『フレンチ警部と毒蛇の謎』F・W・クロフツ/霜島義明訳(創元推理文庫M)★★☆☆☆

 『Antidote to Venom』F. W. Crofts,1938年。

 一ページ目をめくると作者註があり、「本書は二つの実験を行っている。第一に、通常の叙述と倒叙を組み合わせた探偵小説の成立を試み、第二に、犯罪の前向きな描写を目論んだ。」とあります。これは楽しみな宣言です。

 主人公のジョージ・サリッジは絵に描いたような駄目人間。イギリス第二の動物園園長というそこそこの地位と生活を得ているものの、妻が富豪の娘だったために「そこそこ」では満足してもらえず、夫婦仲は冷え切っています。叔母の遺産が唯一の希望。

 ジョージが駄目なのは、金もないのに「当て」だけで先走ってしまうところ。金もないのにギャンブルに金を費やすのは当たり前。偶然出会ったナンシーという女性に運命を感じ、なぜか「家を買う」という考えに取り憑かれて、急ぐことでもないのに金が手に入る前に購入してしまう駄目っぷりです。(ちなみに言うと、ナンシーが悪女型というわけでもありません)。後の話になりますが、犯罪の実行後に不安のあまり共犯者に接触を図るという大チョンボをやらかす駄目っぷりも見せつけてくれます。(ここらへんの気の弱さは、結末への伏線でもあるわけですが)。

 叔母の死を願い、殺すことも頭をよぎりますが、叔母はまもなく病死して、すべてが解決されたかに見えました……。

 ここからが「通常の叙述と倒叙を組み合わせた」という実験になります。金を手に入れるために殺人に協力することを強要され、ジョージは詳しいことはわからぬままに動物園の毒蛇を盗み出します。ジョージがやったのはここまで。つまり殺人の実行犯は別にいるため、事件が起きるまでジョージ(と読者)には殺人の内容はわからないし、当然トリックについては事件後も知らぬまま。

 死んだ教授は蛇に咬まれての事故死だということに落ち着きますが、やがて事件に疑問を感じたフレンチ警部が、トリック解明に乗り出します……。

 はっきり言うとこの「実験」はあまり成功していません。

 一つには、フレンチが怪しむきっかけがつまらなすぎます。1.被害者の性格。2.蛇を捕まえる道具の有無。3.現場にいた蛇は教授の研究していた蛇じゃなかった。現実的なのだといえばそれまでですが、「彼がペイシェンスを殺すはずがない」のような魅力には欠けるのは否めません。3にいたっては何だそりゃ、と。フレンチが出張っただけであっさり明らかになるのは、ただ単に作者がそれまで隠していたからに過ぎないわけで、もうちょっと効果的な明かし方をしてもらいたかったところです。

 もう一つは、トリックがどうしょうもないこと。時代を考えれば仕方ないのですが。

 さらには、フレンチ警部の捜査自体がひどすぎました。倒叙の面白さの一つは、犯人側も気づかなかった手抜かりを探偵が見つけ出して、一つ一つ壁を崩していく点にあるものと思います。ところがフレンチ警部は、あっさり動機から容疑者に見当をつけて、言ってみれば見込み捜査をごり押しするようなところがあります。アリバイ崩しというのはもともとそんなものなのでしょうから、これがフレンチの捜査法なのかもしれませんが。

 ジョージの「犯罪」が倒叙で描かれた中盤は楽しめましたが、駄目人間の駄目っぷりをうんざりするほど見せつけられた前半、フレンチが登場する後半は退屈な作品でした。

 ジョージの「犯罪」部分はなるほどよくできています。事故や病死も含めて関係者が死にすぎだろ、というのは差し引いても、蛇研究家であるバーナビー教授の愛娘が事故死してしまうという事実が、1.娘が死んだために甥が教授の遺産を受け取ることになる点、2.最愛の娘の死にショックを受けた教授がほうけてしまうことが毒蛇事件の伏線の伏線にもなっている点、これはうまい。ばれないようにどきどきしながら警察の質問にうまく答える場面も、倒叙ならではの面白さでした。

 第二の「実験」については、毒蛇の毒と罪悪感の解毒を掛けているラストに結実していますが、あれだけ筆を割かれていたナンシーのことも奥さんのことも何だかあっさりすぎて、ちょっと簡単にまとめすぎなきらいはありました。

 私はジョージ・サリッジ。仕事はともかく家庭に満足しているとは言えない。だから博打に入れあげることにもなった。運命の女性ナンシーに逢った今や、二重生活を支える資金も必要だ。だから“叔母の遺産で万事解決”の皮算用が吹っ飛んだ衝撃といったらなかった。あげく悪事のお先棒を担がされ、心沈む日々。しかも、事故とされた一件をフレンチという男が掻き回している……。(カバー裏あらすじより)
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