大傑作もなかったけれど凡作もない。こういうのも珍しい。
「マーサの夕食」ローズマリー・ティンパリー(Supper with Martha,Rosemary Timperley)★★★★☆
――金曜日の夜、いつものように愛人のエステルを訪れた。マーサは理想的な妻だった。野暮な勘ぐりはされない。贅沢は好まないし、他の男性に目を向けることもない。微笑むことはあっても大笑いすることはなかった。エステルは正反対だ。
ホラーやミステリではおなじみのパターンですが、本篇を特徴づけているのはマーサの個性です。あくまで医学的に、というのがポイントですね。ベイコンの作り方は解剖学の本には載ってませんものね。
「闇が遊びにやってきた」ゼナ・ヘンダースン(The Dark Come Out to Play...,Zenna Henderson)★★★★☆
――闇は、スティーヴィーがよく遊ぶ、川の浅瀬の土手に穴を掘って住んでいた。闇は外に出たかった。できないのは、スティーヴィーが穴の前に魔法の小石を並べて置いたからだ。
ところどころおかしな日本語があってピンと来ません。アーノルドが危険な目に遭ったときはアーノルドのせいにして、エディが絶叫したときには自分のせいではなく闇のせいにした、という話でいいのかな? 「頭がまわった(中略)古い門みたいに」とは何のことだとしばし考えたところ、つまり「ぎぎぎぎぎ」ということなのでしょう。これは怖い。
「思考の匂い」ロバート・シェクリイ(The Odor of Thought,Robert Sheckley)★★★★☆
――もう燃料がない。クリーヴィは近くにある酸素のある星に着陸した。見回すと、リスに似た獣が通り過ぎるのが見えた。そいつには眼も耳もなかった。もう一頭の動物が近づいてきた。狼に似ていたが、やはり眼や耳がない。
ええと、これは、厳密にいうと叙述トリックというのとは違うのでしょうが、すっかり騙されてしまいました。眼も耳もない動物たち。テレパシーによる知覚。そういうのだけでも充分に楽しいアイデア・ストーリーです。
「不眠の一夜」チャールズ・ボーモント(Insomnia Vobiscum,Charles Beaumont)★★★★☆
――あの夜、怪奇現象の議論が起きた。クレンショウはハイチ島で確かめたヴードゥー教の儀式を語りあげた。ジェンキンズは雪男の話をし、やがて残ったのは新入りのメンバー、スコットランド人のクリールだけとなった。
「不眠よ汝と共に」という原題が「主は汝らと共に」をもじったものであることからもわかるとおり、怪談の形を借りたギャグといってもいいと思います。百物語の緩急がみごとです。
「銅の鋺」ジョージ・フィールディング・エリオット(The Copper Bowl,George Fielding Eliot)★★★☆☆
――すべての手を尽くしたが、中尉は前哨基地の兵力と位置について口を割らなかった。二人の家来が現われ、女性が連れられてきた。「リリー!」中尉が叫んだ。やがて鋺と籠が運ばれてきた……。
これは「アイデア」というより、かつて実際におこなわれていた拷問なのでは? ただでさえおぞましいのに、「脈が波打っている」だなんてもうひとやまがエグイです。
「こまどり」ゴア・ヴィダール(The Robin,Gore Vidal)★★★☆☆
――九歳のときのぼくは、いまよりもはるかにタフだった。四年生になって、ぼくには親友ができた。オリヴァーはぼくと同じに暴力とか拷問が大好きで、しかもぼく同様にタフだった。
旧版の異色作家短篇集『壜づめの女房』収録作の新訳。まあ「子どもの残酷さを描いた作品」だと思ってしまうと、ほかの名作と比べてインパクトに欠けるのは否めません。というか相当に情けない。むしろ悪ぶっている小僧たちの驚くほどの弱さを、ベタベタに描いた作品なのでしょう。あまりにも繊細すぎる感性に、読んでいるこちらの方が耐えられません。
「ジェリー・マロイの供述」アンソニイ・バウチャー(The Statement of Jerry Malloy,Anthony Boucher)★★★★☆
