『S-Fマガジン』1962年5月号No.29【特集 月のすべて!】

 レインジャー3号打ち上げにともなう月特集。レインジャー3号は失敗に終わったので、まだ月の「現実」は完全に明らかにされていないのであろう時代の出版です。
 

「レジャーを月で」アンドレイ・クザコフ
 

『宇宙行かば』「対決」マレイ・ラインスター高橋泰邦訳(Men into Space,Murray Leinster,1960)★★★☆☆
 ――彼がふと道ばたに見つけた2本の空気ボンベ――それは殺人事件のみならず、月の裏面の最端基地が完全に孤立することを意味した!

 いがみ合う二人が引き起こした緊急事態。酸素は一人分しかなく、月面橇は通信のために基地に残さなければならない。そんな状態でどうやって帰ればいいのか――。なかなか魅力的な展開ですが、もとはテレビシリーズであるらしく、そんな「HOW」よりも主に人間ドラマを中心にして話が進んでゆきました。
 

「晴の海1979年」光瀬龍(1962)★★★☆☆
 ――ソ連隊とアメリカ隊はなぜ消息を絶ったのか? 《晴の海》に降り立った日本隊を襲う、底知れぬ不安、焦燥……そして恐怖!

 ファン=ライターとして紹介されています。エア・タンクが、シェルターが、そして船が、次々に腐蝕してゆく恐怖。正体に意外性がないのはともかく、時間との戦いなので解決があっさりしているのはいたしかたありません。
 

「あの月百万ドル」エヴァン・ハンター/福島正実(A Million Dollar Maybe,Evan Hunter,1954)★★★☆☆
 ――月に行ってきたから、約束の百万ドルをくれ、とその妙なのっぽの老人がいったとき、ふたりは開いた口がふさがらなかったが……

 まだ有人宇宙飛行が実現していなかったころに書かれたことを考えれば、結末には皮肉やユーモアよりも夢や希望の方が大きかったのかもしれません。
 

「英雄はごめんだ」フランク・M・ロビンスン(The Reluctant Heroes,Frank M. Robinson,1951)★★☆☆☆
 ――だれもが月を憎悪し、だれもが懐かしい地球へ帰る日を待ちこがれた。だが、一人はかならず残らねばならなかった!

 大義と個人の問題というやつですが、ここまでべたべたに大義を讃美されてしまうとげんなりしてしまいます。船長から若者に「説明」される書き方といい、エピローグ的な部分といい、
 

「前哨」アーサー・C・クラーク/小隈黎訳The SentinelArthur C. Clarke,1951)★★★☆☆
 ――どんらんな人類の探求心の前に、月がその神秘のヴェールを脱ぐとき、われわれを待ちかまえているものははたして何であろうか?

 月面で見つけたピラミッドは、建物ではなく「機械」だった――。誰が、何のために建てたのか? 『2001年宇宙の旅』の原案。科学的な考察ではなく、(悪く言えば)ご都合主義の妄想、(よく言えば)ロマンティックな空想である「真相」が胸を打ちます。
 

「月人説を斬る(サイエンス・ノンフィクション6)」斎藤守弘

 月人論が「ケプラーにはじまっているのは面白い」という事実は、確かに意外な感じがして面白い指摘でした。
 

「宇宙はみんな左巻き(スペース・ファンサイクロペディア9)」草下英明
 

「迷子(1)」石森章太郎
 

「さいえんす・とぴっくす」

 発射実験で発射したロケットを網で生け捕って回収する、だとか、カラー劇場テレビ(何だそりゃ?)が考案された、というニュースは今でも気になります。
 

「もののかたち」レイ・ブラッドベリ/斎藤伯好訳(The Shape of Things,Ray Bradbury,1948)★★★☆☆
 ――新型分娩機と催眠機がショートして生みだされた赤ん坊は、六本の触手と、三個の眼をもった青い小さなピラミッドだった! 幻想と恐怖と童心の作家の異色作!

 異色作というだけあって、幻想も怪奇も甘ったるさもありません。異次元の世界に生まれた赤ん坊と向き合う両親のとまどい。新作『Something Wicked This Way Comes』を刊行予定という紹介文が泣かせますねえ。
 

「俺はだれ?」レスター・デル・リイ/中尾明訳(The Monster,Lester del Rey,1951)★★★☆☆
 ――おれはだれだ? おれは正気か、狂人か? 自分を意識したその瞬間から、得られぬ答を求めて苦悩する男……

 このサブジャンルでは永遠のテーマともいうべき、意識の問題について、「意識した瞬間」からの一人称で描くという、なかなか先鋭的な作品です。どうも監禁・迫害されているらしいうえに、政府やスパイの影もちらほら……なあるほど。
 

「月世界リサーチ」(宇宙編/宇宙服/交通/自然・資源/住居・食物)

 宇宙服についての考察が具体的で面白かったほか、跳躍車というへんてこなものが科学者(オーベルト)によって考えられていたようで、その絵が掲載されていました。エッシャーやダリの絵みたいなシュールな乗物です。
 

「ルーナ・リバイバル(SFらいぶらりい)」
 

『月は地獄だ!』(1)ジョン・W・キャンベル・ジュニア/矢野徹(The Monn is Hell!,John W. Campbell Jr.,1950)★★★★☆
 ――凍結と灼熱の苛酷な条件下に、空気を、水を食物を求めて必死に生きる人間たちの、真摯で劇的な闘いを描いてあますところなき、現代空想科学小説史上の記念碑、ここに登場!

 長篇連載第一回。「影が行く」のキャンベル作品。事故で月面に取り残されてしまったクルーたちのサバイバル。月面『十五少年漂流記』。登場人物の日記という形式で描かれています。当然といえば当然のことですが残されたのは科学者たちなので、酸素や水や電気という大問題もどうにか克服はするものの、地球への通信、食糧問題、作業中の事故などなど、問題は山積です。

 SFマガジン 1962年5月号 『S-Fマガジン』1962年5月号


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