『The Beast with Five Fingers』W. F. Harvey(Wordsworth Editions)

 ぶ厚い作品集なので一気には読まずに、ひとまず邦訳のある「The Clock」まで読みました。
 

「The Beast with Five Fingers」(五本指の怪物)★★★★★
 ――盲目のAdrian Borlsoverは、左手で点字に触れながら、右手で勝手に文字を書いていることがあった。死後、甥のEustaceに箱が届けられた。かさかさと音がする。鼠か? ところが出てきたのは人間の「手」であった。気味が悪いので抽斗に入れておいたが、「鍵を開けろ」というメモに騙されて女中が開けてしまった。鸚鵡を絞め殺している手をつかまえて、今度は釘付けにして金庫に入れておいたが、泥棒に入られて逃げられてしまった。警察によれば「不注意な泥棒の一人」が指紋を残していたという。そして『俺は抜け出したが、近いうちに戻ってくる』という置き手紙。Eustaceは耐えきれずに家を離れた。――が、そこにも手は追って来た。窓を閉め切って宿に閉じこもったが、窓の外で音がする。手が隙間からナイフを差し込んで掛け金を外そうとしているのだ。「出入口を締め切ってさえいれば……いや、煙突がある!」Eustaceは暖炉に火をつけたが、炎が燃え上がり、なかから黒い物体がEustaceにつかみかかった……。

 水木しげるの鬼太郎もの「手」の元ネタです。「五本指の怪物」「五本指のけだもの」の邦題で邦訳あり。ストーリーはほぼ「手」と一緒ですが、ラストが少し違います。「手」の場合は鬼太郎の手という設定ですから、共に燃え死ぬわけにはいかないのでしょう。結果的に、機転の利いた「手」版と、ターミネーターのようにどこまでも追ってくる怖さの「五本指のけだもの」版という違いが生まれています。読む前は「beast」というタイトルを不思議に思っていたのですが、なるほどそういうオチでしたか。現実主義者の執事は自分が怪物を見たとは信じられずに、あれ以来動物園を回って「五本指の形をした動物」を探している――という話でした。
 

「Midnight House」(ミッドナイト・ハウス)★★★☆☆
 ――その名前を目にしてから、一度は行ってみたいと思っていた。だが現実のMidnight Houseは当たり前の宿屋だった。人気はなく、窓も閉め切られて明かりも見えない。ようやく出てきた婦人にいったんは断られたが、何とか泊まることができた。部屋に入るといつの間にか眠って夢を見た。邪悪な顔をした老人の夢だ。ボートに乗ろうと、占拠された町に入ろうと、老人が窓から――そこで目が覚めた。風で窓が開いていたらしい。誰かが馬でやって来た。女主人が言った。「真っ直ぐ部屋に。右側の三つ目」何かよからぬことが起ころうとしているらしい。ドタドタと歩きまわる音、陶器が割れる音がする。あとは覚えていない。だが叫び声がしたのは確かだった。翌朝、下に降りると、背の高い年配の男がいた。

 かなり短めの作品です。この話は一人称であるのがポイントですよね。「ミッドナイト・ハウス」という名前に惹かれた夢見がちな語り手が、ある事情から独特の雰囲気になっている宿屋に妖しさを感じて、敏感に影響を受けて悪夢を見たり何かを感じ取ってしまいます。結局は語り手の思い込みだったことがわかるのですが、「忙しい」「うるさくしないで」「夜中に叫び声がした」等々、なるほど神経質な人間にはそう思えてしまうのかと上手くできてます。※ここからネタバレ幽霊屋敷でも悪事の企みでもなく、出産当夜だったのでした。
 

「The Dabblers」(ダブラーズ)★★★☆☆
 ――学校で守衛をしていたころの話だ。夜中にどこから歌声が聞こえる。出所も人数ももわからない。同僚や教師に聞くと、「Dabblersだよ」と言われた。「毎年この時期のこの時間になると現れるんだ。たぶんどこかの村の子どもが、幽霊のふりをしているんだろう」。ある人は「違うよ。生徒が布団を抜け出しているのさと言った。だが寄宿舎を見回ってみたが、抜け出した生徒はいなかった。後年、偶然出会った卒業生にたずねてみたが、「誰かのいたずらじゃないですか」と素っ気ない。だが話には第三幕があった。ついにDabblersの一員だったという男に出会ったのだ。「ぼくらのころは五人で……リーダーになる子が一人いて……そうやって続いていたんです……」

