『The Innocent Flower』Charlotte Armstrong(Zebra Books)

『無心な花』シャーロット・アームストロング。1945年。

 マクドゥガル・ダフもの三作目にして最後の一冊は、アームストロング版『スイート・ホーム殺人事件』でした。

 土砂降りに遭い車を停めたマク・ダフ。向こうにも同じように車を停めている人がいて、どうやら雨でエンジンをやられてしまったようだ。それは以前に知り合ったNorris Christenson医師だった。「人が死んだんだ。警察が来ると何かとうるさいから、その前に熱を出している子を病院に連れて行ってほしい」と頼まれ、7歳のTaffyと母親のMary Moriartyを乗せてダフは病院に向かった。TaffyのそばにMaryを残して、ダフは家に残された子どもたちの面倒を引き受けた。病院の人から聞いたところによると、長男Paul15歳、二つ下の双子のDiana(Dinny)とAlfled(Alfie)、Margaret(Mitch)11歳、Rosamund(Taffy)、David(Davey)5歳の六人兄妹だ。

 Moriarty家には刑事のPringとRobinが来ていた。死んだのはMaryの友人Emily Brownie。死因は毒薬だった。自殺するような人間ではない。毒はワインに含まれていた。事故か、殺人か!? 外部から侵入された形跡はないので殺人だとすると内部の犯行ということになる。まさか、子どもたちが……? 

 ワイン・ボトルは食堂に一つ、食料品室に一つ。Brownieは食堂でワインを飲んでいた。それから席を立って、Taffyの様子を見に来たChristenson医師に一杯すすめている。Dinnyが食料品室のワインを注いでママ(Mary)に持っていった。Maryはそれを飲んだ(と思われる)。BrownieがChristenson医師にワインをすすめているあいだに、Daveyが食堂のワインを盗み飲みしてしまったので、ばれないようにMitchがグラスを洗っていた。ここまでは誰もが無事だった。ところが戻ってきたBrownieがワインを飲むと、悲鳴をあげて倒れ込んだ……。

 動機は? BorwnieはMoriarty家の抵当権を持っていた。そしてMaryがお金のことで愚痴をこぼしているのを子どもたちは聞いている。隣人で同窓生でもあr8Taffyの病院の看護婦助手Eve Meredithは、数年前からBrownieとひどく仲が悪い。Brownieの遺品から見つかった、幼いころのChristenson医師の写真と、焼死した俳優の新聞記事は何を意味するのか? あるいは、元新聞記者のHaggertyによると、脱獄囚がこのあたりに逃げ込んだらしい。それに離婚したMoriarty氏はどうなったんだ? そのとき、階上で物音が聞こえた。ダフは階段を上ったが、誰もいなかった。誰かが潜んでいるのか……?

 毒薬の入手先は? Maryは庭いじりの殺虫剤にニコチンを使っていて、Paulも庭いじりを手伝っていた。Christenson医師が仕事で使うことはあるだろうか? Christenson医師の婚約者Constance Averyは、農場を経営しているので、薬品を使うこともあるだろう。事件があったときには鶏小屋を修理していて、Brownieとは会ったこともないというが。

 食堂のワインを購入したのはBrownie自身だった。食料品室のワインは、隣人のEveがBrownieにあげたものだった。Maryに頼まれてTaffyの熱冷ましの氷をもらいに、仲の悪いEveに会いに行っていたのだ。食堂のワインから見つかった指紋はBrownieとDinnyともう一人。食料品室のワインからは指紋が検出されなかった。ダフはワイン・ボトルがすり替えられた可能性を示唆する。

 いつになく推理が冴えないダフだったが、Eveの家に残されていたMoriarty氏の写真を見ようと、アルバムを見せてもらった途端、ダフにはすべてが明らかになった――。

【ここからネタバレ】 ダフがアルバムで見つけたのは、Moriarty氏の写真だけではなかった。Eveの伯母夫妻と一緒の赤ん坊。それはBrownieが持っていた幼いChrstenson医師その人だった。かつてBrownieはEveの伯母が精神病院に入れられたのを知って、Eveの夫にそれを話し、それが離婚の原因になったという。Christenson医師の婚約者Constanceは遺伝について厳しい見方をしていた。Christenson医師は、自分が狂人の息子だというのをConstanceに知られるのを恐れたのだ。パーティに来ないようにConstanceに連絡すればそれでいいはずだった。Constanceが鶏小屋の修理に出ていたために電話に出られない状態でなければ。おしゃべりなBrownieがConstanceに会えば、絶対にしゃべるに違いない。Christenson医師は決断した。Constanceの気持を知っていれば、そんなことをせずに済んだものを……。

 そこまで話したところで、ダフは急に駆け出した。「Maryはどこだ?」。Eve家でコーヒーを飲んでいたMaryのコップを叩き落とすダフ。「無事なのか?」「どうしたの? 無事に決まってるじゃない」「勘違いだったのか……」ところが家に戻ると、階上で物音がした。調べてみたが誰もいない。だが濡れた跡を見つけたダフは、一目でからくりを見破る。「きみたちのしわざだね?」と、子どもたちを振り返った。「犯人がいるなら内部の人間」という警察とダフの言葉を盗み聞きした子どもたちが、「外部の人間」がいるように見せかけていたのだ。今回は氷が解けると窓が落ちる仕掛けだった。そして、子どもたちはEveの家の氷を使ったのだ。そして間違いなくその氷には毒が入っている!

