品切れだったのが復活したので、重版がかかったのかと思ったらそうでもないらしい。奥付を「初版」のまま変えずに刷ったのか、どこかに仕舞ってあったのを蔵出ししたのか。
『古今百物語評判』
これは識者のところに集まってみんなで怪談話をして、それを先生が当時の科学(?)陰陽五行で斬る!という内容。岩波文庫の『江戸怪談集』にも抄録。
「越後新潟にかまいたちある事(1-1)」
かまいたちが都人や名門を襲わないというのは初めて知ったので、どうやら陰陽五行で解釈するための後付けのよう――だと思ったら『御伽婢子』にも同じような記述があるんですね。
「絶岩和尚肥後にて轆轤首を見給ひし事(1-2)」
「水母の目なく蝙蝠のさかさまにかゝり、梟の昼目しいたる類」があるように、「天地のかぎりなき造化の変」は「はかりがたし」というのがユニークですが、当時は今と「妖怪」観も違ったでしょうし、どれも奇形とかそういう認識であれば筋は通っているようにも思います。
「鬼と云ふに様々の説ある事(1-3)」
後半がやたらまともな解説なので(地獄は布教の方便だとか、伊勢物語の鬼一口とは二条の后の親戚だとか)、怪談話を読むという立場からはかえって物足りません。
「西の岡の釣瓶をろし并陰火陽火の事(1-4)」
つるべおろしは木の精だ。火には陰火と陽火があり、雷にしてもつるべおろしにしても陰火だから水をかけると逆に燃えるんだ。雨の日に見えるのはだからなんだ。木の精が陰火なのに山火事が起こるのは、静=陰、動=陽だから、梢が動いてこすれて陽の火を発するからだ――何とか説明をつけようと腐心しているさまが窺えます。
「こだま并彭候と云ふ獣 付狄仁傑の事(1-5)」
なるほど「谺」と「木霊」の話です。ディー判事登場。
「見こし入道并和泉屋介太郎事(1-6)」
これはごく普通に合理的です。
「犬神四国にある事(1-7)」
集っている人の怪談話に先生が解説をつけるのではなく、先生の解説だけの内容です。今はもうこんなこともなくなった――という内容なので、体験談や又聞き談には不向きだからでしょう。内容も、犬神の紹介に近く、解説めいたことはあまり言っていません。
「神鳴付雷斧雷墨の事(1-8)」
雷の原因が陰の気と陽の気が云々というあたりは科学的にも当たらずとも遠からずだったりしますが、悪人には陰の気がたまるから雷が落ちるといって教訓めいた話になってしまうのは残念。雷に打たれた人が「皮肉は損せずして、その骨のとろくる」という描写がホラーです。
「狐の沙汰付百杖禅師の事(2-1)」
先生ではなく後半は「ある人」が怪談話と解説の両方をやっているように、いろいろと語りに工夫が見られるようです。
「狸の事付明の鄒智并斎藤助康手柄の事(2-2)」
これまた犬神のときと同様、先生が怪談をして解説はなし、というパターン。狐と原理は一緒なので繰り返しを避けたのでしょう。ただし先生の話なので中国の古典(皇明通紀)と著聞集が出典です。大きな手に化けるというのは、やはり狐ではなく狸がさまになりますね。
「有馬山地ごく谷ざたう谷の事(2-3)」
座頭谷の由来解説は身も蓋もありません。
「箱根の地獄并富士の山三尊来迎の事(2-4)」
今でいう臨死体験がきっちり説明されています。身体に「紫色なる所など出来候ふ」という補強箇所もある分、解説としてもサービス精神があって面白い。
「うぶめの事付幽霊の事(2-5)」
今や京極堂ですっかりお馴染みになった「をばれう\/」の話です。「くされる魚鳥より虫のわき出で、又は馬の尾の蜂になり申す類、(中略)産婦のかばねより此鳥わき申すまじとも申しがたし」というロジックは轆轤首と一緒ですね。馬の尾蜂というのは知らなかったのですが、確かめてみると、本当に尻尾の先から蜂が生まれたみたいな面白い形をしていました。煙には形がないが積もれば煤となるのと同様、魂も形はないが思いが強ければ凝るのだという考え方も、たとえとして非常に上手くてユニークです。
「垢ねぶりの事(2-6)」
石燕の「垢嘗《あかなめ》」の元になったと言われているばけものです。名前に合点がいかない、というのは、なぜ「垢ねぶり」と呼ばれているのかわからないということなのか、なぜ垢をねぶる(なめる)のかがわからないということなのか、わかりませんが、これも轆轤首や産女と同様の解説がほどこされています。
