シリーズ第1弾は、個別の具体論より全体論や抽象論が多くて(特に綾辻発言が)、せっかくのDJ形式があんまり活かされていなかったような記憶があるのですが、第2弾である本書は、DJ二人の自作品から幕を開けることもあって、ようやくDJ形式のよさが出たように感じました。
「黒鳥亭殺人事件」有栖川有栖
――二年前に夫が妻を殺害し、挙句に若狭湾に身を投げて自殺した――という曰く因縁のある黒鳥亭。ところが一昨日、古井戸の中から死後一週間した経っていない死んだはずの夫の死体が見つかった。
無垢とか天使とか著者ったら吐き気がするほどのひどいロマンチストだなあ、と思っていたら、なるほどそういうことでしたか。公開収録だったため佳多山大地が司会を務めていて、佳多山氏ならではの独特な見解も読めて思わぬ拾いもの。
「意外な犯人」綾辻行人
――U君が持ってきたのは、綾辻行人が原作の推理ドラマだった。アヤツジ「犯人の正体は最後の最後までわからない、できる限り単純で純粋なフーダニットをやりたいんです」比呂子「何ですか、それ」由伊「『誰がやったのか』ってことよ」
とにかく読者を騙す、ということにこだわった、ほとんど引っかけ問題のような『どんどん橋』からの一篇。これまた佳多山氏が楽しい読みを。
「終電車」都筑道夫
――「客がひとり、消えてしまうんだ」、と上條は大まじめだった。「終電車から降りて跨線橋へ入ってしまうと、改札口からは見えなくなる」「ああ、そこから改札口までのあいだに、ひとり消えてしまうのか」
二人で階段を上るあたりの恐怖感や緊張感がびりびり伝わってきて、この場面だけでも怪談史に残るくらいの怖さがありました。
一方でわたしは都筑道夫の理に勝ちすぎた怪談が楽しめないタチなので、「むかし読んだときはこの後半の展開、ちょっとがっかりしたような気もします」「最後がいかにもオチらしいオチでしょ」という綾辻発言を読んで「おっ」と期待したのですが、お二人ともそこをもうちょっと突っ込んで話してはくれないんですよね。有栖川氏にいたっては、たずねられたのにスルーしてしまった(^_^;。
例えば理に勝つなら理に勝つで、もっと隙のない話にすることはできたと思うんです。近ごろ現場付近で通り魔事件が発生していることを前半に伏線としてまぶしておくとか。女性をめぐるトラブルが二人のあいだにあったとか。理由のない怖さにもせず、といって理屈でガチガチにもせず、こういう中途半端に理に勝っているのは、著者としたらわざとそうしていると思うのだけれど、小説家としてはそこらへんをどう思っているのか聞きたかったのにな。
「なにかが起こった」ディーノ・ブッツァーティ/脇功訳(Qualcosa era successo,Dino Buzzati,1958)
――列車が数キロばかり走った時、車窓から見かけた連中が例外なくなにかただならぬ気配を見せているように思えた。なぜ人がしきりに出入りしているのだろう。なぜ女たちが気ぜわしげにしているのだろう。列車は疾走しており、住民たちはなにかの騒ぎにすっかり動顛しているようだった。なにかが起こったのだ。
イタリア語がわからないので、「-ione」というのが気になってしまいます。「なにかが」というタイトルから考えても、イタリア語がわかったところで、なにが起こったのかは「わからない」というのが正解の作品なのでしょうけれども。起こったことは書かれていないのに、車外の人々の騒ぎや語り手の焦燥感から、決定的ななにかが起こったことが伝わってくるスリル。
この作品では二人ともかなり詳しく話をしてくれています。ブッツァーティ作品についてだけではなく、二人とも怪談を書いている関係から、自分が怪談を書く際のスタンスにも触れていて、テーマ型からルーズ型に変えたことで早くもDJ形式が活かされてきていました。
「アウトサイダー」H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳(The Outsider,Howard Phillips Lovecraft)
――稚き頃の記憶が、恐怖と悲哀のみしかもたらさぬ者こそ、不幸なるかな。余は生まれた場所のことは何も知らぬ。ただ知っているのは、暗い廊下が数多くあり、高い天井には蜘蛛の巣と闇が見えるばかりの、恐ろしげな城のことだけである。
前回の「なにかが起こった」の結末についての綾辻発言を受けての本作品――というわけではないらしい。でもはからずもきれいにつながっています。
「新都市建設」小松左京
――「また、工事がはじまった」老人が眉をしかめた。「しかたがないよ、新しい都ができるんだから……」老婆はぶつぶついった。「しかしな……そのために古くからいる住民を、犠牲にしていいということにはならない……」
この回はかなり脱線して――というか、テーマに沿って次から次へと具体的な話が出てきて、麻耶作品についてのコメントなんて、実作者ならではだと思います。こういうコメントをもっともっと読みたい。
「親愛なるエス君へ」連城三紀彦
――親愛なるエス君。二年前、君がパリで犯した事件を新聞が報道した時、私は身震いを覚えた。私には君がこの世界で唯一無二の存在のように思えた。なぜなら、君が起こしたのと同じ事件を、この手で起こしたいというのが、六歳の時からの夢だったのだから。
「意外な犯人」の回で有栖川氏が「ほぼ頂点」と評した泡坂・連城のうち連城作品の登場です。この回もけっこう二人とも具体的に説明してくれています。この作品も、読者を騙すために「ここまでやるか」というような作品ですが、連城作品の場合、感動すら覚えてしまいます。
「油あげの雨」スペイン童話/会田由訳
――むかし、ばかなひつじ飼いがいましたが、おかみさんはりこうな女でした。ひつじのばんをしているとき、かばんを見つけました。あけてみると、中から金貨がざくざくと出てきました。「おや! 子どもたちのおもちゃに持って行ってやろう」
この回は北村薫がゲスト。北村氏がこんな童話にも本格マインドを見出したという話。
「六連続殺人事件」別役実
――ある日曜日、S夫人が暗い街角で撲殺されました。その次の日曜日、O夫人が、同じ街角で殺されました。その次の日曜日にはK夫人が、その次はN夫人が、D夫人が、R夫人がやられました。ところが、その次の日曜日には、だれも殺されませんでした。
これは有栖川氏の持ち寄り。対談で紹介されている「ハイキング事件」の発想が好きだなあ。
「ナイト捜し」大川一夫
――由美子は散歩がてら涼みに出ようと考えた。しばらく進んだところで突然、男に組み付かれた。(何とかしなければ……)だがそのとき、「何をしているのかね!」よく透った男性の声がした。(助かった)青年の顔を見ることも出来ずに、由美子は礼を言って走り去った。
綾辻氏の持ち寄り。京大推理研の犯人当て。これまた何が何でも読者を騙すことだけを考えた、引っかけ問題ふうの作品。短いだけに、ある種の本格ミステリの原理というのがよくわかります。
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