有名なのだけ読んだ。
「冥途の飛脚」
――一度は思案、二度は無思案、三度飛脚、戻れば合せてろくだうの、冥途の飛脚と
これはまた文学史上でも上位に食い込む駄目人間ではなかろうか。忠兵衛と梅川が死ぬなら勝手に死んでくれればまだしもなのだが、また方々に迷惑をかけるほうかけるほうへと選んで転がってくから始末が悪い。いくら最後に目隠しをしてくれ云々と言われても、そこでほろりとして涙を流せるのは、馬鹿な子ほどかわいい親くらいのものでしょう。というようなわけで、最後の最後にくるっと孫右衛門が主役、ですよね。
「心中天の網島」
侍だと思ったら兄だった――みたいな、歌舞伎めいた場面をはじめ、なんだかストーリーがごちゃごちゃとして複雑なわりには、クライマックスは愛し合う二人が心中するという、現代でももっともわかりやすい話だったりします。
「女殺油地獄」
すべてのきっかけとなるのは、馴染みの遊女をめぐる喧嘩。妹や両親を巻き込んだ金の無心がメイン・プロットのように見えて、そこに喧嘩の際に世話をしてくれた女房もからんで来て。ほとんど通り魔のような突発的な殺人。……というように、「冥途の飛脚」と比べるとわりと話の作りが複雑で読みごたえがある。ただし、最後でこける。「一夜過ぎれば親の難儀、不孝の咎勿体なしと思ふばかりに眼つき、人を殺せば人の嘆き、人の難儀といふことに、ふつゝと眼つかざりし」って、自分で言ってもねえ。。。「冥途の飛脚」の場合だと子の忠兵衛が親の孫右衛門に言うからこそ、言われた親の気持に跳ね返って最後の台詞が生きてくるんだけど。本篇の場合だと、自己完結しちゃってて、台詞を受け止めてくれる人がいないんですよね。しかし近松作品はみんな駄目人間のことを思ってくれる人ばかり。へんなの。
「心中宵庚申」
読んだなかではいちばん意味不明だった。登場人物がどういう行動原理で動いているのかまるで理解できない。江戸時代の知識・常識がないとどうにもならないようです。
『近松門左衛門集(二) 日本古典文学全集44』
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