『見えない蜘蛛の巣』シャーロット・アームストロング/安野玲訳(小学館文庫)★★☆☆☆

 『The Chocolate Cobweb』Charlotte Armstrong,1948年。

 産院で取り違えかけられた過去を持つアマンダ・ガースは、ひょんなことから取り違えの相手であるギャリスン父子に遭遇した。息子のソーン・ギャリスンに心を奪われたアマンダは、著名な画家である父トバイアス・ギャリスンにデザインの助言をもらうという名目で、ギャリスン家を訪れる。だが折りしもギャリスンの後妻アイオーンは、先妻ベルの子であるソーンを亡き者にしようと陰謀を企てていた。アイオーンが魔法瓶を“わざと”落とした場面をたまたま目撃してしまったアマンダは、不審を抱き、こぼれたホット・チョコレートをふき取ったハンカチの分析を、ボーイフレンドの化学者に依頼する。ハンカチから睡眠薬が検出されたと知らされたアマンダは、迷った末にソーン本人に打ち明ける。当然のように狂人扱いされたアマンダは、ギャスリン家の友人ファニー・オースティンから聞いた話を思い出していた。ファニーが教えてくれたように、目を閉じてこめかみに触れ、声を立てずに笑った。先妻ベルの癖だった仕種だ。呆然としながらもトバイアスが声をかけた。「また来ると約束してくれるね?」

 前作『疑われざる者』も犯人が初めからわかっている作品でしたが、序盤の段階ではまだかろうじて「疑惑」でしかありませんでした。それが本書では一転、事件どころかまだ誰も危険すら感じていない段階から、犯人の殺人計画のモノローグが挿入されています。ここに来て正攻法の倒叙サスペンスで来たのか――とも思いましたが、「取り違え」と「殺人計画」が早々と明らかにされるのには理由があって、赤ん坊時代の取り違えによって殺人の被害者も違えられる(かも)という展開に繋がってゆきます。

 主人公が危険を顧みず飛び込むといっても、たいていの場合その「危険」とは、計画の邪魔を嫌う犯人に反撃される間接的(?)二次的(?)な危険なのですが、本書の場合は犯人側に積極的に主人公を狙う動機がある点がユニークです。

 さらには、亡妻の影に脅かされるといえば『レベッカ』ですが、本書では被害者ではなく犯人である後妻が、自分が殺した亡妻の影響力にいつまでも囚われているという逆『レベッカ』である点にも注目です。ただ、それにしてはベルという人の魅力が浮き上がって来ないのが欠点といえばかなりの欠点です。この点をもうちょっと強調してくれればもっと印象深い作品になっていただろうに、と思ってしまいました。

 また、被害者が主人公の忠告を信じないというのも定番ですが、そんな被害者に反感どころか憎悪まで抱かれるのも面白い展開でした。途中で誤解はある程度解けるので、そこからは共同戦線みたいな普通のサスペンスになってしまいますが。

 ただ、後半からは“助ける”“身を守る”だけでは飽きたらず、犯人を罠にかけるべく囮になるところまで積極的に働きかける作戦に出ます。そのため犯人も含めたソーン以外の人間には誤解させたままにしておくような、犯人というより主人公たちの企みが中心になっていました。

 この点、『疑われざる者』と同じく、前半と後半で物語のタイプががらりと変わっています。

 なぜそんな展開になるのかというと、ベル殺害の犯行方法がわからないからです。ベル殺害を再現させて尻尾をつかもうという、何だかわかったようなわからないような作戦なのです。同じ手を使う犯人も犯人ですけどね。「母が死んだときも……(中略)ぼくは足を怪我していた」という場面はぞくりとしますし、同じシーンが繰り返されるのは穿った見方をすれば戯曲っぽいとも思えます。それはともかく犯行方法は読者にも伏せられているので、そういうサスペンスの面白さがありました。コロンボが自らを囮に罠を仕掛けるような、おかしなサスペンスですが。

 さて肝心の決め手となる罠ですが、これがはっきり言ってかなり弱い。ミステリでは定番の“ある障害”が決め手なのですが、その場は収まるものの、裁判の証拠にはならないとケリー警部補も諦めています。だからさらに決定的な決め手が必要になるのですが、それが“安易”と言われる手法なので、かなり尻すぼみに終わってしまった感がありました。トリック重視の作品ではないとはいえ、伏せられていたわりには犯行方法もお粗末です。

 しかし何だかんだ言っても、次作『ノックは無用』もアームストロング作品のなかでは異色作とされていますし、少なくともこの時期の段階まではアームストロングは一作ごとにかなり野心的に作風を変えようと努力していたのではないかという節が窺えました。結果的にはものすごくバランスの悪い作品になってしまいましたが。

 気になった点。アマンダのボーイフレンドだったジーンに対して何のフォローもないのが、アームストロング作品にしては意外に感じました。パグ犬やらお猿さんやらと形容されるお婆さん女優ファニーも、いいキャラクターだったのですが、後半はすっかり引っ込んじゃいました。

 デザイナーの卵・アマンダはあるとき母親から、出生時に産院で別の赤ん坊と間違えられたことがあると、聞かされる。見ず知らずの[間違えられた]相手に惹かれた彼女は、それが著名な画家ギャリスンの息子ソーンだと知る。「もしや私の本当の父親は……」ロマンチックな興味からギャスリン家を訪ねた彼女は、彼の莫大な財産をめぐる巧妙な殺人計画に気づくが、殺人者の魔手は彼女に伸びてきた! サスペンスの女王渾身の傑作の本邦初訳。(カバー裏あらすじより)

 「昔のフランスの小説に出てくるじゃない。なんだったかしら? デュマの小説? まばたくのよ! ほら、老人がまばたいて合図をするんですよ! 訊いてみて……」

  


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