I
・横断歩道
「膝頭に春の光をあつめつつ発泡性の年齢をいとう」
本書には瑞々しくてこれぞキャンパス・ライフといったような感性の歌が集められていました。この歌の「発泡性」とは「はじける」ということでしょうか。でも一瞬で「ぱちん」ではなく、「ぶくぶくぶく」でしょうか。いや気が抜ける、か。ビール=二十歳ともかけているのかもしれません。
「雨誘う君の吐息をもういちど確かめたくて黙す助手席」
何だかニューミュージックの歌詞みたいな歌ですが、でもこういう感性が本書の魅力でもあると思います。
「古書店に赤き文学全集のさびたるは酸き林檎のような」
この「さびる」というのは「錆びる」ではなく「色褪せる」という意味のようです。「ぼけて腐った」では歌になりませんが、それにしても「酸っぱい」とは面白い感じ方だと思いました。あるいは色だけでなく、饐えた匂いからの連想でしょうか。
・桜貝の爪
「放課後の廊下は長し私の明日の予定を決められずいる」
退屈だと時間が長い。きっとおんなじように、予定の決まらないでいるときに歩く廊下は長いのだ。
「見あげれば狂気の花は終わりいてコピー紙に指切りてしまいぬ」
ここで言う「狂気の花」とはわかりませんが、いつの間にか紙で指を切っていたことにしばらく経ってからふと気づくのはよくあることです。指を切っていたのが狂気のあいだであれば気づかないのはなおのこと。
・サンド・ベージュ/悲しみの果実/アーガイル/城
II
・グリーンノート/森を飛ぶ鳥/『風の背中』・津軽の男/晴れ時々
・天窓
「シャボン玉こわれる音を待ちながら二度目のくちづけ思い返しぬ」
シャボン玉が割れる音というのは記憶がありませんが、「永遠に待つ」という意味ではなさそうです。あるいは「ぱちん」とはじける音がするのかもしれません。その場の勢いかもしれない一度目ではなく、二度目という事実に幸せな手応えを感じました。
III
・銀箔の庭
・夕日を笑う
「泣いている快感こそ恋その男ケトルの悲鳴消しにゆくまで」
この歌に描かれたような恋愛を楽しめる感性は、男にはない女ならではだと感じます。しかも恐らく喧嘩の真っ最中にやかんの火を止めに行くだけのわずかの間に、泣いている自分を客観視しているのですから。
・デスク一台
・異変
「黄色くなりし髑髏の並ぶ一隅に届きぬ博物館を歩む足音」
・紂王/月の草/階段教室/きこえて滅ぶ
「撓いつつ雪ふり落とす夜の枝 恋人という簡単な決まりよ」
撓は「しなう」。夜中に二人で歩いている。庭木、あるいは街路樹から雪が落ちる。夜中に二人で歩いているという単純な事実に、恋人であるという意味を見出す――ということでしょうか?
IV
・半袖の腕
「われもビールを飲みて観るなり青々と横浜ベイスターズの負けを」
ベイスターズには悪いけれど、「負けを」というのがポイントです。
「ドーナツに穴あることを思いつ陽に灼けてゆくうなじありたり」
「望遠のレンズに入りし喜びのかわせみ幽閉の皇子なるべし」
・ぎんやんま
「傷つきし小鳥わが手を逃れゆく糸引かれたるごとくよろめき」
・かえし馬
・林檎紅茶
「クリームのごとき視線に追われたしまずは真っ赤なちゃいなたうんで」
章題に紅茶とあるからには、ここで言うクリームとは紅茶に入れる「クリームのごとき」ものなのでしょう。入れた瞬間は白いものの、徐々に紅茶と混じり合って薄茶色に濁ってゆくクリームのごとき視線。そして「真っ赤」とは「ちゃいな」の色にして林檎の色でもあります。正直怖いのですが、本書には恋愛歌が多いことを考えると、あるいは恋人の視線なのかな。
・ねむる魚
「ざりざりと耳含まれて笑いおる男 一気に食べてしまえず」
何のことかとしばらく考えてしまいましたが、前後にクリスマスの歌があることからすると、ケーキに乗っている砂糖細工の人形を頭から口に含んでいる場面のようです。「ざりざりと」という表現はもちろん砂糖を齧る音なのですが、もったいなくて一気に口に放り込まずにちまちま齧っていることをも同時に伝えていて、結句を引き立てていると思います。
・青馬
「昼月のように玉葱薄くきる背を見せている寒さのなかに」
巧みな譬喩というのはそれだけで印象に残るものですが、この歌の玉葱もこれしかないというような見事な譬喩だと思います。