 ダフは「推測」を話し続ける。ダフが見た夢の話をしたとき、みんなが夢判断の真似事をしたが、Chrsitenson医師だけが「野心」と「報酬」という解釈をしていた。医師本人の状況にぴったりの解釈ではないだろうか。Constanceの農場で使うニコチンを頼まれていたChristenson医師は、Brownieの隙を見てグラスにニコチンを入れたのだ。その後はTaffyを連れ出すというさして必然性の感じられない提案をしてみんなを追い出し、ワイン・ボトルにもニコチンを入れておいたのだ……。Eveを殺そうとしたのは、Eveの口から母(伯母)の狂気のことが洩れるのを恐れたからだ。Eveが息子のRalfeに親戚の狂気のことを隠したがっていることを知っていれば、そんなことはせずに済んだのに……。だがどれも「推測」だった。Christenson医師は反論する。「みんなは恐れているんじゃないのか。Taffyがやったという可能性を。私は見たんだ。病院でTaffyの手にニコチンがついていたのを。Eveだって見ている」。それを聞いてダフは確信した。Taffyの手にキスしたダフは、ニコチンなどついていなかったことを知っていたのだ。なおも反論するChristenson医師を、Constanceがさえぎった。「今日Eveの家に立ち寄ったんです。この人はここにいたんです。今朝」。機会もあったということだ。「裏切るのか! すべてきみのためにやったことなのに……!」Christenson医師が激情に駆られて口を滑らせた――。

 初めに疑ったのは、Taffyを連れ出した理由だった。次に疑ったのは、Constanceを毒殺の危険にさらさないためにEveの家に行かせなかったのだとダフに告発されたChristenson医師が、「Constanceを行かせる『べき』だったかもしれない(Maybe I should have let her go)」と言ったときだった。『行かせてもよかった(I could have let her go)』でも『行かせた方がましだった(I might as well have let her go』でもなく。Moriarty氏の正体は、病院から出るときに会ったWalker氏だった。考えてみれば子どもたちの本名と年齢を詳しくしっていたのだから、当然のことだった。子どもたちがお菓子を食べに行くと、ダフはMaryに求婚した。【ネタバレ終了】

 今回はこれまでの二作とは毛色が違います。それは何といってもダフ自身の事件だということです。一つには、これまでは事件が起こったあとで依頼されて事件にかかわっていたのですが、本書では事件の当初から本人が巻き込まれる形でかかわっている点です。まだ警察による捜査が終わっていないので、証拠や証言が出揃わないまま、いたずらに推測に推測を重ねるだけしかできません。

 さらにはダフは子どもたち、そしてMaryに、恋をしてしまうのです! 目がくもり頭もぱっとせず、子どもたちがかかわっている可能性を恐れて、幼いTaffyにたった一言「ワインに何か入れたかい?」と質問することもできないダフ。

 三作目ともなると著者も慣れてきたらしく、ミステリとしても洗練されてきました。事故かもしれない可能性が、「トースターがひっくり返されていた」という些細な出来事によって否定されるところは、説得力としては弱いのだけれど、推理の前提となるぎりぎりの論理性は保たれていて、いかにもミステリという感じでした。勝手にひっくり返るわけがない以上は、誰かが食堂に入ったことは間違いない、ということですね。

 これまで二作とは違って、本書では動機も最後まで不明です。この動機の隠し方や明かし方(伏線のまぶし方と回収の仕方)も、板についていて、【ここからネタバレ】ConstanceとBrownieが他人同士という事実、幼い医師の写真、Eveの離婚の原因、人類や遺伝についての会話、Constanceとの婚約、Constanceの鶏小屋修理【ネタバレ終了】といった一見ばらばらの要素が、すべて一つに回収されるところは読みごたえがありました。特にConstanceが鶏小屋を修理していたという事実については、修理していたにしては手がきれいだから怪しい――と初めのうちは誤誘導しておいて、【ここからネタバレ】修理中だったので電話に出られない/農場仕事に使う毒薬を婚約者である医師が購入していた【ネタバレ終了】というまったく別の意味を持たせているのは巧みです。

 別の意味を持たせているといえば、ダフの見た夢の夢判断もそうですね。

 Moriarty家の「幽霊」の正体についても、脱獄囚なのか?父親なのか?と思わせておいて、初めの方に出てきたさり気ない会話が伏線になっていて、「犯人探し」に夢中になっているとすっかり目くらましをくらってしまいました。

 ほかにも、冒頭の土砂降りのシーンにすでに犯人についての伏線が張られていたり、父親の正体についてあまりにも大胆であからさまな伏線が張られていたり、ダフ三部作のなかでも凝っている一篇でした。父親についての書き方はうまくて、時系列的には父親の話題が出る前に伏線が張られてあるので、うっかりするとすっかり見逃してしまうように出来ているのです。

 タイトルは前二作同様、シェイクスピアマクベス』より。第一幕第五場「見かけは無心な花のように、そしてその蔭にひそむ蛇になるのです(木下順二訳)」というマクベス夫人の、夫に対する台詞です。直接的にはしらばっくれている犯人の譬喩ですが、犯人が「無心な」子どもなのではないか?という含みも持たせているものと思われます。

 もちろん、嘘つきなDaveyや、おしゃまさんのDinnyなど、出てくる子どもたちはみんな可愛い子ばかりです。

 amazon書影は Berkley Medallion Books 版) 


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