『The Phantom Ship』Frederick Marryat(1839年)★★★☆☆

 『幽霊船』フレデリック・マリヤット。

 怪奇小説の古典「人狼(ハルツ山の人おおかみ)」の著者による長篇――というか、実は「人狼」というのがこの長篇の一挿話なのだそうです。『デカメロン』形式や連作長篇なのではなく、純然たる長篇でした。

 物語の骨格は〈さまよえるオランダ人〉伝説が元になっています。針路のことで言い争いが高じて舵取りを海に突き落としてしまった船長が、「たとえ審判の日まで鞭打たれ続けようとも、目的を達する」と天と稲妻と海に誓ったがために、生きることも死ぬこともできないまま海(喜望峰)をさまよい続けなくてはならなくなりました。死に際の母からそのことを聞かされた船長の息子Philip Vanderdeckenは、父を助けるために遺品の十字架を胸に海に出ることを決意します――。

 残念ながら怪奇小説っぽいのは最初と最後だけで、あいだはほとんど海洋冒険小説でした。それもそのはずマリヤット自体もともと海洋小説家であって、怪奇作家ではない。

 まずは恋愛。臨終の母を救おうとPoots医師を呼びに行ったPhilipは、医師の娘Amineに一目惚れしてしまいます。折りしも医師の財産を狙う山賊の企みを盗み聞きしたPhilipは、山賊を全滅させてAmineの愛を勝ち取りました。ところが金にがめついPoots医師は、Philipの遺産をつけねらっていて、あわよくば殺してでも……とまで思い詰め始め――。

 そして航海。一回目は割りと和気あいあいしてます。船長がペットの小熊を飼ってて、この小熊がことあるごとに積荷監査人のかつらを取ったりする可愛い奴です。最後には船は幽霊船に出くわし難破して全滅してしまい、この小熊はあわれ原住民に毛皮にされてしまいました。

 基本的には(航海→嵐や叛乱と戦う→帰還)の繰り返し。

 乗組員について。▼舵取りのSchriften。「片目の男というより男付きの片目」で、何かというと軋るような声で「he! he!」と嘲笑います。なぜかPhilipの十字架を狙っています。溺れ死んだかと思うとふたたびPhilipの前に現れる謎の男。▼航海士Krantz。三回目くらいの航海でPhilipと同船することになった元気な若者。Philipと気が合いその後も行動を共にする。「人狼」にも登場。

 その他の登場人物。▼Amine。Poots医師とエジプト女性のあいだの娘。Philipの妻。母から呪術の才能を受け継いでいる。▼Father Seysen。地元の司祭。PhilipやAmineのことを気遣う。▼Father Mathias。帰りの船でPhilipと一緒になった司祭。幽霊船を目撃したことがある。Amineの能力を知ってクリスチャンとしての使命からAmineに罪の告白を迫る。

 四回目の航海ではAmineも船に乗り込みます。ここらへんからもはや「さまよえるオランダ人」のことすらなかばどうでもよくなっていきます。またもや難破し、PhilipとAmineは離ればなれになり、命は助かったものの捕まって牢屋に入れられて、Mathias司祭が出張ってAmineを宗教裁判にかけ――。

 よもやこんな展開になるとは。いろいろあって白髪になったPhilip。オランダに帰る船の上でまたも幽霊船に出くわし、ここにも居合わせた片目のSchriftenと共に幽霊船に向かいます。そこで知らされたSchriftenの正体。そして許される父の罪。Philipは幽霊船に乗り込み、がっちりと父と抱擁。十字架に口づけするたびに、船は粉々に風化してゆき……やがて、そこにはもはや幽霊船はなかった。で幕。

 どう考えても第39章「人狼」だけ唐突で違和感がありました。長さもほかの章の倍以上あってバランスも欠いています。話の展開上Krantzが最後までPhilipと一緒にいるわけにもいかないから、どこかで死ぬか帰国するかいつの間にかいなくなるかする必要があるのは事実ですが。勘繰るならばこれはきっと『太陽にほえろ!』方式ですね。主要キャラには見せ場のある死が用意されているという。

 まとめ:強烈な個性を持ったSchriftenのキャラクターが面白かった。「人狼」の部分と導入部を除けば怪奇小説ではありません。海洋小説です。

  


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