――もちろんすべてお話しいたします。ジェリー・マロイ。それがぼくの名前です。お笑いコンビのジェリーとジーン。ぼくらはいつも一緒でした。やがて、シンシナティでステラが加わってきました。
なるほどこれは「萎れたチビ」だし、「怖いのよ――あんたがね」というのもうなずけます。バウチャーが好んで使うヘンテコな設定があまり好きではなかったのだけれど、こういうふうに最後に設定が明らかになるタイプの作品だと、キッチュなところも気になりません。むしろそのせいで、ヘンテコではなくよくあるパターンになってしまってはいるのですが。
「虎の尾」アラン・ナース(Tiger by the Tail,Alan E. Nourse)★★★★☆
――女は台所用品の売り場から、カッター、ブリキ皿、ケーキ容器、小型ポット、大型シチュー鍋をハンドバッグに放り込んだ。マネジャーは女からハンドバッグを取り上げ、のぞきこんだ。中はからっぽだった。
発端が万引女というのが、深刻な状況とはうらはらにとぼけていつつ謎めいていて、独特の味わいがあります。
「切り裂きジャックはわたしの父」フィリップ・ホセ・ファーマー(My Father the Ripper,Philip José Farmer)★★★☆☆
――わたしは、一八八八年に生まれたと思われる。そして、切り裂きジャックがわたしの父だった。
長篇からの抜粋ということは、父に何が起こったか、などの細かいことは長篇のなかでは明らかにされているのでしょうか。おそらく『○ー○ン』が元ネタなのでしょうが、本篇だけ読んでもちょっと「?」です。
そこでちょっと検索してみると――Wikipediaによれば、著者のファーマーは、有名キャラクター(もどき)の活躍する〈Wold Newton〉というシリーズを書いているそうです。本篇を含む長篇『A Feast Unknown』とはどんな内容かというと、実は○ー○ンとドック・サヴェジは切り裂きジャックの異母息子で、霊薬によりなかば不老不死になったものの、暴力をふるわないと性的に興奮しないという設定で、互いに恋人を殺されたと思って復讐を誓っているとかなんとかいう話らしい。。。_| ̄|○
ところで『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』を併読していたら、プレスター・ジョンの国にはエデンに近い泉があってその水を飲むと三十二歳のままでいられる――という記述がありました。つまり本篇の三十二歳というのも、そういうことなのでしょう。丹波哲郎の「死んだら二十歳」みたいなものでしょうかね。
「ひとけのない道路」リチャード・ウィルスン(Lonely Road,Richard Wilson)★★★☆☆
――もう夜半まで運転していた。「食事できます」のネオンが見えた。あたりには誰もいなかった。注文取りすらもこない。グリルに火もついていないし、コーヒーも温められていない。奥の貯蔵室にも、誰もいなかった。
水槽のたとえの用いられ方があまりにも取ってつけで説明的で、ちょっとびっくりするくらい構成が下手くそでした。前半に描かれた、誰もいない不安感こそぞくっとしますが、作品としては完全な失敗作でしょう。
「奇妙なテナント」ウィリアム・テン(The Tenants,William Tenn)★★★★☆
――かれらはうりふたつだった。身長以外は。「わたしどもはこのビルの十三階を借りたいのだが」「恐れ入りますが十三階はお貸しできません――」「どうして?」「縁起をかつぐため、十三階が存在しないのです」
存在しない階を借りるという発想が、水木しげる「だるま」と一緒でした。よくあるアイデアなのか、あるいは水木しげるは意外とSFやアメコミを元ネタに使っているのであれにも元ネタがあるのかもしれません。飽くまで常識にとらわれた反応をする責任者と、契約を取ることだけが大事な本社の人間と、自分の仕事がスムーズにこなせれば他人のことなど気にしない現場の人間たちのちぐはぐは、笑いの定番です。
