『ちくま文学の森7 恐ろしい話』(筑摩書房)★★★☆☆

 あんまり怖い話がありませんでした。というところでタイトルが「怖い」のではなく「恐ろしい」話なのだと気づきました。

出エジプト記より」
 ――人を撃ちて死なしめたる者はかならず殺さるべし。その父あるいは母を撃つ者はかならず殺さるべし。

 文語訳聖書。
 

「詩人のナプキン」ギヨーム・アポリネール堀口大學(La serviette des Poètes,Guillaume Apollinaire)★★★★☆
 ――生活のどん底、芸術の極致に身をおいて、ジュスタン・プレロオグは画家だった。四人の詩人がかわりばんこに彼を時々訪ねて来た。食卓では同じナプキンが、順次に四人の詩人によって用いられていた。

 現実を考えれば恐ろしい話――ではありますが、その実は悲劇や奇跡をニヤニヤと笑い飛ばす黒いユーモアの作品であります。むしろその不衛生さに背筋がぞくっとしてしまいました。
 

バッソンピエール元帥の回想記から」フーゴー・フォン・ホフマンスタール/大山定一訳(Das Erlebnis des Marschalls von Bassompierre,Hugo von Hofmannsthal)★★★★☆
 ――わたしの通るたびに、小売店のわかい主婦が丁寧な挨拶をしてくれた。わたしが二人だけで会うような機会を提案すると、身にあまるうれしいお言葉です、という返事だった。召使いが言った。しかるべきところを用意いたしましょう。ペストが流行していますから油断がなりません。

 赤死病ならぬそのものずばりの黒死病が、赤い死のようにひたひたと忍びよる恐怖。抱擁や死そのものではなく、その影が揺れることで、いっそう不安が掻き立てられます。回想記という膜を通してさらに影越しに見える景色は朧なだけに、恐ろしいけれど美しい。
 

「蠅」ルイージ・ピランデルロ/山口清訳(La Mosca,Luigi Pirandello)★★★★☆
 ――ザルーは喉をごろごろ鳴らしていた。飼葉桶の側の格子窓からは陽の光が、もはや人間の顔とも思われないその顔に斜していた。「先生が見えたぞ」医者は死にかかっている男を見た。「何か虫に刺されたおぼえはないかね?」

 壁に付いている驢馬の形の影というのが恐ろしくリアルでした。こういう細かいリアリティがあると、臨場感が数倍にも増して恐怖がいっそう募ります。ちなみに「蠅」というのは恐らく英語の「fly」と一緒で、アブやブヨも含むのでしょう。
 

「爪」ウィリアム・アイリッシュ/阿部主計訳(The Fingerail,William Irish)★★★★☆
 ――「もう五年も前になるが、ある晩、殺しがあってね――」骨董商がが刺殺され、金が盗まれた。「これだけあるがらくたの中の、どの箱に金を入れているか、ちゃんと知っているやつだな」「すると、爺さんの方が金を払うという間柄だったわけですな」「歩けないほどの関節炎だったのだから、食事は取り寄せていたに違いない」

 読み返してみると(アイリッシュの多くの作品同様)粗は見えるけれど、やはりこの証拠の隠し方のインパクトは忘れられません。
 

「信号手」チャールズ・ディケンズ小池滋(The Signalman,Charles Dickens)★★★★☆
 ――「おうい! そこの下の人!」こう呼びかけかれた彼の態度には、どこか異様なところがあった。その信号手が話してくれたところによると、「ある月夜のことでした。信号灯のかたわらで今のように叫んでいる人が見えたのです。すぐ近くまで駆けよったら、消えてしまったのです。その六時間後、この線で歴史に残る大事故が起きました」

 読み返すのも何度目かで、やっとのことで「signalman」の二重の意味に気づいた。「信号」を受け取ってしまった人の話なのか。
 

「お前が犯人だ」エドガー・アラン・ポー丸谷才一('Thou Art the Man',Edgar Allan Poe)★★★★☆
 ――市民の一人であるシャトルワーズィ氏が、殺害の疑いをいだかせる状況の下に、行方不明になった。捜索に当って最も熱心だったのは、親友の「オールド・チャーリー」だった。

