クトゥルー特集ということでパスしようかと思ったのだけれど、試しに巻頭のチャイナ・ミエヴィルを読んでみたら、クトゥルーでも何でもないいつもどおりのチャイナ・ミエヴィルだったので、ほかのも読んでみることに。
特集解説によると、英米では、ダーレスが勝手に作った設定にとらわれずに自由に新しいクトゥルーものを書こうという動きが広まっているのだそうです。こうなるとクトゥルーが苦手なわたしにも、むしろ俄然おもしろそう。
「細部に宿るもの」チャイナ・ミエヴィル/日暮雅通訳(Deteils,China Miéville,2002)
――ぼくは毎週、母が用意したものを持ってミセス・ミラーの家を訪れていた。あの朝までは……。
解説によれば「ティンダロスの猟犬」を下敷きにしているらしいのですが、知らなくとも問題ありません(読んだことはあるはずだけど覚えてない)。「The devil is in the details(思わぬ落とし穴が細部に潜んでいる)」を文字どおりに解釈したような、細部の悪魔がうにょうにょな感じが見どころ。
「リッキー・ペレス最後の誘惑」ベンジャミン・アダムズ/中村融訳(The Last Temptation of Ricky Perez,Benjamin Adams,2003)
――リッキーは試されていた。仲間になりたければ勇気を示せ、あの婆さんの家に忍びこめと。
駄目少年が主人公のジュヴナイルみたいなところが新しいといえば新しいけれど、別に「クトゥルー」じゃなくて「モンスター」でもいいような話ではあります。
「イグザム修道院の冒険」F・グウィンプレイン・マッキンタイア/竹岡啓訳(The Adventure of Exham Priory,F. Gwynplaine MacIintyre,2003)
――ある晩、ホームズと私のもとに来客があった。男はひどく憔悴し、その面貌は……。
確かにダーレス流ではないけれど、ホームズと何かを組み合わせたパロディという意味ではむしろ古くからあるタイプの作品です。
「ショゴス開花」エリザベス・ベア/中村融訳(Shoggoths in Bloom,Elizabeth Bear,2008)
――ハーディング教授はメイン州の波止場を訪れた。有史前より存在する不死の生物を調査するために。
クトゥルーの怪物を生物学的にアプローチしているところは面白いのに、最後に至って対話はないだろ。。。何でこう、安易な方向に行くんだろ……もったいない。
「[新版]世界SF全集を編む(3)」大森望×中村融×山岸真
作家名と書名を挙げているだけでさっぱり盛り上がらない。
「大森望の新SF観光局(12) 浅倉さんのいない世界」
「津原泰水×円城塔×豊崎由美トークイベント採録」
津原氏も円城氏も自作のことにもしっかり触れてくれてます。
「SFまで100000光年 80」水玉螢之丞
「SF Magazine Gallery II(11)」加藤直之「時の塔5」
「MEDIA SHOW CASE」「SF BOOK SCOPE」
◆これまで読んだ『高慢と偏見とゾンビ』評は、「マッシュアップ」小説だとか何とかベタぼめ書評が多かったのですが、「木に竹を接いだだけの箇所もしばしば」という何だか普通のパロディっぽいですね。でも『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』とかの手法とはまた違うのかな。こういう作品はそのうち古本屋の100円コーナーにあふれそうな匂いがすることもあって、いまいち手が出ない。ほかに『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』、新城カズマ『さよなら、ジンジャーエール』、『T・S・スピヴェット君 傑作集』など。
『怨讐星域』(14)「生存の資質」梶尾真治
――ノアズ・アークの人々が、約束の地で生存するために必要なものとは何か?
「どちらか一方」新城カズマ
――銭湯でのとある出来事と、東京都のとある条例――果たしてどちらが実話?
世間的には条例の存在自体がないに等しいものねえ、読む人が読むとほんとに純然たるフィクションです。そこだけ取り出せば、登場人物の台詞で説明して批判するという普通であれば拙いともいえる書き方なのに、もう一つのエピソードと並べることで完全に異化させちゃってるのがいつもながらに恐ろしい。
「MAGAZINE REVIEW」〈アシモフ〉誌《2009.10/11〜2010.1》深山めい
「サイバーカルチャートレンド(11) iPhone「セカイカメラ」、拡張現実」大野典宏
「サはサイエンスのサ 180 電子本」鹿野司
「SENSE OF REALITY」
「ムシの知らせ」金子隆一/「“中の上”層にとっての「貧困や自殺の問題」」香山リカ
「第5回 日本SF評論賞・最終選考会採録」
今回からは瀬名秀明が加わり、選考会の雰囲気がかなりまともになっていました。キャラ立ちしていた前回までの選考会も面白かったんだけどな。てかこのメンバーじゃ荒巻さんに何か言える立場の人がいないのでは……?
「「世界内戦」とわずかな希望――伊藤計劃『虐殺器官』へ向き合うために」岡和田晃
――現代世界におけるアイロニーの必然とその先の希望を『虐殺器官』から読み解く。
良くも悪くも前ふりが、ですね。本文よりもそっちのインパクトの方があるというのはちょっともったいない。今しか書けないタイプの作品ではあるけれど。最後なんて吠えてるものな。
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