「雪隠のばけ物付唐の李赤が事(2-7)」
柳宗元の李赤伝が紹介されています。厠の鬼に取り憑かれて、初めは首、次には半身を厠の壺につっこみ、最後には……という、怪談らしい怪談でした。
怪談というより説話のような物語です。こうしてみると先生は、動物や植物が化けるのは肯定しているんですね。あるいは「気」のようなものも。
「道陸神の発明の事(3-2)」
仏が祟るわけがない、石仏・石塔に取り憑いた亡魂が祟るのだ、という姿勢に、先生のスタンスが見えます。そもそも陰陽五行というのがこの世の仕組みを説いたものなのだから、すべてのことが陰陽五行で説明できるというのは、理屈から言えば当然――?なのかもしれません。怪談話披露→先生の解説という流れではなく、先生が怪談のあらすじを話しながら解説をしているので、ちょっとごちゃごちゃしている感がありました。
「天狗の沙汰付浅間嶽求聞持の事(3-3)」
有名な天狗さらいのエピソードです。天狗ともなると伝承もいろいろありすぎて、やたらと引用していますが先生も困っているようです。
「銭神の事付省陌の事(3-4)」
銭神とは、薄雲のようなものがざわめいているのを斬りつけると銭がこぼれ落ちるという現象のこと。先生曰く、銭の精のようなものだそうです。それから、子虫と母虫の血をそれぞれ銭に塗りつけ、片方を手元に置いて片方を使っても、母子が慕っているため使った銭も手元に戻ってくる――子母銭という『捜神記』のエピソードが紹介されています。そのあとは解説というより貨幣の蘊蓄でした。
「貧乏神并韓退之送窮の文、范文正公物語の事(3-5)」
貧乏神が肩から落ちたという話に対し、先生は「貧乏神は徳とは関係なく天命だ」と言って中国の作品を紹介しています。これも解説は少なめです。
「山姥の事付一休物語并狂歌の事(3-6)」
先生が最後に自作の狂歌を披露しているのがお茶目です(^_^)。
「叡山中堂油盗人と云ふばけ物付青鷺の事(3-7)」
油で儲けた男が落ちぶれ死んでのち怪火となって夜な夜な油火の方へ飛んでゆく――人呼んで「油盗人」。先生は基本的に怨霊は否定していないのだけれど、それは「煙が積もって煤となる」式の考え方なので、死んだばかりの百年前なら執心も強かっただろうけれど、その後怪異もやんでいることだし、現在見える怪火は怨霊じゃなく青鷺だよ……と、それなりに筋道は通っているんですよね。
「徒然草猫またよやの事并観教法印の事(3-8)」
先生ではなく一般人が、わざわざ徒然草の話を持ち出しています。ポピュラーなばけものだと思うのですが、体験談や同時代の怪談が紹介されることもなく、ほぼ(猫またではなく猫の)蘊蓄です。
「摂州稲野小笹付呉隠之が事(4-1)」
いなのの竹を切ると狂人になるので今は堀がほられている。「有馬山いなの笹原風吹けば……」の古歌が名歌だからだろうか――という怪異自体もわかったようなわからないような話ですが、単なる脅しだというこれまた味も素っ気もない解説でした。
「河太郎付丁初が物語の事(4-2)」
河太郎とは川獺の年経たもの――という先生の解説なので、挿絵の河童も川獺姿です。
「野衾の事(4-3)」
先生、野ぶすまって何ですか? ばけものじゃないよ、ムササビのことだよ。でも昔は鳥に分類されていたんだよ。木の実を食べたり、火焔を食べたりするんだよ。飛びながら子に乳を飲ますんだよ。
「梟の事付賈誼鵬鳥の事(4-4)」
「梟は怪鳥の最上」と書かれてあります。単に怪しい鳥・不思議な鳥という意味なのか、それともばけもの扱いなのでしょうか。となると轆轤首のときのロジックが怪しくなってくるのですが……。
「鵺の事付周の武王往亡日に首途の事(4-5)」
なぜ弓で倒せるのか? その答えが、いかにもこうしたものの由来譚っぽくてかっこいい。
「鬼門付周の武王往亡日に門出の事(4-6)」
鬼門がなぜ忌まれるのかは先生にもわからないらしく、故事の紹介に留まっています。
「雪女の事并雪の説(4-7)」
