『看板描きと水晶の魚【英国短篇小説の愉しみ1】』西崎憲編(筑摩書房)★★★★☆

「豚の島の女王」ジェラルド・カーシュ西崎憲The Queen of the Pig Island,Gerald Kersh,1953)

 北村薫のアンソロジー、カーシュの短篇集で読んだので今回はパスしましたが、傑作です。カーシュ(再?)評価のきっかけになった作品ですね。
 

「看板描きと水晶の魚」マージョリー・ボウエン/西崎憲(The Sign-Painter and the Crystal Fishes,Marjorie Bowen,1976)★★★★☆
 ――ルシアスの部屋にフォンティン卿が入ってきた。「わたしのために看板を描いてもらえるかね」ドアの上の看板には、片側には絞首台、反対側には白い魚が描かれていた。

 プリズムのなかに閉じ込められた二人が、光や色の移り変わりとともにくるくると局面を変えながら永遠に殺し合うような、不思議な小説。とはいえ、すべては説明されません。謎のまま。
 

「羊歯」W・F・ハーヴィー/西崎憲(The Fern,William Fryer Harvey,1910)★★★☆☆
 ――ヘンリー・ポーター氏はごくありふれた人物である。だが秘密がひとつあった。ポーター氏はキラーニー羊歯が生えている場所を知っていたのだ。

 「炎天」でおなじみハーヴィーの、普通小説。中年の凡人の唯一の楽しみに干渉するのが、若者であるのが、いっそうの悲哀を感じさせます。
 

「鏡のなかの貴婦人――映像」ヴァージニア・ウルフ佐藤弓生(The Lady in the Looking-Glass: A Reflection,Virginia Wolf,1929)★★★★★
 ――人は、室内に鏡を掛けたままにしておいてはいけない。それは、悪事の露見につながるような小切手帳やら手紙やらを開いたままにしておくべきではないのと同じことである。

 「人は、室内に鏡を掛けたままにしておいてはいけない」。その心は――真実を映してしまうから――なのでしょうか? 鏡に映った(reflection)「事実」の「断片」から空想の翼を広げ思い(reflection)を馳せながらも、「事実」の「すべて」がありのままに映ってしまうのが衝撃的です。
 

「告知」ニュージェント・バーカー/西崎憲(The Announcement,Nugent Barker,1936)★★★☆☆
 ――自分が市立図書館に入ろうとしていることに気づいて、男は苦笑いを浮かべた。習慣が男をその場所に連れてきたのだ。心にあった目的地は、さらに百メートル先にあった。

 本書のなかではめずらしく、一発ネタ系の作品です。
 

「詠別」J・ゴールズワージー/高山直之訳(Gone,John Galsworthy,1912)★★★☆☆
 ――貧しいハード家を訪った悲報をはじめて耳にした、あの夏の日の美しさに優る類稀な美を想像できようか。さながら金糸の蜘蛛の巣の如き美しさに世界は捕えられていた。

 あまりにも美しい叙景と(貧乏人の)死が対比されているのですが、なんだか安全な場所からきれい事を口にされているみたいでした。冒頭のやたらと美しい描写が光ってます。
 

「八人の見えない日本人」グレアム・グリーン西崎憲(The Invisible Japanese Gentlemen,Graham Greene,1967)★★★☆☆
 ――八人の日本人紳士が魚を食べていた。その一団の向こう側の席にきれいな娘が座っていた。「いい? だから来週には結婚できるのよ」「ほんとかい?」

 自分の興味のない話や避けたい話に曖昧にうなずきつつ、話の継ぎ穂に、たまたま目についた無関係のことを口にして、相手を怒らせる……というのはよくある話です(その「無関係のこと」というのがなぜか日本人)。話をしているのが作家になりたがっている気の強い女だったり、相手の男がどっちつかずの人間だったりと、絶妙にして直球のあるあるネタとも言えます。
 

「花よりもはかなく」ロバート・エイクマン/西崎憲(No Stronger Than a Flower,Robert Aickman,1968)★★★★★
 ――ネスタはいつも信じてきた。男がどう言おうと彼らがほんとうに関心を持っているのは女の容姿だということを。そしていまネスタが一番気に入らなかったのは、カーティスが結婚式の日以来容姿のことに触れなくなったことだった。

 表題作同様、エイクマンも「説明」しない作家です。タイトルはシェイクスピアソネットより。“死の暴力の前では美にできることは花よりもはかない。黒いインクのなかでだけ輝き続けることができる”という内容の詩です。もしかすると不気味なことも不思議なことも何一つ起こってはいないような気もするのに、決定的に何かが変わってしまったんですよね。どこでどう……。
 

「リーゼンベルク」F・M・フォード/高山直之訳(Riesenberg,Ford Madox Ford,1911)★★★★☆
 ――温泉療養所の同居人は、ほぼ半数が正気と狂気の境をさまよう哀れな患者たちであり、残りの半数はフィリップ・ハンズのような親思いの者か看護人だ。

 まさかの展開(^_^)。暗く狂気たゆたう前半が180度ひっくり返ります。ある意味ショック療法。

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