『花と流れ星』道尾秀介(幻冬舎文庫)★★★★☆

 真備シリーズ第三作にして初の短篇集。ということらしいのですが、このシリーズを読むのは今回が初めて。「流れ星のつくり方」と「オディ&デコ」がよかったです。
 

「流れ星のつくり方」
 ――散歩がてらお茶を買いに行った凛は、民家の窓から少年に声をかけられた。「僕ね、警察官になりたいんだ。友だちのお父さんとお母さんを殺した奴を捕まえる」

 この話は「真相」の見当をつけるのがそれほど難しくはありません。怪奇現象も出てはこないのに、ジェントル・ゴースト・ストーリーのような味わいがあり、「推理」部分が邪魔にすら感じてしまいました。
 

「モルグ街の奇術」
 ――バーで出会った男は、フーディーニの曾孫だと名乗り、百円玉を消してみせる奇術を見せようと豪語した。かつて自分の右手を消したように……。

 前話も本篇も額縁の小説であり、どちらもそのことが「真相」に関わっています。奇術を応用したミステリは数多くありますが、こういう形で(外側の語り手ではなく額縁のなかの語り手の)語りに仕掛けをしたのは珍しいのではないでしょうか。
 

「オディ&デコ」
 ――カラスに食べられてしまった仔猫が、幽霊になって現れた……依頼人の少女はそう言ってケータイの動画を見せた。風邪をひいている真備に代わり、道尾が現場に赴くが……。

 個人的には「達也が嗤う」などよりも、こういうタイトルのほうが洒落っ気があると思うのですが。幽霊とは生きている人の心が存在させるとはよく言ったもので、小さな悪意という触媒が小さな罪悪感を大きくさせたようです。
 

「箱の中の隼」
 ――真備霊探求所を訪れた美人は、真備に宗教法人の見学を依頼した。コーヒーは苦手だ、と言いながらコーヒーを口にするのをいぶかしく思いながらも、真備に代わり暇だった道尾が教団に赴く。

 道尾は完全に掌の上のお猿さん状態です。奇術にしてもミステリにしても、視点を変えれば謎と見えたものが実は謎でも何でもなかったりするわけですが、本篇などはその典型だと思います。
 

「花と氷」
 ――自分が目を離した隙に棚の下敷きになった孫娘……発明家の老人は、孫と同じ年頃の子どもたちを集めて『おたのしみ会』の開催を呼びかける……。

 銃殺刑をめぐる「犯人」側の理論と真備側の理論の違いが印象的な作品でした。きれいごとでごまかそうとする犯人と、心から当人の気持になって考える真備が対照的です。

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