前半は「雪女ってほんとにいるんですか?」という話なのですが、後半は「雨は透明なのにどうして雪は白いんですか?」という「科学なぜなに質問箱」みたいな内容になっていますが、怪異というものを“不思議なこと”だととらえればあながち変でもないのでしょう。現代科学を抜きにしてみても、先生の説明する白く見える理由はちょっと説得力不足ですが。
「西寺町墓の燃えし事(4-8)」
墓より怪火が出ること自体よりも、加持祈祷をしても消えなかった火がそのうち自然消滅したという出来事を不思議がっているところが面白いです。「元より水火は天地陰陽の精気にて分のたゞしき物なれば、其あるべき処にあたりてはあらずといふ事なく、なかるまじき所にあたりてはある事なし。されども鬼神幽冥の道理なれば、人悉く其理をわきまふるに及ばず。其珍しきに付きて、或はばけ物と名付け不思議と云へり。世界に不思議なし、世界は皆ふしぎなり」という先生のお言葉がかっこいい。
「舟幽霊付丹波の姥が火付津の国仁光坊の事(4-9)」
本書ではお馴染みになった、人の執心の話です。
「雨師風伯の事付殷の湯王唐の太宗の事(4-10)」
今の目で見ればただの自然現象ですが、雨風も「不思議なこと」には違いなく、それを陰陽五行で説明しています。
「黄石公の事(4-11)」
怪しい存在が現れて軍法の奥義を与えたなんて、箔を付けるための方便だ、と言い切っています。
「痘の神疫病の神付斬厮乙の字の事(5-1)」
『群談採餘』の話が紹介されています。人間に化けた五人の疫鬼が川を渡ろうとしたが、護符を見せたら逃げ帰った。背負っていた袋には小さな棺桶が三百個ずつ入っていた――というなかなか怖い内容です。「川際で防いだ」というのが何か実際のウィルスや菌の進入経路を物語化したようにも思えます。
「蜘蛛の沙汰并王守乙が事(5-2)」
頼光ほどの名将が蜘蛛ごときに襲われるなんて解せないのですが?という質問も何だか蜘蛛を見くびっていますが、解説は解説で、知恵を使って網を張り捕えた虫を誅するから「蜘蛛」と書くのだけれど、それがあくどいとかって散々な言われようです。
「殺生の論付伏犠神農梁の武帝の事(5-3)」
先生、ここぞとばかりに熱弁をふるっています。怪異の解説ではなく、道徳論というか儒教的な訓話みたいな話ですが。
「龍宮城并山の神付張横渠の事(5-4)」
山神水神龍王みんな実在するけど、物語に出てくるようなのは嘘だよ、という解説です。
「仙術幻術の事(5-5)」
山奥に行って死んで姿を消したのを、尸解とか言ってるだけのことが多いのが仙術。幻術とは奇術のこと。
「夢物がたりの事(5-6)」
病夢、思夢、瑞夢など、夢いろいろ。
「而慍斎化物ものがたりの事(5-7)」
而慍斎とは著者の山岡元隣の号。腐れ儒者や腐れ坊主など、世は化物ばかりだ、という話。まとめに入っています。
「而慍斎の事并此草紙の外題の事(5-8)」
そしていよいよ本当のまとめです。
『諸国新百物語』
百物語とは言っても怪談集ではありません。『御伽比丘尼』の改題とのこと。
「志賀の隠家付り尺八の叟(1-1)」
世俗を超越した名僧の話に、名演奏の話を合わせたもの。楽の音が神仏の心をとかし森羅万象を動かす話が古典にはよくありますが、そんな感じです。髪を伸ばしている老僧の姿に、老僧の主張が表れています。
「夢の通ひ路付りねやの怪み(1-2)」
これはわりと怪談っぽいストーリーです。でも文章は美文調。夜な夜な奥女郎の夢に美少年が訪れ臥せってしまったため、高名な陰陽博士に依頼したところ……。因果もなければ怪談風の解説もなく、いきなりずばっと真相の事実だけが提示されて終わります。
「あけて惜しき文箱付り義に軽き命(1-3)」
お寺の小姓と牢人が見初め合い、牢人は小姓の親の仇を討つことを約するが……。このあらすじだけでもう結末はわかったようなものですが、「義」の話にしているところに悲愴感がただよいます。
「女さくらがり付りあやなし男(1-4)」
花見で女たちに若君が軽くあしらわれる話。
「軽口も理は重し付り好物問答(2-1)」
酒好き煙草嫌いの男と煙草好き酒嫌いの男、どちらも軽口ばかり叩いている二人が、酒や煙草のいいところを口から出任せ言い合うのですが、古事記や伊勢物語のパロディなど軽口にも芸があります。
「祈るに誠あり付り福の神付り心の白鼡(2-2)」
