『れんげ野原のまんなかで』森谷明子(創元推理文庫)★★★★☆

 驚きました。というのは、これまで「日常の謎」と形容されるミステリをいくつか読んだかぎりでは、「日常の謎」とはいえ結局のところ謎を解決するのは「名探偵」にほかならなかったからです。ところが本書に出てくる探偵役は、およそ名探偵らしくありません。それはブラウン神父みたいだとかコロンボみたいだとかいう意味ではなく、紛れもない一般人という意味で非・名探偵なのです。

 そういう意味ではこれは日常の謎ものの一つの頂点――というとさすがに大げさすぎますが、かなりうならされた作品でした。

 第一話霜降――花薄」のころは、まだレンゲソウも植えられていない薄の原にたたずむ秋葉図書館が舞台です。閉館後の図書館にこっそり隠れて居残ろうとする小学生が最近になって大量に現れ出したため、新人司書の今居文子は頭を悩ませていました。同じころ、脱いだ靴下やギターケースといった奇妙な落とし物が増え始めます。やがて子どもが失踪し――先輩司書の能勢には、何か思い当たることがあるようだった……。

 何といっても本篇の特徴は、ある名作小説を下敷きにしているという点でしょう。そのために探偵役の推理にも無理がなく、名探偵でなくとも本に詳しく頭の切れる人にならこういう推理もできるかな、と思わせるところがありました。少なくとも本好きであればこの真相を聞いて膝を打たずにはいられないでしょう。そして名作小説であればきっと読んでいる人も多いだろうと想像されるわけで、この真相は多くの読者のハートをキャッチしたことだと思います。ミステリとしてはそこに現代的なテーマをさりげなく絡めてある点も見逃せません。

 能勢がカウンターの一画をパーティションで囲って勤務中に昼寝を取るというのが、かろうじてエキセントリックな名探偵っぽいと言えなくもない特徴ですが、これにも不自然でも何でもない必然の理由がありました。

 名探偵らしさと言って思いつくのは、円紫師匠にしても駒子シリーズにしても「困ったときに助けてくれる」外部のヒーローだったという点です。あるいはミステリ好きの部活の先輩とか。本書に出て来る能勢先輩が初めから対等な立場で「現場」に居合わせて、なおかつミステリマニアでもない、という点も、かなり非・名探偵らしさに貢献していると思われます。

 じゃあそんな一般人が日常の疑問を解き明かす話のどこが面白いんだ!と言われると、謎があって伏線があってそれが説得力を持って華麗に解明されたら面白いに決まっているし、もし謎解きがなくったって駒子や「私」の出てくる番外編があったらやはり読みたい、としか言いようがありません。

 

冬至――銀杏黄葉」
 ――高齢者用の循環バスのおかげで利用者も増えてきた秋葉図書館。毎週水曜日の通院後に訪問する深雪さんもその一人だ。その日も深雪さんがお気に入りの『古寺巡礼』をめくっていると、ページのあいだにコピー紙がはさまっているのを見つけた。『Schneewittchen』、日本語で言えば白雪姫だ。一世紀近く前のドイツの画家の絵本のコピーだった。そこで『Schneewittchen』の棚に行ってみると……。

 ぐっとミステリらしくなり、本篇の謎は暗号です。いや実は暗号でも何でもないのですが、わかる人にしかわからない文字や数字の羅列という意味ではまさに暗号にほかならず、しかも本来であれば「わかる人にしかわからない」はずの知識を探偵役が持っているのは、「名探偵」だからではなく優秀な図書館司書だから、というのは図書館ミステリの面目躍如と言えるでしょう。

 

立春――雛支度」
 ――秋葉氏が経営しているコンビニのコピー機から見つかった一枚の紙は、見たところ図書館の貸出リストの写しのようだった。リストなど作るはずがないのだから存在するはずがないのだ。しかもリストに登録された一人に電話をかけてみると、「図書館なんて利用したことはありません」という返事が……。

 三話目にしてとうとう蔵書盗難という犯罪が扱われます。ある種の「見えない人」をやりたかったのでしょうけれど、情報漏洩という性質から内部犯の可能性が高いことは明らかなので、そうなるとどうしても一人だけ犯人らしき人が浮かび上がって来てしまいます。ただ、それはそれで、身内なのに気づかれないのはなぜなのか?という謎が発生するので、面白味が減ずることはありませんでした。

 

「二月尽――名残の雪」
 ――記録的な大雪のためその日は途中で閉館となった。交通も麻痺してしまったため、文子は秋葉邸にご厄介になることに――。秋葉氏は上機嫌で、幼いころに見た「雪女」の話を聞かせるのだった。その日は妹と一緒になぜか離れに寝かされていた。夜中に便所に起きたあと、離れまで戻るのが嫌で、土間の棚のなかでわらにくるまって暖まっていると、何かを抱えた黒い髪の人が入ってきた……。

 秋葉氏の幼いころに起こった怪談話。大人が見たら何でもないことなのに、子どもの目で見たために謎になってしまった――というパターンの作品です。ではなぜ文子にはわからないのか――というと、現代人である文子には、「弱い者が死にやすかった。秋葉氏の話にあったのはそういう時代なんだ」という前提が欠けていたからです。能勢さんには時代の違いを把握する力があったわけですが、これも優秀な司書の能力(なのかな?)。

 

清明――れんげ野原」
 ――れんげ野原が話題となって図書館はにぎわいを見せていたが――そんなときに、能勢さんが大騒ぎをしていた。娘のあずさちゃんが図書館に遊びに来たのだ。一方、『床下の小人たち』の初版を見つけた文子も興奮していた。「お宝発見!」「なっつかしい!」どこかの学校図書館の本がまぎれこんでいたのだ。れんげ野原の取材に来た佐竹記者が、はからずもその学校の出身者であり、れんげ野原のあった場所でかつて事故死した老人のことを調べていた……。

 随所に「犯人」のモノローグが挟まれることで、これまでの作品とはかなり趣が変わってきな臭い雰囲気がただよっていました。文子たち図書館員の表向きには“廃校になった学校図書館の本がまぎれていた”というささやかな謎でしかないのですが、モノローグを読んでいる読者にはただならぬ危険を予感させるに充分です。犯人が執拗にこだわるレンゲ野原にはいったい何があるのか――。レンゲソウに関する知識が解決の糸口の一つになります。

 能勢夫人の探していた本が気になりますね。ネット上で調べてみても誰も知らないようです。ということは、本書の読者層が読んでいそうな海外の名作児童文学でも古典ミステリでもないということでしょうか。日本の少女小説とかかな。「ページをめくった」ではなく「表紙をめくった」という表現が気になります。口絵のある本ということなのか、もしくは創元推理文庫や角川文庫のように扉や袖にあらすじが書かれた本なのか。創元だとすると昔のブラウン神父や『月長石』『エドウィン・ドルード』『フランス白粉』あたりが「黄色い背表紙」だった記憶があります。

 ※8/21追記。文庫版の増刷分には著者あとがきに文章が追加されているようです。ギャビン・ライアルかあ。背表紙が黄色も黄色、真っ黄色ですね。

 創元推理文庫恒例の英語タイトルは、「IN THE MILK VERCH」。「Verch」が「Vetch」の単なるタイプミスなのか、敢えて「レンゲ」ではなく「ゲンゲ」にしているような意図があるのかは不明です。文子が絵本を並べて間違った、という設定なのかもとか思ってみるのは妄想が過ぎますね。。。

  [honto]


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