『Ebony and Irony』長崎訓子(PIE インターナショナル)★★★★☆

 「短編文学漫画集」と銘打たれた、文学作品の漫画化集。

 第一話川端康成「化粧」の、あの「笑み」にちょっとがっかり。

 つづく太宰治「満願」で描かれた、「三年の辛抱」のコマは漫画ならではの表現。

 漫画ならではといえば、倉橋由美子「天国へ行った男の子」P.032のコマの隅に描かれた、夜と昼の表現も凄まじい。

 そして何と言っても凄いのは、夢野久作「きのこ会議」でしょう。ここでは茸狩りに訪れた人間が、宇宙船に乗って登場します。そもそも茸を擬人化した舞台に、最後に人間(現実)が登場して擬人化世界が駆逐されるのが、夢野の原作でした。長崎氏による漫画化ではそこに、人間を外宇宙の生物として描くことで、擬人化だと思われた茸が擬人どころか実際に人間であった(茸星人だけど)のだというさらなる価値の相対化が試みられているのです。

 星新一「冬の蝶」のお猿さんは、最後の見返しにも登場するので要注意です。

 本書中もっとも改変されているのがアンデルセン「パンを踏んだむすめ」です。主人公のインゲルは一昔前の「都会派ギャル」姿で登場し、沼の底に囚われた事実はインターネットで瞬く間に世界に広がるのです。世界の誰一人として、インゲルのために涙を流してくれない孤独。

 ブルターニュ幻想民話「マリーのものがたり 五人の死者」。「満願」や「天国へ行った男の子」では漫画ならではの省略が用いられていましたが、この作品では三十三人が全員ちゃんと描かれています。しかも、ちっちゃいながらも、杖をついたお爺ちゃんから子どもや女性まで見分けられます。

 最後は道成寺。ここでも漫画ならではの表現が使われていました。安珍を追う清姫が見開きで4コマに描かれていて、左に遠いどこかにいる安珍、右に追う清姫、そして追いつかんとする4コマ目。それにしてもこの漫画だと、一方的に安珍が悪いですね。龍になってからの清姫も、心情が描写される場面では、人間の姿で描かれるので、より哀れが募ります。

 


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