祈ったら祈りが届いた、白鼠だ縁起がいい、と思ったら違うじゃんがっかりだ……いろいろありながらも、最終的には信仰心や努力の大切さが説かれます。
「恨に消へし露の命付り葎がのべの鬼女(2-3)」
鬼というか嫉妬で気が狂った女の話、ですね。
「問ひおとしたる瀧詣で付り恋の濡ゆかた(2-4)」
男女が神仏のご加護でめでたく結ばれる話です。
面白い話もあるのだけれど、怪談はあまりないので取りあえずここまでで中断です。
『万世百物語』
これも怪談集というのとはちょっと違いました。『雨中の友』の改題。雅文体のめずらしい作品ということもあって、怪談というよりは「不思議な話」ですね。
「変化玉章」○
告って脅してフラれたばけものが嫌がらせをするので、反撃したらますますひどくなり、儒学者が礼を尽くして会いに行ったら「無礼だから怒ったんだけどこんなふうに礼儀を守ってくれるのなら許してもいいよ」という話。嫌がらせの内容が、嫌な匂いをさせるとか、汚物を積み上げるとか、女たちの髪を結んで縄・網にするとか、あほっぽくて可愛いです。
「不思議懐胎」○
書道家の娘が弟子を見初めてひそかに思っていたところ、弟子が飲み残した水を飲んだら腹がふくれて子が生まれた。処女なのに何で?と本人も周囲もびっくり。生まれた子どもが本能で父親のもとに向かうと、触れた途端に水になったため、真相を知った両親は思いに打たれて二人をめあわせましたとさ――という話。
「独身の羽黒詣」
宮本武蔵が天狗かなにかと戦う話かと思ったら、天狗でも何でもなくただの悪党でした。というわけでこれは怪談でも奇談でもない豪傑譚。
「山中のあやしみ」
蛇VSいたち。蛇に見つからないよう葉っぱを頭にかぶったというのが可愛いんですが。
「一眼一足の化生」
んんん。。。この『万世』はあんまり怪談ではなかったのでここらで中断。
『新説百物語』
「天笠へ漂着せし事」
タイトルどおり、天竺に漂着した日本人たちが武勲をあげて城を賜る話です。今は鎖国になっちゃったけど、昔は天竺のお土産とかを送ってくれてたんだよ――と、その人の実家の子孫が話してくれました。
「狐鼠の毒にあたりし事」
殺鼠剤で殺した鼠を藪に捨てたら、その鼠を食べた仔狐が死んでしまい……。仏教説話っぽく終わりそうなタイミングがいくつかあったにもかかわらず、ものすごく現実的でシビアな結末が待ち受けていたのが新鮮でした。ある意味どんでん返し。九右衛門が話しているのに「九右衛門」と三人称になっていたり、子どもの死と狐が結びつけられるのが唐突だったりと、物語としてはおかしなところもあるのですが、それも含めて妙にリアルにも感じられます。
「丸屋何某化物に逢ふ事」○
のっぺらぼう(ぬつぺりほう)というと、八雲のにしても石燕のにしても、人をびっくりさせるだけで実害はないイメージなのですが、これは最後に実体感のある生々しい怖さがありました。
「甲州郡内ほのをとなりし女の事」○
炎が町のなかをあっちこっち走り回っていたから何だろうと思ったら、女が燃えていた――というメチャクチャ怖い話です。普通に受け止めれば事故か自殺か殺人なのですが、なぜか奇談風にまとめられています。
「津田何某真珠を得し事」
口のなかから真珠が出てきた、という話ですが、人物関係がよくわかりません。
「但州の僧あやしき人にあふ事」○
小さな人が耳から入って魂を運び出してゆくというのが、どこか中国風にも感じられる怪談でした。
「修験者妙定あやしき庵に出づる事」○
化物が出てくるのであれば、(変な言い方ですが)安心して恐がれるのですが、お坊さんがそんなことになっている――というのは、心臓に悪い怖さです。
「夢に見たる龍の事」
龍を夢に見た人が、その龍の形の目貫を拾って大事に保管しておいたが、その人の死後、目貫は消え失せ、大雨の日に遠くで龍が昇天したのが目撃された……。
「見せふ\/といふ化物の事」
百鬼夜行とか片輪車とかのような、怪を目撃してしまった人の話です。
「狐亭主となり江戸よりのぼりし事」
狐とは書いてありますが、井戸の封印を開けちゃった的な、狐よりも禍々しいものな感じがします。
「相撲取荒碇魔に出会ひし事」
力自慢が妖魔にとっちめられるという定番の話です。小さな荷物が実は重かったり、見る見るうちに目が輝き口が裂けたり。
「奈良長者屋敷怪異の事」
