『千年の黙 異本源氏物語』森谷明子(創元推理文庫)★★★★☆

 源氏物語を題材にしたミステリといえば『薫大将と匂宮』がありますが、あれには〈ワトスンの未発表原稿〉という型が使われていました*1。必然的に描かれているのは現実の平安時代ではなく王朝物語の世界そのものだったわけです(※トリックがそれを要求する作品でした)。

 ですから本書を読んで何よりも新鮮だったのは、〈平安時代=王朝物語みたいな世界〉という呪縛から解き放たれていることでした。視点人物はそれほど身分の高くない女主人・香子に仕える少女「あてき」。手紙や短歌のような「紙切れのお遊びに夢中」な貴族社会のなかにあって、わりと自由に動きまわることのできるポジションにいる人物なのです。猫を探して木にものぼるし、しょっちゅう邸を抜け出して歩きまわるし、男の子の前で赤くなったり雨に降られて雨宿りした女の子と友だちになったり――千年前という断りもいらないような、ごくふつうの元気印の女の子です。

 しかも本書の場合、それがまたトリックにとって必須でもありました。本書では大まかにいって「猫失踪事件」「笛の音の物怪事件」「かかやく日の宮消失事件」の三つの謎が描かれているのですが、こういう、一つの物語をまるまんま伏線に使うという書き方は、非常に好きな書き方でした。

 表向きは〈事件の謎をさぐる〉という方法を採っているために、中宮定子や彰子を取り巻く権力争いのあれこれが、聞き込みやゴシップニュース的な形で紹介されるのも、かなり現代的で読みやすいことに一役買っています。

 たとえば、中宮定子の可愛がっている猫を最後に目撃した命婦、という形で登場するのが清少納言。そしてそもそも中宮が猫を連れて大裏を出る理由、というあたりから権力争いが説明されるのですが、それがつまり歴史のお勉強という感じではなく、井戸端会議的ワイドショー的な事件の背後関係という感じの説明のされ方なので、非常にとっつきやすいのです。「知恵は回るが、性格は悪い」と紹介された清少納言に話を戻すと、その後は何とあてきを叱る怖いおばちゃんとして再登場、さらには無学な少年を教育する才女として、またさらには「かかやく日の宮」事件が発覚するきっかけを指摘する鋭い観察眼の持ち主の一人として再登場。

 物語は主に紫式部側の視点で描かれているにもかかわらず、こうした多角的なものの見方が導入されているのも、平安=王朝物語風ではないところなんですよね。あてき、香子、夫の宣孝、中宮彰子、道長、岩丸、いぬき、元子らのほか、何といっても際立っているのが『小右記』の作者・実資が語り手を務める部分です。この部分は物語からはちょっと外れたようなところがあって、それだけに物語を補完するようなところもありました。

 で、最終的にはこうした各自視点というのが、「かかやく日の宮」の真相にも関わってくるところが見事でした。消失(と、消失後に改めて書き直さなかった)「理由」だけ単独で取り出せばそれほどインパクトのあるものではないのですが、「察する」文化ゆえ/あるいは権力者に対する思い込みゆえのすれ違いが、すれ違ったまま歴史のなかに埋もれてゆくことに、なんだか寂しさを感じました。「かかやく日の宮」を中心に取り上げながら、さりげなく「雲隠」の謎にも直結している構成も巧みです。

 そして何より、「作家」紫式部、一人の芸術家の凛とした姿が印象的な作品でもありました。
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 帝ご寵愛の猫はどこへ消えた? 出産のため宮中を退出する中宮定子に同行した猫は、清少納言が牛車に繋いでおいたにもかかわらず、いつの間にか消え失せていた。帝を慮り左大臣藤原道長は大捜索の指令を出すが――。気鋭が紫式部を探偵役に据え、平安の世に生きる女性たち、そして彼女たちを取り巻く謎とその解決を鮮やかに描き上げた絢爛たる王朝推理絵巻。鮎川哲也賞受賞作。(カバー裏あらすじより)
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 『千年の黙 異本源氏物語

*1:にもかかわらず語り手を務めるのが、作中人物のワトスン=女房ではなく、作者のコナン・ドイル紫式部という不思議な作品だったような覚えが*2
 
*2あ、でもそういえば、石岡和己ではなく島田荘司御手洗潔にインタビューするという珍作があったなあ。


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