 意外な犯人については今となっては見え見えですが、まだ怪談と推理小説が未分化だった時代のショッキングな恐怖が味わえました。
 

「盗賊の花むこ」グリム/池内紀(Der Räuberbräutigam,Jacob und Wilhelm Grimm)★★★☆☆
 ――むかしのことだ。粉ひきがいた。年ごろの美しい娘がいた。ほどなく、男がやってきた。金に不自由もなさそうだ、悪いところもみつからない。そこで娘をやる約束をした。娘は森の中にあるいいなずけの家に向かった。――おもどり、引き返せ、花嫁さん、おまえは人殺しの家にいる

 いや、これは、指を証拠として大事に持っている花嫁がこわいよ……。
 

ロカルノの女乞食」ハインリヒ・フォン・クライスト/種村季弘(Das Bettelweib von Locarno,Heinrich von Kleist)
 

「緑の物怪」ジェラール・ド・ネルヴァル渡辺一夫訳(Le Monstre Vert,Gérard de Nerval)

 この二つはアンソロジーの定番すぎるので今回はパス。
 

「竈の中の顔」田中貢太郎 ★★★★☆
 ――「お坊さん、どうだね」三左衛門が二目の負けとなった。「今度は私が先で」勝負の結果は僧が二目の負けとなった。「これは面白い」勝負は一勝一敗、甚だしい懸隔がなかったので面白かった。「いつも来ていただいてすまない。私も一度伺いたい」「狼や狐のおる山の中の庵で、厭な処だから来るのはよしてくだされ」

 これは再話や翻訳ではなくオリジナルなのだろうか? 結末は定番の一つですが。
 

「剣を鍛える話」魯迅竹内好(鋳剣,魯迅)★★★★☆
 ――ああ、と母は嘆息した。「おまえはいつまでも煮えきらない性質で、お父さんの仇はとても討てまい」「お父さんの仇?」眉間尺は驚いた。「よいか、お父さんは天下第一等の剣づくりの名人でした。二十年前のこと、王妃が鉄の玉を産みおとされたのです。大王は、この希代の鉄で剣を鍛えて、国を守り、敵を殺し、身を防ごうとされました。剣が完成した日、お父さんは申されました――大王は疑い深く、またとない剣をお鍛えしたからには、かならずわしを殺してしまうだろう」

 さすが「狂人日記」の著者というべきか、完全に頭がおかしくてクラクラします。ただ、三つ先に掲載されいてる「三浦右衛門の最後」に、「戦国時代の文献を読むと攻城野戦英雄雲のごとく、十八貫の鉄の棒を芋殻のごとく振り廻す勇士や、敵将の首を引き抜く豪傑はたくさん居るが」と書かれているのと同じように、いやむしろ中国の文献にはそれ以上に、こうした異常なまでの奇談やら残酷譚やら孝行論やら運命論やらが横行していると考えれば何ということのない話なのかも。
 

「断頭台の秘密」ヴィリエ・ド・リラダン渡辺一夫(Le Secret de l'échafaud,Philippe Auguste de Villiers de L'Isle-Adam)★★★★☆
 ――囚人ラ・ポンムレー氏は、その女友だちに致死量のヂキタリスを施与したと認定されるにいたり、死刑の宣告を下されていた。そのとき、一人の面会人が現れたのである。「近代生物学の問題の一つは、頭部切断語においても、記憶なり反省なりが、はたして人間の脳髄中に存在し得るやいなやを知るということにあります」とヴェルボー医師は言った。

 今ではもう同様の実験などできないだろうし、永遠の謎となってしまった有名な問題についての作品です。被験者が強い意思を持った医学者、という設定や、一度だけ、という結末が、ドラマ性を盛り上げていました。
 

「剃刀」志賀直哉
 

「三浦右衛門の最後」菊池寛 ★★★☆☆
 ――それは十七ばかりの美しい少年であった。老人は一瞥して落人であることを知り、少年を手籠めにしていた子供たちを叱りとばした。少年は「館の三浦右衛門をよくも」と云う独言を言った。「おのしが右衛門か……」今川氏元の豪奢遊蕩の中心は彼だと云われている。

 読み返してみたら、さすがに豪傑譚をネタにして「人間」がいないも何もないだろうに……と思うんだけど。そもそも「戦国時代とはそういう時代である」という文章自体が決めつけだしなあ。。。偏りのある資料を元に、無根拠な断定で本文を彩ることで、自分好みのフィクションに誘導してゆく――その手際が下手なところが菊池寛らしいっちゃらしいのでしょうか。
 

