『望月のあと 覚書源氏物語『若菜』』森谷明子(東京創元社)★★★★☆

 前作から数か月での刊行ですが、あとがきによると元々は宇治十帖を第二作に考えていたところを、編集者の助言により間の数十帖を先に書くことになったという事情があったそうです。ということはつまり、少なくとも第四作、もしかすると第五作までは期待できるということで、とても嬉しい報せでした。

 さて、本書では前作までのような、あからさまな謎はありません。なぜ玉鬘は瑠璃という本名が書かれているのか、なぜ『若菜』だけは上・下に分かれているのか、という疑問に加えて、式部のケアレス・ミスについて何点か言及されている程度で、その真相が書かれることはあっても飽くまで裏話的なさりげなさでありミステリとしてのカタルシスからは離れています。(それを言うなら前二作も裏話的な話なのですが、扱われているのが「かがやく日の宮」や『紫式部日記』といった大物でありメインに据えられていました)。

 さらには本書では源氏物語の謎だけではなく、現実の事件も大きなものは起こりません。かろうじて、道長がかくまう「瑠璃姫」とは何者なのか? なぜ、どうやって失踪したのか? 連続するつけ火の犯人と動機は? といった謎がそこここでちらほら顔を見せる程度です。

 本書で一番ミステリらしいところというと、つけ火の謎ということになるのでしょうが、つけ火については糸丸の視点で描かれているため、これもあからさまな謎というよりは、友だちを心配するサスペンスのような雰囲気があり、話を聞いた式部が喝破して初めて謎の存在自体が明らかになるようなところがありました。阿手木は大きくなりすぎたので、下々の者について書こうとすると少し愚鈍な糸丸の視点が必要だったのでしょう。つけ火の動機や友だちの少年の現実が謎解きもののように暴かれることで、貴族階級にはわからない底辺の暮らしが大きなインパクトを持って来ていました。

 著者はあとがきで「源氏物語メイキング」と記していますが、そのため一見すると道長と宮廷の政治や日常が中心に描かれている、およそミステリとは思えない作品になっています。

 道長東三条院南殿の釣り殿に姫君をかくまっているという噂を知って、香子は「少女」から「梅枝」までの空白の期間を埋める光君の物語を思いつく。阿手木を姫君に仕えさせながら、香子は「玉鬘」の物語を書き継いでゆく。新しい物語は道長にも女房にも評判がよかった。想い人の忘れ形見に心を寄せる源氏の君と道長を誰もが重ね合わせていたのだ。だがある日人々が目を離した隙に、姫君は姿を消した――。

 やがて彰子の夫である一条帝が崩御。次帝・三条帝に嫁いでいる妍子を帝の意思に背いて中宮立后したために、道長と三条帝の折り合いが悪くなる。東宮には定子の子である一宮が就いたが、妍子が男子を産めば次の東宮位がぐっと近くなる。威子を二宮に嫁がせ、嬉子を三宮に嫁がせた道長は、まさに栄華の極みだった――。

 疫病や旱害に加えて、このごろ都ではつけ火が流行っていた。今上の三条帝が天皇にふさわしくないお人柄だから世が乱れるのだと、人々は噂した。一宮の妹の姫君に仕える糸丸は、昔の自分に似ている秋津という少年と仲良くなっていた。つけ火騒ぎがあったときに見た人影は、もしや秋津ではないのか――? 糸丸はそんな疑問を誰にも打ち明けられずに苦しんでいた――。

   


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