『きのこ文学名作選』飯沢耕太郎編(港の人)★★★★★

 東編集長の幻妖ブックブログで紹介されていた祖父江本です。祖父江氏やりたい放題。

 巻頭言が菌に浸食されています。本文用紙が多種多様で、なかには薄くてめくりづらい(というか破れてしまいそうで気を遣う)ものまであります。本文組も斜めから逆さまから二段組みから大活字までさまざま。そもそもタイトルが目立ちません。

 一見そんな装幀ばかりが目立つ本書なのですが、実は収録作も粒ぞろいでした。嬉しい誤算。
 

「孤独を懐かしむ人」萩原朔太郎 ★★★★☆
 ――じめじめした/土壌の中から/ぽつくり土を/もちあげて/白いきのこの/るゐが/出る/出る

 恐らく改行が元詩とは違う。活字が大きいので改行せざるを得ないのだ。詩では「やってはいけない」不文律を敢えてやるどころではなく、それどころか本文がページをまたがっているので文章をたどることすら容易ではない。
 

「きのこ会議」夢野久作 ★★★☆☆
 ――椎茸が立ち上がりました。「皆さん、この頃人間は私を重宝がって、わざわざ木を腐らして畑を作ってくれますから、私共は立派な子孫が殖えて行くばかりです」次に松茸が演説をしました。「人間は何故だか私共がまだ傘が開かないうちを喜んで持って行ってしまいます。残念でたまりません」

 ものや動物に仮託させたり、ものや動物自身に口を利かせたりするのは諧謔や諷刺の定番です。けれどそんな寓話めいた手法も、理屈を通り越した理不尽な暴力によって無効化されてしまいます。
 

「くさびら譚」加賀乙彦 ★★★★★
 ――その病院に、先生と呼ばれている患者がいた。先生は、私の大学時代の恩師であった。先生の放心癖については教室員の間では数々の珍談が語り継がれていた。忘れ物は先生にとって日常茶飯である。時には外套まで忘れてくる。「何をしておられます。こんなところで」「うん。実はな、キノコじゃ、キノコをとってるんじゃ」

 きのこに毒され魅入られて、異界をかいまみてしまう「狂人」。そのほかの点で頭がすっきりしているのであれば(少なくとも当人たち目線では)、これほど幸せなことはないでしょう。実際きのこ狩りの楽しそうなこと、きのこ料理の美味そうなこと。本来であれば第三者的な立場であるはずの、観察者である精神科医も一枚かんでいるため二重におかしい。
 

「尼ども山に入り、茸を食ひて舞ひし語」今昔物語集より)★★★★☆
 ――今は昔、京にありける木伐人どもあまた北山に行きたりけるに、道を踏みたがへて歎きけるほどに、尼君どもの四五人ばかりいみじく舞ひかなでて出で来たりければ、木伐人どもおぢ怖れて、定めて、よも人にはあらじ、天狗にやあらむとなむ思ひたり。

 話自体は今昔物語集のなかでもわりと取るに足らない部類に入る話なのですが、このきのこのドアップは強烈です。毒々しいことかぎりない。
 

「茸類」村田喜代子 ★★★★★
 ――田舎から電話があって康江が足を怪我したという。「今、椎茸採りの最盛期でな、美枝さんに十日ばかり手伝うてもらえんかち言うとるんじゃ……」「椎茸採りをですか?」わたしは栽培している山もろくに見たことがない。山は朝のうち雨が降ったという。湿気た椎茸は一刻も早く乾燥機に入れねばならない。

 親指Pではないけれど、なるほど親指はきのこの形をしていなくもない。茸農家の仕事ぶりがかなり詳しく描かれており、つまり読者は美枝とともに夫婦の普段の生活をなぞるようにたどって、夫婦の境地を追体験するがごとく、最後の瞬間にたどり着く。エロティックな話(エロではなく色っぽい話)を思いつくまま連想してみました……「唇から蝶」『絹』『卍』「片腕」……あんまり思いつかないけれど、これらに連なる名作なのは間違いありません。
 

「あめの 日」八木重吉 ★★★★★
 ――しろい きのこ/きいろい きのこ/あめの 日/しづかな 日

 まるでこの本のためにあらかじめ著者と装幀家が相談して作ったのではないかと錯覚しそうになるような、完璧なコラボレーション。
 

「茸の舞姫泉鏡花 ★★★★★
 ――「杢さん、これ、何?……」と小児《こども》が訊くと、「綺麗な衣服《べゝ》だよう。」杢若どのは、青竹を立て、縄を渡したのに、幾つも蜘蛛の巣を引搦ませて、商買をはじめた。「何処から仕入れて来たよ。」「さとからぢや、はゝん。」

 幼いころに神隠しにあった居候が、隠れ里からの迎えに連れられて、蜘蛛の巣の着物をまとった紅茸の姫君や侍女たちの踊りを目撃します。茸の狂気が異世界や異人に留まらずに伝染してゆき、茸が人になるというか、人が茸になるその気持ち悪いような美しさ、生々しさ――鏡花はこういうのの匙加減が、たぶん天然で絶妙です。

 また、蜘蛛の巣に露がかかって綺麗、というのは想像しやすい。けれど虫の羽根が引っかかってきらきらと輝いている、というのは、文章でしか味わえない美しさでしょう。いくら玉虫色の羽根であっても現実には蜘蛛の巣に引っかかって千切れた羽根は美しくはあるまいでしょうから。
 