 「ダブラーズ」の邦題で『魔法使いになる14の方法』に邦訳あり。代々生徒たちのあいだで受け継がれている伝統を、何も知らぬ大人の側から都市伝説風に語った作品です。大学のサークルの馬鹿な伝統とは違って、こういうのは何か、いいですね。見知らぬ人にとっては怪談だし、そもそもなぜそんなことが続いているのかもわからないまま続けられているところに、人間の意思を越えた何かが存在しているようにも感じられてしまいますし。
 

「Unwinding」(アンワインディング)★★★★☆
 ――牧師の娘Millicentの十五歳の誕生パーティには、新しく越して来たCholmondley氏も招待されていた。連想ゲーム《ワインド》が始まった。「シャンパン」「贅沢」「一等客車」――牧師の番だ。「一等客車?――殺人だな」。参加者は戸惑った。一等客車と殺人には何の関連もない。「いえ、十年くらい前……発車直後に別の列車から男が飛び乗ってきたのです。その男の足許には……血が流れていました。次の駅で男は列車を降りました。ところが翌日の新聞に、列車で殺人があったと書かれていました。その列車こそ男が飛び乗って来た列車でした……あの男は、殺人犯だったのです」。食事が終わり、男性客たちが葉巻を吸いに外に出ると、連想ゲーム《アンワインド》が再開された。※ここからネタバレ「ロンドン塔」「リチャード三世」「殺人」「一等客車」「Cholmondley氏」と牧師は答えた。「真面目にやってちょうだい! あら、そういえばCholmondley氏は?」

 作中で描かれている「Unwinding」というゲームは、一つの単語から連想する単語を順番に口にして、遠い場所までたどり着いたら、そこからunwind(巻き戻し)て連想ゲームで戻ってくるというルールだそうです。遠い日の恐ろしい思い出話……に過ぎないと思っていたら、ぼんやりした牧師の単なる言い間違いのようなさりげない一言と、何にも気づいていない参加者たちの「あら、あの人いないわ」という恐ろしい一言が、一気に恐怖を引き寄せる作品でした。
 

「Mrs Ormerod」(オームロッド夫人)★★★★☆
 ――Aleck&Mary Inchpen夫妻はアフリカで医療に就いていたことがある。料理女で家政婦のMrs Ormerodは嫌な人間だ。Aleckが食後に席を外すのは一服するためだと思っていたのだが、何と皿洗いをしていた。家政婦というよりもむしろ管理者だった。わたしはMaryにたずねてみた。「なぜ馘首にしないんです?」「みんなそう言うのね。あの人のこと知らないのに。目が悪い可哀相な人なの」。Aleckも曖昧な返事しかしない。滞在最後の晩、Ormerod夫人がお湯を持ってきてくれた。実は親切な人なのかもしれない。ところが夜中に目が覚めると、ベッドがびしょ濡れだった。Ormerod夫人の仕業だ。翌朝、車で駅まで送ってくれたAleckが言った。「家に戻ったら馘首にするよ」※ここからネタバレ……だがそうはならなかった。帰宅中、道を歩いていたOrmerod夫人の養子がAleckの車にはねられた。命に別状はないが、快復には数か月、ことによると一生外には出られないらしい。医者であるInchpen夫妻に看病されている。Maryはそれが生き甲斐だ、という噂だ。

 悪意のある夫人になぜか頭が上がらずそのまま絡め取られつづけてゆく家族の話。一つ一つやってることはどうってことないのですが、それだけに不気味で不愉快な嫌悪感がボディブローのように効いてきます。
 

