『あがり』松崎有理(創元日本SF叢書01)★★★★★

 第一回創元SF短編賞受賞作「あがり」を含むデビュー作品集。一時期の新本格ミステリは学生ミステリばかりだったけれど、キャンパスSFというのは意外と未開拓かも。「あがり」のインパクトが大きいので同じようなSFオチのある話を期待してしまいましたが、そうではなく、むしろ今度はどう来るのか予想がつかない面白さがありました。抽斗が多い。
 

「あがり Which Won?」★★★★★
 ――ジェイ先生が死んでしまってからイカルのようすがおかしい。設定式温度反復機が占領されてみんな困っている。「ジェイ先生を追悼することにしたんだ。彼の敵、遺伝子淘汰論者に反駁する方法を考えついた。もしかれらのいいぶんが正しいならば、あるひとつの遺伝子が、ほかの遺伝子が追いつけないくらい増えたとしたら、そこであがり、というわけで進化は終わっちゃうのか、ってね」

 シンギュラリティというのとはちょっと違うけれど、遺伝子淘汰説が間違いであり、生物進化の「あがり」などないと証明しようとする男子大学生イカルと、幼なじみの女子大学生アトリ。ちょっとヘンな子の趣味だと思われていたものや、卒論の研究、おさななじみとの関係、数少ない女である先輩の存在、すべてがきれいに一つの事実を指し示すクライマックスは、美しいの一言でした。
 

「ぼくの手のなかでしずかに Beyond Creation」★★★★☆
 ――また髪が抜けた。「早い遅いの差はあれ、老化はだれにもかならず訪れる」と医学部の友人は言った。「生殖年齢以後に老いて死ぬ、というのは自然淘汰が生み出した必然だ。だとしたら、科学上に名を残すことで寿命の延長にかえる、って策はありだと思うな。おまえがこっそりやっているように」「こっそり、ってひとぎきの悪い。それに、研究費をつかうわけじゃないし」「そりゃあそうだ、数学はいいよな」

 読んでいる最中はどういう落としどころになるのかまったく見えず、もしかするとわたしには理解できない数学的な落ちなんじゃないかと不安になりましたが、なるほど主人公が数学者であるために「それ」に気づかないという伏線でもあったようです。(三十歳が主人公ではありますが、)前話以上に青春っぽさのただよう結末でした。
 

「代書屋ミクラの幸運 Micra --Publish or Perish」★★★★☆
 ――相手はぶ厚い紙束を広げだした。「ミクラさんに論文化をお願いしたい研究というのは、こちらです」 幸運と不運を予測する方法について。「幸運不運の発生は複雑で予測不能にみえるが、じつは無作為ではなく非線形なふるまいをする。調査した個人項目を変数に代入します。すると解が出る。正だったばあいは幸運、負のばあいは不運です」

 今回はSFではない話でした。これをSF――と取るか取らないかともかく。論文の代書屋という職業が微に入り際に渡り存在しそうで、また登場してほしいな、と思っていたところ、さっそく次の短篇に登場してました。ミクラは洒落で頭のなかに作りあげたアカラさまという神様を祀っているヘンな子なのですが、アカラさまに気を取られているともう片っぽの方にやられました。
 

「不可能もなく裏切りもなく All for Intron」★★★★☆
 ――「おれと共著で論文を書かないか」と提案してみる。「でも専門ちがうし。それに」相手は口ごもる。「立案と記録はおれ。おまえは検証とその準備」と言うと、彼の顔はみるまにあかるくなった。内容は、遺伝子間領域の存在理由について。がらくた配列、ともよばれるとおり、ヒトにおいては全塩基中の九割以上を占めているのに、情報のまったくない部分だ。

 SF的な発想と事実は出てくるものの、今回も落としどころはSFではありませんでした。前話にも登場した「出すか出されるか法」が間接的に人の一生を台無しにしてしまいます。それにしても、気が弱いといっても突拍子もない思い込みをするもので、この結末と真相には唖然としました。代書屋ミクラや「あがり」のアトリも登場します。
 

「へむ Au revoir, mais je ne t'oublie pas」★★★★★
 ――夏休みになったら。秘密の場所につれてってあげる。少女はそれ以上なにもおしえてくれなかった。少年もなにもきかなかった。一学期は今日でおわる。少女が指さした階段は、二階にのぼるほうがなく、地下に通じるほうだけだ。ふたりはならんで歩きつづける。足音がこだまして、なにかの声みたいになる。へむ。へむ。へむ。

 がらりと趣が変わって、研究者の娘&友だちの男の子視点で、研究ではなく大学の地下連絡通路に潜む「へむ」なるものにまつわる話です。大人には見えず、子どもたち二人にもそれぞれ違う姿に見えている、妖怪のような存在。「お別れだけど君のことは忘れないよ」という副題と相まって、絵が得意な男の子が描く言葉よりも強いメッセージにじいんと来ました。

   


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