『世界は文学でできている』沼野充義編著(光文社)★★★★☆

 リービ英雄平野啓一郎・ロバート キャンベル・飯野友幸亀山郁夫各氏との対談。対談なのでどうしても散漫になりがち。

 ケータイをどちらの手で持つかが(固定電話の影響で)世代によって異なるという事実は初めて知ったので驚きました。

 平野啓一郎との対談で名前の挙がっていたロシアのオリガ・スラヴニコワという作家、あるいはロバート・キャンベルによる『Jブンガク英語で出会い、日本語を味わう名作50』、ヴェリミール・フレーブニコフ(Велимир Хлебников)の物語詩「マリヤ・ヴェチョーラ(マリー・ヴェッツェラ/МАРИЯ ВЕЧОРА)」(未訳)あたりを読んでみたい。

 そしてイェイツ「イニスフリー」について書かれた須賀敦子『遠い朝の本たち』は必読。

 そして本文よりも読みごたえのあるのが「おわりに――「三・一一後」の世界文学を読むために」と題されたあとがきです。高橋源一郎の「恋する原発」に関して、「震災以前は保守的な文学観の持ち主から「顰蹙《ひんしゅく》」を買う程度のものであったのに対して、震災後に同じことをやればはるかに深い衝撃的な意味を持ち得る。これはどうしてなのだろうか?」という問いかけから起こされる一連の文章からは、現実によって(つまりほかならぬ読者によって)作品が異化する瞬間をまざまざと見せつけられます。

 池澤夏樹「桜の詩 二篇」「目を閉じて、/心しずかに、/想像してください――/この桜すべてが灰色だったら、と。」、ヴィスワヴァ・シンボルスカ「眺めとの別れ」「またやってきたからといって/春を恨んだりはしない/例年のように自分の義務を/果たしているからといって/春を責めたりはしない」(『終わりと始まり』より)。

 そして川上弘美『神様2011』は、デビュー作を「3・11以後」に改訂したものであり、それを受けて沼野氏が翻訳したムロージェク「原子力ムラの結婚式 2011バージョン」(『すばる』2011年12月号)。

 


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