化物屋敷という噂の屋敷が火事になったため真相は藪の中……な話。
「天井の亀の事」
亀が落ちてきたので壺に入れておいたら、十五年後にもまだ生きていた――という、これは怪談ではなく奇談ですね。
「江州の洞へ這ひ入りし事」○
鬼が住むとも噂される洞穴に入ってみたら、どんどんどんどん奥まで続く鍾乳洞で、最後には伊勢に出ちゃいました。大河があったり社があったり蜻蛉や茸が群生していたり、ちょっとした地底探検です。
「僧人の妻を盗みし事」○
夫の留守中に家が火事に。娘は助け出され、妻は焼死――かと思われたが……。ちょっとトリッキーです。
「死人手の内の銀をはなさざりし事」
養生していた寺男が仕事に戻ろうとするものの、顔色が悪いからもうちょっと休んでおけと銀貨を手渡された途端に急死――という突拍子もない発端にびっくりしました。手に握って離れない銀貨ほしさに、もう一人の寺男が墓を掘り返すと……ホラーな作品でした。
「光顕といふ僧度々変化に逢ひし事」
美僧が娘に恋慕されて、死後もつきまとわれる。
「坂口氏大江山へ行きし事」
いろいろ噂のある大江山の洞穴に行ってみると、案の定……。化物も因縁も何もなく、ただ単に怪異が起こるだけというのがけっこう怖いです。
「幽霊昼出でし事」
成仏できないから弔っておくれと夢に出てくる、という骨子だけ聞くと笑い話のようですが、なぜかしらじんわりジェントル・ゴースト・ストーリーです。
「脇の下に小紫といふ文字ありし事」
亡くなった思い人が生まれ変わった話。二度までも早世されてしまうのが悲恋です。
「深見幸之丞化物屋敷へ移る事」
評判の化物屋敷を訪れて化物を成仏させる、という話ですが、そこに普段は文系のお侍さんが勇名を馳せてみんなから見直されたというパターンが組み込まれています。
「槇田惣七鷹の子を取りし事」
鷹の子を取ったら親鷹が鳴いたので、人から言われた通りに鳴かないように……という話なのですが、物語の平仄がまったく合っていません。まるっきり意味不明なので、やけに実話っぽい。それとも、紅の手拭と琥珀に、何か故事のようなものでもあるのでしょうか。
「縄簾といふ化物の事」○
夜中に道を歩いていると、縄暖簾が顔にかかったような感触があり、無理に通りすぎると傘を引っ張られるが、そのまま進むと何事もなく無事に通ることができるという、お手本のような妖怪譚です。
「猿蛸を取りし事」
猿が大勢で力を合わせて蛸を捕っていたという奇談です。
「僧天狗となりし事」
僧が天狗となったのではなく、僧に化けていた天狗が正体を現した話です。世話になった老僧の願いを聞いて、遠国の寺社にひとっ飛びでお参りさせてあげた天狗がりりしい。「火災などあらば……」というのがよくわかりませんが、(たとえば火災など)何か困ったことがあったら……という意味でしょうか。
「狐笙を借りし事」○
同じ化けても音楽がからむと怪談ではなく美談になります。名笛の音が獣の心にもあわれを生じさせたのか、もともとただの狐ではなく稲荷の使いなのかはわかりませんが。
「あやしき焼物喰ひし事」
泊まった家で出された焼き物は、魚ではなく……といっても定番のホラーではなく、案外似たような話はあったのかもしれません。食べ合わせで毒を消すというのも地元の知恵っぽくていかにもありそう。
「猿子の敵を取りし事」○
子猿を鷲に襲われた親猿が取った復讐方法とは……? 頭いいです。
「親の夢を子の代に思ひあたりし事」
信仰篤い老人の夢に阿弥陀如来が現れ、老人は幸せに亡くなった。その後息子は旅先の寺で、老人が語った姿形そのままの如来像を目撃する。
「先妻後妻に喰ひ付きし事」○
起こったこと自体はタイトルの通りなのですが、夫の裏切りを知って病みついた先妻が、夜中にうなされて気づくと手に髪の束を……気づくと口を血塗れに……奇談や犯罪譚ではなく怪談のような語られ方が、恐怖感をあおります。
「沢田源四郎幽霊をとぶらふ事」
タイトルには「とぶらふ」とありますが、一方的に祟られて、ひょんなことから幽霊が消え失せる話です。なんでそんなことで……?っていう、理屈が通じないところがいいですねえ。
「疱瘡の神の事」
祀って鎮めるというセオリー通り、御利益がありました。
「何国よりとも知らぬ鳥追ひ来る事」○
