『Mothers & Other Monsters』Maureen F. McHugh(Small Beer Press)

 岸本佐知子編訳『変愛小説集』で読んだ「The Beast」が面白かったのでほかのも読んでみました。
 

「Ancector Money」
 ――死後、レイチェルは一人で暮らしていた。あるのは小屋と鵞鳥だけ。人が来れば鵞鳥が知らせてくれる。スピードおじさんだ。「手紙だよ」「誰から?」「誰からでもない」。封筒には中国語が並んでいた。開けてみると、英中併記でこう書かれていた。「アメリアのご先祖様。死後のお金と日用品の贈り物がございます。下記まで連絡乞」

 中国がらみであることからしても、「Death Money/Ancestor Money」とはどうやら葬儀で燃やす紙銭(からインスパイアされたもの)のことであるようです。中国語新聞を読む赤づくめの「悪魔」や、中国服を着た猿ばかりがいたり、「香港」は英語が通じなかったり、寺院で祈ってるのかと思ったら携帯を使ってるだけだったり、あの世のような夢のようなあの世でも夢でもないような世界が舞台になっています。死後に一人安穏と暮らしていたレイチェルが、孫の手紙をきっかけに旅に出て、世界に触れて驚き、不安を感じ、寂しさを感じ、妄想はふくらみ……とまあ自分再発見な話というか生涯教育な話というか、死んでも精進とは自己啓発系のあれこれを皮肉ったようにも思えます。やがて最後に迎える仏教的な無常観。「永遠に死んでいる」という発想も面白い。
 

「In the Air
 ――ドッグ・クラブに入る。スミスを連れて。七か月のゴールデン・レトリバー。だってドッグ・クラブに入るのは、犬のしつけがしたいからだ。スミスはお座りはできるけれど、付いてと待てができない。ドアを開けた人に飛びつくにしても、最近来たのは『シーツの飾り方』のビデオ配達員だけだし、それに私が犬を飼って『シーツの飾り方』を注文するような人間になっていたなら、シュールすぎて付いてと待てなんてどうでもよくなる。「スポンジ描きのこと考えてるの」と空中に言う、マイケルに、つまり実際には空中に。

 いきなり愉快な妄想系。「140ポンドを超えたら中年」というのはでもわかる気もする。実際にそういう物言いがあるのだろうか。不思議系が乱れ飛んでるのかと思いきや、ちゃんと筋が通っているのもすごい。それでドッグ・クラブかい! またもや変な話かと思いきや、別れた奥さんのところに娘がいる男と知り合って……といういかにもフツーのアメリカ的な展開になったりして、つかみどころがありません。そうして空想の話相手との卒業――みたいなよくある話だと思っていたら、ありゃまあ。「Ancestor Money」と併せて、著者にはアメリカ的な「happy」みたいなものに対する不信感があるような気がします。
 

「Wicked」
 ――初めに炎をあげたのは、エクスプローラの後ろに積んだ食料品の袋だった。

 すごく短い話なんですが、こういう人、実際にいそうです。ものごとを自分が「いや」か「好き」かで判断するマダム系セレブ系の人。「Other Monsters」というタイトルに改めてちょっとぞっとなりました。
 

「Eight-Legged Story」
 

「1.Naturalistic Narrative」
 ――安物のペン。マークがいるといつくあっても足りないのでペンを買った。マークの鞄はペンを飲み込むブラック・ホールだ。夫のティムは、マークを、九歳になる私の継子を捜している。いなくなって二十二時間になる。心配だ。死んでしまっていたら? もっとあの子が好きだったらよかったのに。子どもが死んだら離婚するのが普通だろうか。ティムは悲しむだろう。わたしは悲しめそうにない。

「2.Exposition」
 ――八股文というのは中国の文章だ。それは論述とか結論とかいうものではない。むしろ物語のようなものだ。この文章は八股文ではない。八股文だとしたら、四書五経のような古典から引用しなくてはなるまい。むかしむかしあるところに……、と。ものの本によると、最悪の家族関係とは継親子だそうだ。曰く、嘘が基盤となっているから。

 八章で綴られる物語。継子との関係がうまくいかない母親が語り手です。客観的な分析と、どうにもならないとまどいの滲んだ文章が、とても印象深く、単なる家族小説とか内省小説を超えてなにやら幻想的な凄みすら感じました。当たり前に言えば幻想的なところなど本篇には皆無なのですが、「The Beast」とか、あとはレベッカ・ブラウンの作品とか、そこらへんのバランスが絶妙な作品がわたしは好きなようです。ストイックな内面の語り、とでもいえばいいのだろうか(違うか)。
 

「Nekropolis」
 ――足輪をつけられて、あたしは売られた。現在の主人はレストランのオーナーだ。もう五年になる。

「Frankenstein's Daughter」
 ――妹のCaraとモールにいる。Caraを笑わせるのは簡単だ。Caraはロボットが好きだから。6歳だけれど3歳か4歳くらいの知恵遅れだ。だけど身体は大きい。CaraはKelseyそっくりだ。Kelseyは姉だった。ぼくは14歳。Kelseyは13歳のとき車にはねられた。生きていれば20歳のはず。CaraはKelseyのクローンだ。Kelseyは知恵遅れでも牛みたいに大きくもなかったけど。Spencerの店は万引きにとって天国だ。冷静にならなくちゃいけない。アイスマン。それがぼく。……わたしは娘が息をしようとしているのを見ている。Caraは喘息の発作を起こしているとき静かになる。待合室の椅子で楽な姿勢を取らせる。

 クローンというのは譬喩かと思っていたら、本当にクローンの話でした。そうか、ちゃんと年齢も合ってるし。タイトルから怪奇ものだと思ったのですが、なるほどそういうことでしたか。といっても主役はクローンの娘ではありません。兄と母親の語りが交互に綴られる家族の物語。

  


防犯カメラ