『皇帝のかぎ煙草入れ 新訳版』ジョン・ディクスン・カー/駒月雅子訳(創元推理文庫)★★★★☆

 『The Emperor's Snuff-Box』John Dickson Carr,1942年。

 新訳を機に再読。といってもすっかり忘れていたので初読のようなもの。

 フランスの避暑地に暮らす若い女性イヴは、婚約者トビイの父サー・モーリス殺害の容疑をかけられる。犯行時には現場に面した自宅の寝室にいた彼女だが、そこに前夫が忍びこんでいたせいで無実を主張できない。完璧な状況証拠も加わって、イヴは絶体絶命の窮地に追いこまれる──。「このトリックには、さすがのわたしも脱帽する」と女王クリスティを驚嘆させた不朽の傑作長編。(カバー裏あらすじより)

 さすがにこんなにあからさまに珍しさを強調されると、かぎ煙草入れがミスディレクションだ、ということに気づいてしまいました。でも実はそこにもう一つミスディレクションがあるんですよね。創元版の旧カバーは、イラストが誤誘導に一役買ってましたね。(※イヴはナポレオンの彫刻が施された置物を「皇帝のかぎ煙草入れ」だと誤認した――というミスリードかと思わせておいて、イヴはかぎ煙草入れ自体を目撃していなかった、目撃したという話を聞いただけだった――というのが真相でした。こうした二重のミスディレクションに加え、「見たわ、わたしたち」という強烈にしてさりげない一言はまさに呪文です。ミスリードを見抜いた、と思った瞬間、読者は作者がかけた魔法にからめ取られてしまっているわけで。

 殺害現場に足を踏み入れていないイヴの服にかぎ煙草入れの破片がついていた――という魅力的な不可能事も、犯人が誰であるのかを明らかにしてしまう可能性と表裏一体です。破片がつくのはあのときしかない以上、普通に考えれば犯人はあの人以外にはあり得ません。

 ところがそこに犯行目撃時刻によるアリバイや、茶色の手袋の人間の存在などが加わり、それらが相互に矛盾し合っているため、直感的に真相がひらめいても、理詰めで考えると手詰まりになってしまうところが、この作品の魅力です。

 読者というものがいかに「暗示にかかりやすい」かがほんとうによくわかりました。

 それにしてもトビイの気持ち悪さがひどい。本人が言っているとおり男運が悪い人です。

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