店構えを変えたらふっつりと来なくなった――というのが不思議な実話風奇譚。
「鼠金子を喰ひし事」
「牛渡馬渡といふ名字の事」
これは名字が奇妙な話=奇譚とこじつけられなくもない。戦記ものの一部分みたいな内容でした。
「長命の女の事」
五十四歳で子どもを産んで、それから十人ほど……ということは、休みなく産んでも六十半ば頃か。。。長命どうこう以前の問題なのでは。
「火炎婆々といふ亡者の事」○
因業婆が夢で地獄の鬼に責められ、最上寺の阿弥陀如来に祈ったところ、あまりに罪が深すぎてどうすることもできないけれど、せめて貪欲の罪だけでも軽くしてやろう……と言われ、鬼に責められるたびに老婆の身体から金銀小判がこぼれ落ちた。老婆は病みつきながらしきりに最上寺にお参りに行きたいとうわごとを口にした。ある日、最上寺に火を吹く老婆の首が現れた。聞くところによると、ちょうどそのころ老婆が死んだそうだ。――という、ちょっと最後がよくわからないのですが、恨みが深いと化けて出るように、助かりたい一心でお参りに行きたいお参りに行きたいと念じるあまり、助かりたい思いが凝って首だけ現れてしまったのかな。現世の罪業から助かるための祈りだったのに、かえって祈るという行為自体に執着してしまったということでしょうか。
「仁王三郎脇差の事」
名刀ではなく、不動尊の御利益の話ですね。名刀を罪人で試し切りしてみたいからと言われ、良清はその大名に名刀を貸しました。その夜、肌身離さぬお守りの不動尊が夢に現れ、その罪人は死刑になるほどの罪にあらず……それが縁で奥さんとも出会い、火事で財産も焼けずにハッピーエンド、なのですが、主人公がはじめから「富饒」なのがこの手の話には珍しいのではないでしょうか。
「碁盤座印可の天神の事」
天神を信仰している人の夢に天神が出てきて、明くる日に夢告げの場所に行ってみると天神像があった……遠回りというかそのまんまというか、天神像をあげるのなら枕元に置いてやれよ、どこかに行かせるのなら偶然を装ったご利益の与え方があるだろ、と思ってしまう、お茶目な天神様でした。
「渋谷海道石碑の事」
由来の知れぬ石碑のもとに座っていた老人は……。
「人形いきてはたらきし事」
ただのからくり人形ではなく予言をする怪しい奴です。よい予言があれば、やがて悪い予言を……というのが怪談のパターンではあるので、途中で捨てようとした持ち主の勘はきっと正しかったのでしょう。
「釜を質に置きし老人の事」
釜一つで生活を営んでいた老人の話。怪談でも奇談でもなく、ちょっと面白い話・めずらしい話といった内容です。
「高野山にてよみがへりし子どもの事」
おなじみ、早すぎる埋葬。高野山でほんとうにあった話の又聞き、というのがやけに実話怪談っぽい。
「女をたすけ神の利生ありし事」
たすけた女と偶然に再会し、家に招かれたおかげで……めぐりめぐってのご利益です。
「神木を切りてふしぎの事」○
豪傑が古木を切って祟られた話なのです。だけど「夜の中に幾度といふ事もなく棺より這ひ出て、つけ木に火をとぼし、そこらを見あるき、又は帚木をとりて座敷など払ひける事」の主語は誰? 「棺より這ひ出て」とあるのだから祟り殺された死人なんでしょうね……? 本人に祟るのはともかく、通夜の客を驚かしたって祟るポイントがずれているような気もするのですが。でもそもそも「祟り」ってのは特定の個人に祟るものではないってことなのかな。神木を切ったらとにかく怪しいことが起こった、と。
「定より出てふたゝび世に交はりし事」○
床下深くから鉦の音がするので、掘ってみたところ、石棺のなかから骨と皮と髪ばかりの男が出てきた……。即身成仏のなりそこないが煩悩たっぷりに還俗しちゃいました。
「肥州元蔵主あやしき事に逢ひし事」○
葬礼の最中に死人が棺から立ち上がったが、元蔵主が隣の小僧の頭を扇で叩くと、死人は元通り倒れた。その後死人がやって来て、「お弔い感謝します。死人の顔は見ない方がいいよ」と助言した。元蔵主がいうには、「確かに死人の顔は恐ろしい。怖い怖いと思う小僧の思いがああいうことを引き起こしたと思ったから、扇で叩いたのだ」そうだ。「県」の下に「心」の字の意味と読み方がわかりません。「御礼のために今度御くに県心り申すなり」?