「利根の渡」岡本綺堂 ★★★☆☆
 ――座頭が利根川の岸に立っている。「もし、このなかに野村彦右衛門というお人はおいでなされぬか。」座頭は毎日この渡し場にあらわれて、野村彦右衛門をたずねている。

 何だかピントのずれた話というか、勝手な横恋慕から我が身を滅ぼしたうえに、恋の相手と仇相手まで巻き込んだ無理心中に近い。まあ実際に江戸時代の道徳観では、派手にしていた奥さんも悪いってことにリアルになりそうではあるけれど。
 

「死後の恋」夢野久作 ★★★★☆
 ――私はモスコー生まれの貴族の息子で、革命の時に本名を隠して兵隊になったのですが、そこでリヤトニコフという兵卒が私と同じ分隊に入ることになったのです。貴族の血を享けていることがその目鼻立ちを見ただけでもわかりました。軍が斥候を出すことに決まった前日の夕方に……リヤトニコフがポケットから革のサックを取り出してパチンと開けると、中から二、三十粒の宝石が輝いておりました。

 ロマノフ一家の虐殺と末裔にまつわる残酷譚。仮に、語られた出来事がすべて事実であったとしても、リヤトニコフが宝石を見せた理由や「死後の恋」については語り手の想像に過ぎないのですが、それが話をいっそうロマンチックで「本当らしくな」くすることに一役買っています。
 

「網膜脈視症」木々高太郎 ★★★☆☆

 医学者でもある著者が、精神分析推理小説に導入したもの。それ以上のものではない。
 

「罪のあがない」サキ/中西秀男訳(The Penance,Saki)★★★★☆
 ――その家のブチネコがトリ小屋へよく忍んで来た。そこでその家の当事者に交渉の上、死刑に処することに決まった。「子供たちは悲しがるでしょうが話さずにおけばいい」それがふと目を上げると、ネコ狩りにはありがたくない目撃者がいた。まっ青にこわばった顔が三つ、じっとこっちを見下している。

 子どもの復讐とだけ聞けば可愛いもんですが、まったく感情のつけいる隙のない悪意といってもいいくらいの冷徹さには心底ひやりとさせられます。子ども目線で見れば、やっぱり子どもの悪戯に過ぎないんでしょうけれど、被害者視点だと途端に恐怖に早変わりです。
 

「ひも」ギ・ド・モーパッサン/杉捷夫訳(La ficelle,Guy de Maupassant)★★★★☆
 ――オーシュコルヌどんは細いひもきれを拾いあげた。「けさ、あんたがウルブレックどんの紙いれを拾得したのを、見たものがあるな」「おらが? マランダンの野郎だな。町長さん、おらが拾ったのはこのひもです」

 無責任の巣窟Twittermixiが広まって、今やこんなのばっかりです。
 

「マウントドレイゴ卿の死」サマセット・モーム/田中西二郎訳(Somerset Maugham,Load Mountdrago)★★★☆☆
 ――近ごろ面白くない夢を見るのです。グリフィスという小男の顔が見えました。わたしはそれを無視して二階へ上っていきました。大使と大公が話をしているのが見えました。大公がわたしを見たと思うと、げらげら笑いだしたのです。

 よくわからないものの、書かれた当時としても、良心の呵責という解釈は珍しくもなんともなかったのではないかと思います。マウントドレイゴ卿が絵に描いたようなキャラでもあることですし。ところがそこに「もう一つの死」が差し挟まれることで、そんな凡庸な解釈の土台が大きく揺らぎます。
 

「ごくつぶし」オクターヴ・ミルボー河盛好蔵(Bouches inutiles,Octave Mirbeau)★★★☆☆
 ――いつもとちがって食卓にパンもコーヒーもないのを見ると、フランソワ爺さんはふるえ声で言った。「腹がへってるんだ、おっかあ」「かわいそうにねえ、おまえさん。稼がない人間は、もう人間じゃないんだよ」

 姥捨てもののバリエーション。
 

「貧家の子女がその両親並びに祖国にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」ジョナサン・スウィフト深町弘三(A Modest Proposal for Preventing the Children of Poor People from Being a Burden to their Parents, or the Country, and for Making them Beneficial to the Public,Jonathan Swift)

 以前に読んだことあるのでパス。スウィフトならではの諷刺小説。
 

ひかりごけ武田泰淳 ★☆☆☆☆

 食人を、恐怖でも扇情でも倫理でも法律でもなく、イデオロギーで料理した作品。
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