『歪み真珠』山尾悠子(国書刊行会)★★★★★

ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠」
 ――誉れも高きゴルゴンゾーラ大王、蛙たちの王は、苦慮のうちにあった。原因不明の奇病の噂は海外から聞こえていたが、今やかれの国土にも侵攻しつつあったのだ。と、前方より近づいてきたのは、言わずと知れた隣国の蛇の女王だった。

 『幻想文学』の対談で黒死病の話が出たときに、黒死病がまずければ赤死病という手があると仰っていましたが、本篇もあるいはそう見ることもできるのでしょうか。まあ本篇の場合は、蛙に置き換えたのではなく、蛙(の病気)ありきなのではありますが。
 

「美神の通過」
 ――エティンと呼ばれる荒れ野に美神《ヴィーナス》が降臨するという噂は、もっぱら乙女たちのあいだで熱心に取り沙汰された。なにしろ相手は女神、しかも美神《ヴィーナス》である。それまで夢中になっていた町の伊達男の噂など一顧だにされず、顔色なしの体であった。

 「Burne-Jones THE PASSING OF VENUS のイメージによる」と書かれてあるので見てみると――元となった絵がすでにして恐ろしいほどにシュールすぎます。
 

「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」
 ――北極星に導かれ夜の潮流を辿る船乗りたちは、星空の行く手に驚くべき高さで聳える死火山の稜線を見るたび憂悶に沈むのだった。歓楽の約束されたその場所でかれらを出迎える女たちの動作はぎこちなく、その手は海水のように冷たい。残飯に群れる人魚を見た、と証言する者は昔から折々にいたが、前夜の深酒が祟っての幻覚か、単に水浴する女たちを見ただけだろうと否定されるのが面倒で口外を避ける者が多いのは当然と言うべきことだった。
 

「美しい背中のアタランテ」
 ――アルゴナウタイに参加できなかった俊足のアタランテは静かに憤怒した。私が女であるから、結束を乱すから船旅の仲間には加われないのか。このときからアテランテはひたすら走り続けた。狩人としての仕事も捨て、走りに走って俊足にはますます磨きがかかった。

 ギリシア神話をモチーフにした作品。世界一俊足の者を見つめるという視点がかっこよすぎます。
 

「マスクとベルガマスク」
 ――マスクとベルガマスクは衣装を替えれば見分けはつかなかった。魔王クリングゾルの主催する劇場がふたりの知る世界のすべてであり、鏡の悪魔セレストがふたりの守り役であり相談相手でもあった。ふたりはわざと同じ長さに髪を切り、男とも女ともつかない細身の肢体はひとびとのこころを妖しくざわめかせた。フォーレの「マスクとベルガマスク」。
 

「ドロテアの首と銀の皿」
 ――その屋敷はフウの林のためにフウの木屋敷と呼ばれた。夏の終わりに夫が倒れ、急死したその年の秋のことは今でも忘れない。夫を探し続けていた犬たちもやがて諦めてその何匹かは庭で眠っている。フウの木の根方で、白いむすめが立っていたあの根方で。逃げた白い大鼬、銀の皿に載っていた首、夜の村はずれを練り歩く笛の音を聞いたあの秋。不可思議な現象を引き起こす義理の姪といっしょに過ごしたあの年の秋。

 掌篇集中唯一の短篇。「『ラピスラズリ』の落穂拾いのようなもの」だそうで、冬眠する者たちの物語です。
 

「聖アントワーヌの憂鬱」
 ――悪魔払いの祈祷の折りも折り、苦しむ王女の口からにわかに怪しい煙が湧き出したかと思うと、勢いよく躍り出た半裸の女に正面から抱きつかれて聖アントワーヌは仰天した。「よもやわたくしをお忘れでは、アントワーヌ様」さも懐かしげに叫ぶ声が王宮の天井に響き渡った。
 

「水源地まで」
 ――蛇行する川に沿って上流めざし思い切り車を飛ばす。彼女が見たという橋姫の話を思い出した。何しろ当番制の魔女の言うことであるからどこまで本気にしていいものかわからない。
 

「向日性について」
 ――向日性と仮に呼ぶ性質は、かの地のひとびとの生活全般を厳格に支配している。すなわち日向にいる者は立って活動し、日陰の者は横たわって眠る。

 ガソリンスタンドで「申し訳ほどの屋根がつくる日陰のなかで給油機に凭れて目覚めることのなかった店主のこと」。白い歯の働き人も、人気のない町並みも、そこだけ抜き出せば現実のようでもあるのに、積み重ねられるとまったくの別世界です。
 

「影盗みの話」
 ――声はこのように語った。「〈影盗み〉とは何か。〈影盗み〉とは誰か? 伝説は言う、すべてはかれの赤い右手の秘密から始まったと。」〈影盗み〉についてまとめた小冊子は、このように書き出されている。
 

「火の発見」
 ――その日、《腸詰宇宙》の全域にわたって太陽の異常は目撃され、焦げた木切れや布地は神聖遺物として後世に伝えられることになった。「遠近法」シリーズ。
 

「アンヌンツィアツィオーネ」
 ――人は暗いところでは天使に会わない。塔で、壁に囲まれた庭園で、丘の糸杉の下で、少女は幼いころから折々に同じ天使を見た。それが天使であることは、誰に教わらなくとも正しく理解できた。

 『幻想文学』版に加筆訂正したもの。細かい設定や描写が加わったほか、かなり重要と思われる部分がいくつか変更されています。作品自体ががらりと変わってしまうような気もするのですが、意味ではなく絵が重要ということでしょうか。山が二つある雑誌版よりこちらの方が引き締まっているし、天使の表情もこちらの方がいっそう皮肉が強まっているようです。
 

「夜の宮殿の観光、女王との謁見つき」
 ――それではお前も願い事があるのね、やがて女王が言った。心願があって参りました、そのように母が答えるのを私の耳は聞いたが、隠れてパンを飲みくだすことに気を取られていたので何を言っているのか考える余裕はなかった。

 遠近感や尺度や方向感覚が揺れてぐらぐらと眩暈がします。それも、ファンタジーの心地よい揺れというよりは、船酔いや車酔いのときのような。文章だけで三半規管を刺激される作品でした。ブラックな『アリス』です。
 

「夜の宮殿と輝くまひるの塔」
 ――宮殿には主がいる。女王は謁見の間の夜の玉座に座っている。大理石の彫像であることは誰の目にも明白だ。「おれは女王の庶子の馬」真蒼な顔をした女王の庶子が、馬に乗ったまま玉座の脇にいる。女王の胸を貫いた青銅の剣と、女王の庶子が腰につけた青銅の鞘を結びつけて考える者は多い。

 『幻想文学』掲載。初読以来、女王の庶子の馬が口ずさむリフレインが耳について離れない、麻薬のような作品。ことば遊びのパーティ・ゲーム「わたしは女王」「わたしは女王の庶子」「おれは女王の庶子の馬」「おれは女王の庶子の馬の虱」「おれは女王の……」のようでもある。
 

紫禁城後宮で、ひとりの女が」
 ――紫禁城後宮で、ひとりの女が紫檀の椅子に腰掛けている。「あたしは厠にいきたいのだよ。抱いて連れていっておくれ。あたしは歩けないのだから」輿を担いだ十人あまりの宦官たちが、ようやく現れる。

 『幻想文学』掲載。それを押し込めるための纏足――冗談のようなアイデアを幻想譚にしてしまう、著者のすごさを感じる一篇。
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