「ふしぎの縁にて夫婦と成りし事」
これはほんとにたまたまというか、縁があった、ということみたいです。
「針を喰ふむしの事」○
芋虫なのか甲虫なのかもよくわかりませんが、折れた針を餌に与えたら成長したというのが、ちょっとリアルで不気味です。
「桑田屋惣九郎屋敷の事」○
家のなかに家族ではない超常的な存在がいるという話です。目立った悪さはしないようなのですが、家を出るのを目撃されて以後、そこに住んでいる家人は死に絶えてしまった……守り神、のようなものだったのでしょうか。
「薪の木こけあるきし事」
薪を十束積むと、十束目がひとりでに動いて消えてしまう、というお話。
「鼻より龍出でし事」○
鼻をかんだら鼻から飛虫のようなものが出て来て、茶碗に入れたら茶碗一杯に大きくなり、桶に入れたら桶一杯に大きくなり……蓋をして重しをしておいたら、翌朝いなくなっていた……もしやあれは龍だったのだろうか。。。という話なのですが、姿形に関する描写が一切ないので、いったいどんなものだったのかがたいへん気になります。
「ざつくわといふ化物の事」○
美僧が夜道で美女にさそわれ攫われてしまった。帰りが遅いのを心配した和尚が捜しに行ったところ、白い毛にまみれて気絶しているのが見つかった。護摩を修したところ、犬ほどの大きさで口が耳まで裂け背中に黒い筋の入った白毛のけものが現れたので、和尚がそれを脇差しで刺した。世間の人がいうには、「あれがあのお寺に出るというざつくわという妖怪だったんだ」ということである。「ざっくゎ」って何なんでしょう、気になって仕方ありません(^_^)
『近代百物語』
今の感覚からすると因果関係がずれているように思える話がいくつかあって、そこがかえって面白い作品集でした。
「二世の契りは釘づけの縁」(1-1)
縁が強くて結ばれました……という話かと思いきや、縁が強くて逃れられませんでした、という驚きの展開。
「いふにかひなき蘇生の悦び」(1-2)
息子が瀕死で寝込んでいるときに、外が騒がしいから出てみると、犬に殺されかけた鼬がいた。せめてもの功徳にと思い鼬を介抱したところ、鼬の死とともに息子が息を吹き返し……これまた仏教説話であればあり得ない展開にびっくりです。
「なべ釜勢そろへ」(1-3)○
謀叛を企てている人間の家の台所から、鍋が釜を乗せて歩き出した。足の折れている鍋が溝を渡れないでいると、それを見ていた子どもが囃し立てた。仲間の鍋たちがその鍋をおぶって渡り、四条の川原に出たところで、鍋も釜も真っ黒な粉になって崩れてしまった。その後謀叛が発覚した。凶兆だったのだろう――という話ですが、足の折れた鍋のエピソードがストーリー的にはすごく余計な感じがして、そこがかえって面白いです。
「矢つぼを遁れし狐の妖怪」(2-1)
逆臣尊氏方の武将が敗走途中に狩りをしようとしたところ、大きな女が現れて、「立ち去れ」と告げるのだった……。不義に対する天罰なんだか、忠義に名を借りた単なる狐の抵抗なんだか、よくわかりません。何か典拠となる伝承があるのかな。
「貪慾心が菩提のはじまり」(2-2)
内容自体は特に珍しくもない改心譚なのですが、挿絵が内容とあんまり関係のない一コマ漫画みたいで可笑しい。
「箱根山幽霊酒屋」(2-3)○
これは珍しく怪談風。旅の途中で酒屋に入ったところ、一人の女が真っ赤な酒を持ってきた。けっこう旨い。おかわりを頼んだところ、女は自分の因業を語るのだった……。
「野馬にふまれぬ仕合せ吉」(3-1)
これは有名な、狐に化かされた話の一つです。狐の裏を掻いたと思っていたら、まんまと……。
「磨ぎぬいた鏡屋が引導」(3-2)○
嫉妬深い妻が死に際に夫にした頼みとは、死んでから七日のあいだだけはきれいなかっこうをさせて名前を呼びかけてほしい、というものだった。そのくらいのことは、と請け合った夫だったが、二日目の夜、死者の部屋から「そこにいるのか」と声が聞こえた。祟り殺されてしまうとびびりだした夫は、たまたまやって来た鏡屋に、「用事があるから出かけるので留守番してくれないか。奥から声をかけられたら返事をしてくれ」と言って逃げ出した。何も知らない鏡屋が、返事をしたところ……。
