「妙な話」★★★★★
――知っている通り、千枝子の夫は欧州戦役中、地中海に派遣されていた。それが夫の手紙がぱったり来なくなったせいで、神経衰弱がひどくなり出したのだ。ある日、学校友だちに会いに行くと云い出した。――それが妙な話なのだ。停車場へはいると、赤帽の一人が突然千枝子に挨拶をして、「旦那様はお変りありませんか。」と云った。
何気ない世間話のような冒頭から怪異のもう一つの意味が明らかになる結末に至るまで、間然するところのない傑作です。赤帽という身近にいる存在だからこそ、どこを見ても赤帽だらけで、追いつめられてゆくような感覚は、これは怖い。煙草をのんでいる風車売のような、日常の風景の場合はことさらです。冒頭で神経のことに触れておいて、雨のなか突然友だちに会いに行くというのもいかにも狂気を思わせながら、実は――というのも巧みです。
「黒衣聖母」★★★★★
――その麻利耶観音は、顔を除いて、他はことごとく黒檀を刻んだ立像である。しかも唇には一点の朱まで加えてある。……「これは禍を転じて福とする代わりに、福を転じて禍とするそうですよ。――」八ツばかりの男の子が重い痲疹に罹りました。祖母は十字を切って御祈祷をあげ始めたそうです。
黒い聖母像なら実際に存在するわけですが、それが化粧をしているとなると途端に禍々しさが倍増します。「猿の手」をはじめとした願い事を叶える怪談にはお馴染みの、嘲るように願いの裏をかく「嘘は言ってません」型の作品です。「永久に」の一言が恐ろしい。一目見たばかりで「永久に」と断言できる語り手は何なのか。「永久に」と言わせてしまえる聖母の微笑とはどれほど禍々しいのか。
「影」★★★★☆
――横浜。陳は忌々しそうに舌打ちをした。「拝啓、貴下の夫人が貞操を守られざるは、再三御忠告……」鎌倉。「旦那様は今晩もお帰りにならないのでございますか?」「それでも私の病気はね、ただ神経が疲れているのだって、先生が――あら。」「どう遊ばしました、奥様」房子は無理に微笑しようとした。「誰か今あすこの窓から、この部屋の中を――」
「煙草の煙、草花の匂、ナイフやフォオクの皿に触れる音、部屋の隅から湧き上る調子外れのカルメンの音楽」というふうに、その場所の様子が羅列される場面があって、何だろうと思っていたら、こういう書き方であることが○○であるという伏線になっていたんですね。疑心暗鬼が生じさせたドッペルゲンガーの話。
「奇怪な再会」★★★☆☆
――お蓮が本所に囲われたのは、明治二十八年の初冬だった。お蓮に男のあった事は、牧野も気がついてはいるらしかったが、頓着する気色も見せなかった。しかしお蓮の頭の中には、始終男の事があった。何故男が彼女の所へ、突然足踏みもしなくなったのか。
語り落とされていた事情が登場人物の台詞で触れられたり、お蓮視点の物語に外からの婆さんの証言が挟まれたりすることで、少しずつ事実が明らかになってゆきます。東京が森になる――易者が口にしたのは不可能なことのたとえのはずなのですが、だんだんとお蓮の物狂いが明らかになってくるにつれて、それにともない予言めいた響きを持ち始めてくる(すなわち本当に実現しそうな響きを持ち始めてくる)のが皮肉です。
「アグニの神」★★★☆☆
――支那の上海のある町です。ある家の二階に、印度人の占い者の婆さんがいました。「恵蓮、恵蓮。」と呼び立てると、出て来たのは美しい支那人の女の子です。「今夜はアグニの神へ御伺いを立てるんだからね、そのつもりでいるんだよ。」……その日の同じ時刻に、この家の外を通りかかった遠藤という日本人があります。それが二階の窓から顔を出した支那人の女の子を見て、ぼんやりと立ちつくしてしまいました。
怪奇短篇集『奇怪な再会』の掉尾を飾るのは童話。仮にアグニの神が願いを叶えてくれたのだとすると、妙子はこのあと死なねばならないわけですが……が――もちろんアグニの神が殺した、ということはつまり、アグニの神が乗り移った妙子がナイフで殺した、ということであって、だとするとすべてを察した遠藤が「(殺したのは)アグニの神です」と素知らぬふりをしてアグニの神の仕業だと妙子自身にも信じ込ませようとした――という可能性も疑えるように書かれています。
「妖婆」★★☆☆☆
――あなたは私の申し上げる事を御信じにならないかも知れません。いや、きっと嘘だと御思いなさるでしょう。この大都会の一隅でポオやホフマンの小説にでもありそうな、気味の悪い事件が起ったと云う事は、御信じになれないのは御尤もです。が、私に云わせれば、驚くべき超自然的な現象は、まるで夜咲く花のように、始終我々の周囲にも出没出来しているのです。