「茸」北杜夫 ★★★★☆
 ――気がつくと私は見知らぬ一室にいた。ホテルの一室らしいが、壁に絵が飾られてあった。褐色の肌をした女の半裸像であった。私は夢うつつの中に、しかし確実に思ったのだ。あの女自体を、何時どこであるかは分からぬが、私は実際に知っているのだと。

 マジックマッシュルームを食べもしないのにトリップしてしまった語り手ですが、ここまで収録された作品群を読んできたなら、茸の毒には食せずとも魅せられてしまう作用があることなぞは百も承知。どうやらかつて女を抱いたか犯したことだけは確からしいものの、いつどこでどのようにしてだったのか自分は何者なのかどれが記憶でどれが妄想なのか茸の毒なのか違うのか、「見覚えのある女」というおぼろげなキーワードだけをたよりにさまざまな時間や場所を振り回されます。
 

「あるふぁべてぃく」中井英夫 ★★★★☆
 ――その秋、Z夫人から懇意な招待状が三組の家庭に届いたとき、彼らの恐惶ぶりといってはなかった。さまざまな投資から産み出されている筈の莫大な蓄積を思うと、ぞっくりと背すじを走る期待感に身顫いが出るほどだった。

 ウィリアム・アイリッシュの某作を思い起こさせる趣向ですが(というか原理自体が定型なのでしょうが)、たとえ二心なくともパニくるようなこんな状況(膿を吸わせた観音様級に理不尽な試練)では、理屈で考えれば何を確かめることもできないはずなのに、それに気づかず確かめた気になっているZ夫人が、「哀れ」というより、疑心暗鬼の強迫観念に囚われて狂気に近いところまで行ってしまっているようで、恐ろしくもあり惨めでもあります。ミステリ作家でもある著者らしく、本書もここにきてようやく、ありそうでなかったキノコ利用法が登場します。
 

「蕈狩」正岡子規 ★★★☆☆
 ――くれなゐの裾をうばらに引かれつつ都少女の木の子狩るらん/誰がさけぶ聲のこだまに鳥鳴きて奥山さぶし木の子狩る頃/蕈狩りのつかれてねむる枕邊に秋の香滿ちて笠立てる見ゆ

 「きのこがり」ではなく「たけがり」と読むらしい。歌われているのは茸単体ではなく、茸のあるところすなわち山であり自然であるという当然のことを思い出させてくれる。一つ一つの歌に、まるで五感のすべてが詰め込まれているようです。
 

「茸」高樹のぶ子 ★★★★☆
 ――ふと玄関の横を見ると、ダンボール箱が置いてある。箱から溢れんばかりに茸が盛り上がっていた。誰かが茸狩りでもして、おすそ分けで置いていったのだろう。これは、しめじだろうか。水で洗うと頭の部分がぬるぬると滑る。ヌル茸だ。そうだ、ヌル茸と呼ぼう。……深夜、体が、それもお腹のあたりが熱くなって目が覚めた。

 これまたありそうでなかった、茸とエロの直接的な結びつきが描かれています。老境に入った時子が、身体で感じて思い出す若かりし日の出来事。惚けているとも死が近いとも違う、とある瞬間にふっと忍び込みます。
 

「くさびら」狂言集)★★★★☆
 ――この間、某が庭前へ、時ならぬくさびらが出ましたによって、取り捨ててござれば、一夜のうちにまたもとのごとく上がりまするによって、加持を頼もうと存ずる。

 笑いとしてはかなり単純な笑いなのですが、それより何よりシュールすぎる光景にびっくりしました。
 

「朝に就ての童話的構図」宮澤賢治 ★★★☆☆
 ――蟻の子供らが手を引いてやつて来ました。「あつあれなんだらう。あんなとこにまつ白な家ができた」「兵隊さんにきいて見やう」

 「北緯四十五度東経六厘」というのが微笑ましい。蟻の目から見た巨大な茸が育ち、倒れる景色には、「くさびら譚」や「茸の舞姫」で描かれたのとはまた違った美しさがあります。
 

「神かくし」南木佳士 ★★★☆☆
 ――九十歳になった元気な患者の田村さちさんが家の前を通りかかった。「妹とキノコ狩りだよ。一緒に行くかい」老いた姉妹は、行くぞ、とも告げずに歩き出した。速い。……あれは十数年前。田村さんが救急車で運ばれてきた。「このままどうか……」入院の世話と、田村さんとの共同生活に疲れ切ったふうに見える妹さんとの間に暗黙の了解が成立した。

 語り手である鬱病の医者自身がすでに精神的に覚束ないように見えるので、読むのが初めからしんどい。医者をダシにした姉妹の嘘のつきあいが醜怪で、下手なホラーよりよほど怖い。この姉妹の愛憎が生々しくて人間らしいとでもいえばいいのか、なぜか医者も元気になってます。
 

「キノコのアイディア」長谷川龍生 ★★★★☆
 ――もうすぐよ、もうすぐに、あなたの見たかったものが見えるの、霧の粒子がつめたくふりかかってくる中で、おんながぼくをせきたてて一番目の鞭をふるった。

 散文詩。銀の紙に白文字で印刷されているのでほとんど見えない。追い求めているものが毒々しい色彩を持つキノコだからこそ、背徳の香りが倍増されます。
 

「しょうろ豚のルル」いしいしんじ ★★★☆☆
 ――雌豚のルルは目が見えません。子豚だったころ、誰かが小屋に仕掛け花火を投げ入れたのです。倅のジジはちょうどその時分小屋におらず、難を逃れました。

 最後に変化球。キノコっちゃキノコです。

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