37「匂ふより春はくれ行く山ぶきの花こそはなのなかにつらけれ」
淡紅の花から、やがて晩春の紅紫の花、そしてしんがりに、はつなつに近づくと山吹。それだからこそ「はなのなかにつらけれ」。こういうのは、頭ではわかっていても、もう実感することはできないのでしょう。
38「はかなしな夢にゆめみしかげろふのそれもたえぬる中の契は」
「一見同義語にひとしい詩句の反覆」「二句以下は全く言葉の切目繼目もなく、綿綿とつらなり」という言葉どおりの作品で、塚本はこれにも「よそ」を見ています。
39「ふかき夜の花と月とにあかしつつよそにぞ消ゆるはるの詇《ともしび》」
「(「よそ」といふ)この一語の含む世界のうけとり方で、定家理解の深淺は決ると言つてもよい」とまで言い切っています。他界であり非在の境であるよそに消える燈火は、「夜」「花」「月」すなわち「終夜の宴」「陶醉」を「斷つ」、「覺醒すなはちほろびのおそれ」である。定家の名歌に塚本の解説がすごみを加えている好例でした。
40「あはれいかに霞も花もなれなれて雲しく谷にかへる麗鳥《うぐひす》」
「倦春歌、呪春歌」といい、初句を「むしろ虚辭に近い起の詞」「有用の無駄」といい、「雲敷く谷であつて雲引くでも雲浮ぶでもない」といい、ことごとく歯切れがよくて、当たり前のことのようにそっけない。
41「しののめのゆふつけ鳥の鳴く聲にはじめてうすき蝉の羽衣」
「?逭の濃淡」というのが言い得て妙です。「木綿附鳥《ゆふつけどり》はにはとりの古稱である」が、「音は轉じて夕告鳥となる」ことから、「淡墨色の鴉の形象さへ幻にたたせた」というのがよくわかりませんでした。
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