『メイスン&ディクスン(上・下)』トマス・ピンチョン/柴田元幸訳(新潮社トマス・ピンチョン全小説)★★★★☆

 『Mason & Dixon』Thomas Pynchon,1997年。

 『線《ライン》』の話は止せ、マスクライン。あっこりゃいかん、――

 アメリカの領土問題における史実(メイスン・ディクスン線)をもとにした――はずの物語。

 とはいえピンチョン。何が事実で何が虚構であるかなど、わたしごときにはわかるわけがありません。「安手の波状の木目は業界筋では「彷徨える心」の名で通り」などという冗談としか思えないような記述も、もしかするともしかしないともかぎらないかも?と思わず勘繰ってしまいます。

 旧友メイスンの墓参りついでに(それも埋葬に間に合わなかったという駄目々々っぷり)ルスパーク家を訪れていたチェリコーク師は、子どもたちにせがまれて、旧知のメイスンたちの思い出を始めるのでした――。

 天文学者のメイスンと測量士のディクスンは、出会ったそばから「もう少しその……風変りな方かと……?」「私じゃ風変りさが足りんってか?」という噛み合わない会話を繰り返し、しゃべる犬を追いかけるうちに占い師から多難な航海を予言されます。しかもしゃべるのは犬だけではありません。時計もしゃべります。狼男もいます。願い事を「聞く」だけの耳もあります。

 なぜか向かう先は、フランスが拠点にしているとわかっているベンクーレン。当然のようにフランス軍艦に攻撃され……しかもいったんは船長同士で話し合いをして一安心、のはずだったのに、なぜかまたもや砲撃されて――。

 筋、といえるものをたどろうとすると障害物競走をさせられているような羽目に陥りますが、随所随所にドタバタ場面があるのでそれは障害ではなく遊具に一変します。メイスンを誘惑する人妻がボタンをはずすのに手間取って自らシャツを引き裂いたり、狂人を刺激しないために肩をすくめるスピードを落とそうという意味不明な気遣いをメイスンがしたり、巨大なチーズに轢かれそうなところを助けられたのがメイスンと妻のなれそめだったり。

 ようやくもようやくにして、ディクスンの師である数学者がいかにも本筋に関係ありそうな「線」について語り出したかと思いきや、ミトラ教の話が持ち出されてまたもや煙に巻かれてしまう始末です。

 ――という挿話の背景にも、アメリカや世界の歴史が見え隠れして、油断がならない。前述した砲撃の話にしてもそうですし、メイスンが誘惑される家にやっかいになる事情にしても無関係ではなかったりします。

 苦心のほどが窺える訳文は、しかしながら「柴田元幸」のよさが殺されてしまっています。一流のプロ野球選手がサッカーやっちゃったね……という感想でした。ここまでするならいっそ柳瀬尚紀にまかせちゃえばよかったのに。
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