「悪魔を侮るな」マンリー・ウェイド・ウェルマン(The Devil Is Not Mocked,Manly Wade Wellman)★★★☆☆
――将軍が人里離れた地に司令部を設置したいと要求すると、このトランシルヴァニアの古城が準備されていた。町長はやたらと援助や好意を示していた。罠の匂いがした。
ナチスの軍人が「あの」伯爵の居城を訪れる話です。作者もナチも伯爵もサービス満々で、怖いとかどうとかより、楽しい作品でした。
「暗闇のかくれんぼ」A・M・バレイジ(SMEE,A. M. Burage)★★★☆☆
――あるとき暗闇でかくれんぼをしていて、ひとりの女の子が死んだんだ。ちょうどそこには、ドア付きの召使用階段があった。女の子は隠れようとしてドアを開けて、そこに跳びこんでいった。間取りをよく知らなかったから、寝室だと思いこんでいたんだ――。それで階段の下まで落ち、首の骨を折った……。
今の日本では怪談というより都市伝説として有名になってしまった怪異に似ているため、どうしても通俗的な印象をぬぐえませんでした。訳知り顔の人間による打ち明け話という展開も、実話怪談風で好みではありません。
「万能人形」リチャード・マシスン(The Doll That Does Everything,Richard Matheson,1954)★★★☆☆
――ルスレンは悲鳴をあげた。「野蛮人め!」血と汗の結晶をタイプした原稿が、ずたずたになって赤ん坊の拳のあいだからこぼれ落ちる。「こんどは何をしたの?」アシーニは酸っぱい顔でたずねた。
共働きで二人とも自宅で作家業だということもあるのか、妻が夫に「あんたも子どもの面倒見てよ」的な光景のないところがまず新鮮でした。「このクソガキ!」という思いを夫婦が共有していてしかも捌け口がない……となれば、行き着く先は明白で。赤ん坊に関わるすべての人が心の隅っこに潜ませている願望を、スマートに突いてくれます。
「スクリーンの陰に」ロバート・ブロック(The Movie People,Robert Bloch)★★★☆☆
――ジミーはただのエキストラだった。四百本以上の映画に出ていた。休憩時間にわれわれは廊下に立っていた。「彼女はきれいじゃないかね?」「誰です?」「ジューン・ローガン。わしの彼女だ。ブロンドをカールしたエキストラに気づかなかったかね?」
古き映画の時代のラブ・ストーリーです。区別のつかないエキストラ、誰も注意しないエキストラ、だからこその物語でもありました。
「射手座」レイ・ラッセル(Sagitarius,Ray Russel,1962)★★★★☆
――仮にハイド氏に息子がいたら、今も生きておるかも知れんということにお気づきかな? 純粋な極悪人と人間の女の血をひく、この世で二番目の極悪人なのだ! ところでわしは昔よく芝居に通ったものだ。セリーグのことは知っているかね? 最高の役者だった。
異色作家短篇集『嘲笑う男』ではB級どころかC級D級っぷりを遺憾なく発揮してがっかりさせてくれたレイ・ラッセルですが、本篇は「代表作」と言われるだけあってなかなかの力作。あまりにも古めかしい「サルドニクス」よりもこちらの方が好みです。歴史上の殺人鬼をつなぐ一つの仮説――。果たして空想なのか、真実なのか? 19世紀の面影の残るパリを舞台に、切り裂きジャックやハイドやジル・ド・レらにまつわる事件や人物が蠢いて……という内容だけでも面白いのですが、聞き手がつっこみを入れるという構成のおかげで、さらに一回り味のある話になっています。
「レイチェルとサイモン」ローズマリー・ティンパリー(Rachel and Simon,Rosemary Timperley)★★★☆☆
――階下に住んでいるのは魅力的な女性だった。彼はそのフラットを借りることにした。彼女には子どもが二人いた。レイチェルとサイモン。「日曜日に外出にでかけませんか」「でも子どもたちは外出しないと思います……」
かなりコンパクトな、ミステリー・ゾーン風の物語です。
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