「Double Demon」(ダブル・デーモン)★★★★☆
 ――George Cranstounは姉とその看護婦のことを考えていた。二人は殺人を楽しむことができるだろうか? Georgeは看護婦のJudithに声をかけた。「愛している。結婚しないか。姉がいなければ……」「どうするの?」。Georgeは耳打ちした。「いつ?」。Georgeは答えた。その後、Georgeは姉のIsobelと話をした。「あの看護婦は馘首にすべきだ」「いいひとだと思うけど?」「馘首にできないんなら……」「いつ?」翌朝、二人にピクニックの準備をさせ、Georgeはボートの用意をしていた。マストを立てる。端に座る予定のJudithがマストにつかまろうとして、バランスを崩して、ボートはひっくり返り……それでいい。しかしいったい二人は何をぐずぐずしているんだ? ※ここからネタバレいつの間にかIsobelのかかりつけの医者が来ていた。「お話があるのですが……」「なんです?」「つまり、お姉さんとしばらくお話をしていたのですが――」Georgeは理解した。「では、参りましょうか」

 ダブル・デーモンとはカード・ゲーム。前日の夜にGeorgeが運試しにおこなってツキを占っていました。よからぬ計画を練っていた老人でしたが、意外な結末が待ち受けていました。
 

「The Tool」(道具)★★★★☆
 ――わたしは月曜日に出発した。土曜日、標識代わりの盛り土さえまばらにしかない場所を歩いていた。ようやくたどり着いた次の盛り土の向こうには、撲死体が倒れていた。警察に知らせなくてはならない。わたしは歩き続けた。ようやくたどり着いた町には人気がない。保安官は留守だった。わたしは宿屋の女将にたずねた。「土曜の夜にしてはずいぶん静かだね」「日曜はほとんど仕事がないんですよ」と言って女将はさがった。日曜? わたしは毎日手帳をつけていた。今日は土曜日のはずだ。わたしの一日は、どこでなくなったのだ? ※ここからネタバレ眠れずに手に取った本には、盛り土の横に倒れた男を見下ろす男の絵が……。翌朝、本を確かめるとイラストなどなかった。夢だったのか? わたしは現場に戻ることにした。盛り土だ。だが周りには何もない。わたしの足跡だけだ。たとえ気が狂っているにせよ、人殺しではなかったのだ。だが宿屋で新聞を見て愕然とした。火曜日? 今日は月曜日なのでは……。また一日分の記憶がない。女将に聞いてみた。「わたしは一昨日何をしていました?」「一昨日も昨日も出かけていましたよ」。わたしは部屋の本を確かめた。よく見るとイラストはきれいに切り取られていた。すべては神の思し召しだ、と信じている。あの男は殺されねばならず、わたしはそれを実行するための道具として使われたのだ。

 初めは一日が喪失している恐怖。やがて記憶を失った恐怖――と同時に人を殺したかもしれない恐怖が描かれますが、それらすべてを糊塗して弁明するような「道具」という発想が異色です。
 

「The Heart of the Fire」(暖炉の中心)★★★☆☆
 ――Moorcock亭の暖炉には銘が刻まれている。「暖炉に火があるうちは、幸運が汝に微笑む」。これには古い言い伝えがある。百年前のこと、Moorcock亭の主はThomas Aislabyといった。ある嵐の夜、道に迷った旅人が宿を借りに来た。金貨の入った鞄を持っているのを見て、Aislabyは旅人を手にかけた。暖炉の石をずらし、死体を埋めた。旅人は沼に落ちたことにした。Aislabyは金持ちになったが、暖炉の前から離れようとはしなかった。息子夫婦は改装したがったが、Aislabyは頑として譲らなかった。やがて妻が死に、息子が死に、九十歳を過ぎたころには曾孫も結婚することになり、Aislabyが死ねば暖炉も取り壊されることになりそうだったが……。Aislabyは動こうとしたが、もはや身体はいうことを利かなかった……。

 超自然の要素もありますが、殺人による良心の呵責と暖炉の銘に対するかたくなな信仰が中心に描かれています。苦悩や後悔は直接的には描かれず、ただただ暖炉のある台所に閉じこもり続けるAislabyの、その周りだけが変わっていくことで、理由も理屈もない執心が感じられます。
 

「The Clock」(旅行時計)

 『怪奇小説の世紀』第一巻に、西崎憲による「旅行時計」の邦訳あり。
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