「アグニの神」の改作。前置きとして語られる東京の町で起こる不思議な日常、水に浸って頭だけを出して願掛けする妖婆、どこまでも追いかける目や声、黒魔術の呪いのような神寄せなど、印象的な場面がいくつかつけくわえられたものの、妖婆の家に押しかけた新蔵が芝居がかったやり取りで押し問答を始めたり、一度でも人を呪い殺した場所では再び人を殺すことはできないというとってつけたような設定が不意に出てきたり、もたつく場面もいくつかあって一長一短。
「魔術」★★★☆☆
――マティラム・ミスラ君と云えば、もう皆さんの中にも、御存じの方が少なくないかも知れません。ハッサン・カンという名高い婆羅門の秘法を学んだ、魔術の大家なのです。「私がハッサン・カンから学んだ魔術は、あなたでも使おうと思えば使えますよ。高が進歩した催眠術に過ぎないのですから。――」
雨の音が効果的に使われていて、雨音がばらばらと聞こえてくるようでした。エースではなくわざわざ王様《キング》を選ぶところが、完全に掌の上で転がされているようです。
「二つの手紙」★★★☆☆
――警察署長閣下、先ず何よりも先に、私の正気だと云う事を御信じ下さい。歴史上を見ますと、Doppelgaengerの出現は、死を予告するように思われます。が、必ずしもそうばかりとは限りません。更に進んで第三者によるドッペルゲンゲルの例を尋ねますと、これもまた決して稀ではございません。私も、私及私の妻のドッペルゲンゲルに苦しまされているのでございます。
妻の浮気を受け入れることができずに、ドッペルゲンガーという抜け道をひねり出した、独創的な狂人の手紙。191ページで不自然なほど唐突に不貞の話が出てきたあたりで、「ははーん」とわかるわけですが、そこから先で「浮気相手との狂言」という可能性が排除されるため、妄想なのかドッペルゲンガーなのかは最後までわかりません。
「春の夜」★★★☆☆
――これはNさんと云う看護婦に聞いた話である。ある年の春、Nさんは看護婦会から野田と云う家へ行くことになった。何か妙に気の滅入るのを感じた。一つには姉も弟も肺結核に罹っていたためであろう。また一つには、四畳半の離れの抱えこんだ庭に、木賊ばかりが茂っていたためである。
春の夜に体験した、生き霊のごとき生き写しの怪異。事情を話そうとする母親をさえぎるように口を挟んだ姉。思わせぶりに語られたコトに引き込まれていると、最後になって、語っているヒトの思いが浮かび上がってきました。
「孤独地獄」★★★☆☆
――この話を自分は母から聞いた。話の真偽は知らない。大叔父の津藤は所謂大通の人であって、ある時吉原の玉屋で一人の僧侶と近づきになった。表向きは医者だと号している。その禅超がある時こんなことを云った。仏説によると地獄にもさまざまあるが、根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三つに分つ事が出来るらしい。
ものをものとも思わない豪快な僧侶の目に見えていた「地獄」。最後には病んでいる芥川の心情吐露じみています。今となってはひきこもりみたいなタイトルもアレです。
「幻燈」★★★★☆
――「このランプへこう火をつけて頂きます」玩具屋の主人は金属製のランプへ黄色いマッチの火をともした。「ランプを入れて頂きますと、あちらへ月が出ますから……」石鹸玉に似た色彩が、見る見る一枚の風景画に変った。
乱歩が得意としたような、幻灯や鏡のなかに子どものころ垣間見た世界。存在したはずのない記憶。
「西洋人」(「保吉の手帳から」より)★★★☆☆
――この学校へは西洋人が会話や英作文を教えに来ていた。保吉はタウンゼント氏と同じ避暑地に住んでいたから、汽車の中で煙草の話だの学校の話だの幽霊の話だのを交換した。スタアレット氏はずっと洒落者で、新刊も覗いて見るらしい。
文学的な知ったかぶりを聞いてから馬鹿にしていた西洋人教師を、あることがきっかけで見直す話。〈文豪怪談〉としては神智学者がハムレットの幽霊やオカルティズムについてちょろっと触れるところがあるくらいです。
「午休み」(「保吉の手帳から」より)★★★☆☆
――保吉は二階の食堂を出た。木蘭はなぜか日の当る所へ折角の花を向けないらしい。保吉は木蘭の個性を祝福した。鶺鴒も彼には疎遠ではない。尻尾を振るのは案内する信号である。「こっち! こっち!」
俗物な「西洋人」から打って変わって、保吉が見た白昼夢。飛んじゃってます。
「海のほとり」★★★★☆
――僕は雨戸をしめた座敷に横になっていた。すると誰か戸を叩いて「もし、もし」と僕に声をかけた。その声はどうもKらしくない。池のさざ波は寄って来るにつれ、だんだん一匹の鮒になった。……一時間ばかりたった後、僕等は海へ泳ぎに行った。「泳げるかな?」「きょうは少し寒いかも知れない。」