「狐の嫁入り出生の男女」(3-3)○
山奥で借りた宿の娘を見初めた男が、是非にと嫁にもらいうけ、二子をもうけたが、なかなか出世できないのでいったん故郷に戻ろうといって、娘の両親のいる山奥を訪ねたところ、誰もおらず狐の皮があった。それを見た妻は、もう隠せないと悟って狐になって走り去ったのだった……。類話もよく知られた、ほろりとする作品です。
「勇気をくじく鬼面の火鉢」(4-1)○
火鉢が動き出した。足があるんだから当たり前だ。壺が口をきいた。口があるんだから当たり前だ――。こういうのはふつう、英雄のエピソードなのだけれど、本篇では悪役の台詞になっています。こうした家具の怪は凶兆なのだろうと、冒頭でとってつけたように説明していますが、それよりも後半の展開が現代的な怪談風(男女が二人一緒にいるのを密会だと誤解してわけも聞かずに切り捨てたところ、その狼藉が殿様の耳に入って裁かれ牢に入れられる。用を足しに立ったところ、「何だあの首は。誰か打ち首になったのか?」。たずねられた家来は不審顔。翌朝、お椀の蓋を取ると……。)なことに驚きます。
「怨のほむらは尻の火焔」(4-2)
隠居した僧侶宅の門前で、美少年が泣いていた。聞けば攫われたのを逃げ出して来たのだという。武士の子が攫われたとあっては名折れ、とても故郷には帰れないのでこのまま弟子にしてほしいという。なかなか機転のきく子なので可愛がっていたが、あるとき寝ている最中に、この子が「きゃっ」と言って飛び出した。見れば年経た狸。僧に向かって咬みついた。……その理由が「過去の業因だろうか」って理不尽な。(それとも原文は「がういん」だから「強淫」か「豪飲」? 僧の話で「尻」っていうと「強淫」の線もあるかな。江戸時代の作品だから歴史的仮名遣いもあまり正確ではないだろうけど)。
「山の神は蟹が好物」(4-3)
漁師の網が破られてそばには材木が転がっていることが続いたため、漁師は怪しんで材木を籠に閉じ込めて帰宅の途についたところ、籠から声がする。「我は山の神だ。助けてくれたら恩返しする」「駄目だ」「せめて名前を聞かせてくれ」「……」漁師は家に帰って籠ごと焼いてしまった。おそらくこれが山鬼肖《さんさう》というものなのだろう。名前を教えていたらひどい目に遭っていたところだった。――なぜ材木?、と思ったのですが、山鬼肖というのはどうやら木の精?妖怪?のようです。
「巡るむくひの車の轍」(5-1)
妻の健康が思わしくないので妾を作ったところ、これが意外のしっかり者。ところが妾の方は、妻さえ死んでしまえば……と呪いの願を掛け始め、妻はまもなく亡くなった。その後、妾の夢に妻が現れ四肢に噛みつき苦しめた。妾は和尚に相談し、供養をささげたのだが……。
「猫人に化して馬に乗る」(5-2)○
馬が疲れた様子である。誰かが夜中に乗っているのだろうか。こっそり見張っていると、飼っている黒猫が吠え踊って男に化け、馬に乗ってどこかに出かけた。あとをつけてみると、猫が化けたとおぼしき男たちの集会が……。その家の家族の名を帳面に書き記しておく、というのが何を意味するのかわかりません。いずれ呪いの一種なのでしょうが。
「慈悲を感ずる武士の返礼」(5-3)
いじめられている仔狐を助けたら、恩返ししてくれました――という浦島太郎な話です。亀とか竜宮城とかよりは狐と富というのが当時のリアリティに沿っているのではないでしょうか。
『教訓百物語』
「百物語」とはいいつつも、おじいちゃん(?)か誰かが一人語りで何か言って狂歌でオチをつけて……というような内容。語りをそのまま起こしたような文章がめずらしくて変わってます。
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