福一兆」(Billenium)★★★★☆
 ――ウォードの部屋は四・五平方メートルあり、法規で定められた広さから〇・五平方メートル超過していた。こんな広い部屋が見つかるとは運がいい。人口は一年間で百万人ふえる計算で、居住スペース配分の規則がまた縮小されるという噂だ。

 相対的に描かれた満足と不満。シチュエーションだけがSF的発想に極限まで推し進められながら、描かれている普遍的な現況。あきれるほどに寓話っぽい内容なのに、説教くささのかけらもなく、ひたすらかっこいい。
 

「狂気の人たち」(The Insane Ones)★★★★☆
 ――精神自由法はなんびとにたいしても狂気になることの自由を付与していた。これには隠された狙いがあって、〈潜在意識〉へのテクニックが放恣にながれるのを規制するところに趣旨があった。精神科学全般にわたって組織的な弾圧がくわえられ、グレゴリー博士は大統領の娘に精神療法の手当をしたかどで三年のあいだ投獄された。

 「狂っている」とはいったい何なのか? 「脳葉切除」というのはロボトミーのことでしょうから、今読むとはからずも、結果的に誰が正しくて何が正しいのかがまったくわからないという効果が意図以上にいっそう強められています。作品世界を成立させるための狂人政策という世界設定が秀逸です。
 

「アトリエ五号、星地区」(Studio 5, the Stars)★★★★★
 ――ヴァーミリオン・サンズでの夏のあいだ、ぼくは星地区アトリエ五号にすむ美しき隣人の詩に悩まされた。ちぎれたテープの束が砂漠の風に乗ってながれてくるのだった。隣人のVTセットは記憶装置が故障しているにちがいない。古典詩人のヴァリエーションを打ち出すかわりに、原作の語句そのものを吐き出しているだけなのだ。

 機械が吐き出した詩の断片、砂ぼこりとともに舞う詩のテープ、夢遊病の美女、という断片的なイメージの数々が美しい作品です。美女の正体は詩神のようで詩神でもなく、といって自らが詩神だという考えに囚われた狂人というわけでもなく、謎は謎のまま、最後には詩だけが残る不思議な余韻を残します。
 

「静かな暗殺者」(The Gentle Assassin)★★★★★
 ――ジェイミスン博士がロンドンに到着したのはちょうど正午だった。戴冠式のパレードが行われる当日。拝観しようとする人々が待機しているのだった。「二階の部屋を予約していたが」「たしかにございます。二年も前のお申し込みですな」

 本書のなかではかなり普通のSF、という意味では異色作。ミステリー・ゾーンとかそんな感じっぽい。かなりストレートな作品ではあるものの、最後まで読んだあとで少女についての描写を読み返すと、やっぱり泣けてきます。
 

「大建設」(Build-Up)★★★★★
 ――「飛行機械自体は単純なものだ。巨大な空間が必要ではあるが。交通省当局が賛成するとは思えない。三四七‐二五階層ならあるいは――」「あれではまだじゅうぶんな広さではありません。自由空間です」何十層にもわたってはてしなく都市が建設されていた。百ブロック以上の建設は法規上認められていない。

 飛行するための空間がない→飛行が存在しない→飛行機で遠くまで飛ばれると都合が悪い……理屈としてはこうなるのでしょうが、管理社会めいたディストピアっぽさをまといながら、完全にこの世の宇宙の謎についての話であるところが、何だか不思議な感じがするし、最後の最後になってSF的うっちゃりがあるのにもびっくりしました。空間と時間が……? 飛行の話や放火の話など完全には説明されない点も多々あることも手伝って、結果的に全体としてかなりいびつな印象を受けますが、それだけに「同じ世界設定で続編とか読みたいな」と思わせる広がりを持っています。
 

