『失踪当時の服装は』ヒラリー・ウォー/山本恭子訳(創元推理文庫)★★★★☆

 『Last Seen Wearing』Hillary Waugh,1952年。

 父親が娘のことを「彼女」と呼んだり、「彼は彼の手帳に記入した」というような文章があったりするので確かめてみると、初版が1960年、翻訳もけっこう古い作品なんですね。当たり前のことですが警察小説だって「古典」になるのだと、しばし呆然。何となく警察小説というと、キャラクター重視のアップ・トゥ・デートな作品というイメージがあったもので。してみるとエド・マクベインの87分署もけっこう古いんですね。

 大学からある日突然に女子生徒が姿を消した――。着替えた形跡があるところを見ると、自分の意思で出て行ったらしい。駆け落ちや堕胎に関わるような男関係も見られない。恐ろしく地味、かつ何の手がかりもなし。警察としては一つ一つ可能性をつぶしてゆくしかない――というこれこそがまさしく警察の捜査というものなのだろうな、という忍従の日々です。見込捜査気味のフォード署長と皮肉屋のキャメロン巡査部長の掛け合いすらも、ルーチンワークのようにさえ思えてきます(が、これが面白い)。

 そんなある日、女子学生は無事だという手紙が届いたが――。

 当初は事故か事件か自殺か他殺か失踪かもわからないため、口では何だかんだと決めつけながらも手を抜かずしらみつぶしに捜査に当たる警官たち。その甲斐あって手がかりが見つかって、事故や自殺ではないとフォード著長が証明したり、当たり障りのなさそうに見える日記から隠された真実を見つけ出すあたりがかろうじて「探偵小説」ふうなのが、かえって違和感があるくらいです。目星がついてからも今度は証拠さがしに果てしない苦労が待ち受けています。ここらへんがいかにも警察小説といったところでした。いかに真相の目星がつこうとも、人海戦術で証拠を得なくては話にならない。

 ニューヨークのホテルに偽名で宿泊したという証拠を手に入れるため、同じ筆跡を宿泊名簿のなかから探すという、気の遠くなるような作業をおこなって、しかもそれは「二人が一緒にいた」ということを裏づけるだけで、有罪に持ち込めるような証拠ではないというのだからたまりません。それでも見つけたからむくわれたものの、もし何も見つからなかったらと考えると……。

 張り込みをしていた警官が重要人物の出入りを見つけて興奮しているシーンがありましたが、実際にはたまたま自分が見張っていた時間帯にその人物が現れたというだけなのに、何だか自分の手柄のようにうきうきしてしまう気持もよくわかります。

 アメリカはマサチューセッツ州の女子大学から、美貌の女子学生が失踪した。友達の評判もよく、浮わついたうわさ一つなかったというのに、白昼、忽然と姿を消してしまったのである。警察署長フォードは、この手がかりのない、雲をつかむような事件に介入するが……。捜査過程を緻密に描いて警察小説に新風を吹きこんだ巨匠の代表的傑作。はたして自殺か? 他殺か? 誘拐か?(カバー裏あらすじより)

   


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