へえ。「蜃気楼」に前編があったとは。日常の合間合間にふとかいま見せられる、これ自体が彼岸の出来事のような光景。鮒から少年へ、少年から少女へ、少女は水に還り、水母は、虎魚は、海蛇は、蛯だらけの水死体は、幽霊は、水に入った人を刺す。
「蜃気楼 或は「続海のほとり」」★★★★★
――ある秋の午頃、僕はK君と一しょに蜃気楼を見に出かけて行った。「新時代ですね?」K君の言葉は唐突だった。新時代?――僕は咄嗟にK君の「新時代」を発見した。それは海を眺めている男女だった。蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔っていた。僕等は腹這いになり、陽炎の立った砂浜を透かして眺めたりした。。
圧迫するような牛車の轍、暗闇のなかで聞こえる鈴の音、砂の反射光で闇に浮かび上がる顔、等々、イメージのきらめきが目の前に迫ってくるようで、怖いくらいの現実感がもたらされます。
「死後」★★★☆☆
――僕は床へはいっても、何か本を読まないと寝つかれない習慣を持っている。読んでいるうち、じきに眠りに落ちてしまった。夢の中の僕は暑苦しい町をSと一しょに歩いていた。「君が死ぬとは思わなかった」Sは扇を使いながら、こう僕に話しかけた。
神経が参っている人の見た夢の話。睡眠薬と不眠と芥川というので先入観を持ってしまいましたが、よく読むと冒頭の段階では病的なところはなく、単に寝る前に本を読む癖のある人のように読めるように書かれていました。
「夢」★★★★☆
――十号ぐらいの人物を仕上げるためにモデルを雇うことにした。「君の家はどこ?」「あたしの家?」制作は捗どらなかった。モデルはきょうはいつもよりは一層むっつりしているらしかった。
夢と現実の境界が曖昧になってしまう点には新味はありませんが、大きな胸の乳首が大きくなり出し乳房もふくらみ……とこういう何かが大きくふくらんでゆく、という感覚がものすごく現実の夢っぽくて、夢かと思ったら現実だ、とも言い切れない曖昧さが持続する。
「凶」★★★☆☆
――大正二年の冬、僕はどこかからタクシイに乗った。やはり自動車が一台、僕のタクシイの前を走っていた。しかしだんだん近寄って見ると、――それは金色の唐艸をつけた、葬式に使う自動車だった。
四つの点を並べて、それが最後に一つの結論として結ばれます。無関係の四点というわけではなく、「凶」四点なのは明白なのですが、単なるシーンかと思っていたものが連続した出来事の予言だった(霊柩車→自殺→お棺の中→霊柩車)とわかったときには迫るものがあります。一瞬、芥川って首吊って自殺したんだっけ?と思ってしまいました。
「文藝雑話 饒舌」★★★☆☆
――ハイネによると独逸の幽霊は、仏蘭西の幽霊より不幸だとあるが、日本と支那の幽霊の間にも大分懸隔がある。
幽霊〜怪物〜動物〜小学生のころ。連想のまにまに綴られるエッセイ。
「近頃の幽霊」★★★☆☆
――西洋の幽霊の話でも少ししましょう。近頃の小説では、幽霊の書き方が、余程科学的になっている。
正確には「近頃の幽霊」ではなく「近頃の怪談」について。心霊学が出始めたころ。
「英米の文学上に現われた怪異」★★★☆☆
――英米の文学を通称していうと、近代ではイギリスではスコットに幽霊の話が多い。
怪談作家の紹介。
「The Modern Series of English Literature序文抄」
――M. Crawfold の名は屡我国にも伝えられている。
「市村座の「四谷怪談」」★★★☆☆
――「四谷怪談」の人物は綺麗にも高等にも出来上ってはいない。その代りにずっと溌剌としている。
今読むと今さらという感がなきにしもありますが。ゲーテの「鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」にちょろっと触れられてました。
「新編・妖奇怪異抄」★★★☆☆
――英語にwitchと唱うるもの、大むねは妖婆と翻訳すれど、年少美貌のウィッチ亦決して少しとは云うべからず。
芥川のエッセイから、東氏が怪奇幻想系をセレクト。池西言水の俳句などが引用されています。
「椒図志異」★★★★☆
――千本木何某 藪に入るに足もとに女の足二つ投げ出したるが見出られつ 何処ともなく細脛なれど折れはしません細脛なれど折れはしませんとうたう声さえするに何某は恐るる気色もなく其上を踏みて通りぬ
怪談覚え書き集。「魔魅及天狗」篇の2・千本木さまの話、4・百物語中に狂歌師の病床の母が訪れる話(どっかで読んだことある)、12・猫を捨てに行って行方不明になる話・井戸の底から女が釣瓶を引っ張る話。
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