「最後の秒読み」(Now:Zero)★★★☆☆
 ――話の発端はこうだ。おれは保険会社の社員だったが、部長というのが底意地のわるい男で、おれの昇進を報告するのを強情に拒否した。怒りがおさまらないおれは、古いノートに文句を書きつづってみた。そんなストレス発散が日課となったが、ある日腹に据えかねて「部長は八階から落ちて死をとげた」と書き添えたところ……。

 今となっては『デスノート』を連想せずに読むのは難しいアイデアが使われています。警察に目をつけられたとか円光が見えるだとか言っているのを見れば、あきらかにこの語り手は妄想癖と自意識過剰なところがあって、ということは明らかに出世できないのは本人の問題なのでしょう。そういう、語り手本人の主観と実際とのずれが読者にも伝わってくるお間抜けな話――だと思ったのに、この結末? ブラウン「うしろを見るな」を連想するような話ではなく、「あ〜あ、本式に頭がおかしくなっちゃったね、この人は」と思うべきなのかな?
 

「モビル」(Mobile)★★☆☆☆
 ――ルービッチという男にいっぱい食わされた。まさかあんな鉄のスクラップの寄せ集めを、作品と称して持ちこむとは、考えてもみなかった。おく場所もないので庭の芝生のおくに据えた。一週間後、妻のカロルがとつぜん声をかけた。「ビル、たしかにあれ、うごいているわ」

 バラード特有のイメージの美しさみたいなものがありません。「最後の秒読み」にはあったサスペンスもなく、ただただ鉄筋が成長するというだけの話です。
 

「時間都市」(Chronopolis)★★★☆☆
 ――ニューマンは時間観念にとり憑かれていた。この偏執が、彼を殺人の罪に追いやったのだが、そもそものはじまりは偶然のできごとだった。子供のころ、古い時計塔を見るたびに、そこに十二の間隔に等分した白い円盤がそなえつけられているのに気づいた。その街では、時がのろのろとすぎていった。時計を持つことは法律をおかすことだった。

 発端からしばらくこそ『華氏四五一度』みたいな、大事なものが失われたディストピア・ファンタジー風だったのに、肝心の「時間都市」の説明になった途端に現実的すぎるというか地味というか、機械の説明書を読んで聞かされているような疲労感ばかりを感じました(管理社会のひどさを描いているにしても……階級別とか色別とか、そんな細かく説明する必要あるのかな? バラードにしてはこってり説明されていて、それが裏目に出た感じです)。しかし時計の針の音を知っている現実の読者からすると、この結末はかなりの恐怖です。まさに狂気。黒板をキーキー引っ掻くような、いや〜な感じの怖さでした。
 

「プリマ・ベラドンナ(Prima Belladonna)★★★★☆
 ――ぼくがジェイン・シラシリデスと知りあったのは、十年間もつづくヴァケーションの期間だった。ぼくは店で、調律のむずかしいアラクニッド蘭の音律をととのえていた。ふりかえると、金色の肌をした女性客がはいってくるところだった。「わたし、きのうついたばかりなの。歌う花でもおかないとさびしすぎると思って」売り物ではないとことわったのだが、彼女はアラクニッド蘭に興味をしめした。

 ヴァーミリオン・サンズもの。歌う草花と歌姫の話。「金色の肌と昆虫に似たひとみ」というのは、読むとかっこいいけれど、絵を想像するとC3PO?もとい『メトロポリス』のマリアかな。才能にひたり相手を死に至らしめる猛毒の女神です。
 

「時間の庭」(The Garden of Time)★★★★★
 ――夕暮が近づくと、アクセル伯は書斎を出て、時間の花の咲く庭園へ降りてゆくのだった。部隊の先頭が、地平線の丘の頂に達した。それを見たアクセル伯は、大輪の花をえらんで折りとった。いつのまにか、大群衆が地平線の向こうに退いて、静止してしまったかに見受けられる。

 迫り来る暴徒、化石化した時間の花、静かな生活をいとなむ老夫妻、繰り返される毎日のなか確実に迫ってくる終わりの日。抑えた筆致で描かれる硬質な幻視が感動的な作品です。
 

 
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