『ce qui vient des profondeurs: anthologie de la science-fiction française 1965-1970』Gérard Klein&Jacques Goimard編(seghers)

 ジェラール・クランによるフランスSFアンソロジー第3弾。60年代後半編。

「Avis aux directeurs de jardins zoologiques」Gérard Klein(動物園園長への忠告,ジェラール・クラン,1969)★★★★☆
 ――子どもが象に落花生をあげようとしていたので抱っこしてあげたところ、象がわたしにウィンクして、鼻の先で紙を手渡した。翌春、動物園には巨大なダンゴムシのような新しい動物が入れられていた。研究していた教授に話を聞こうとしたが、教授は「動物は話ができる」という言葉を残して姿を消していた。やがてわたしは夜中に動物園に忍び込み、地下に隠れていた「彼ら」を発見するが……。

 お馴染み編者のジェラール・クラン作品です。こうした人類への警告というのは、おしなべて語り手の正気が疑わしい幻想小説の形を取るものですが、本篇ではダンゴムシが宇宙人である可能性を示唆することでSFの体裁も残されていました。
 

「La Nourriture Spirituelle」Roland Topor(心の糧,ローラン・トポール,1967)★★★☆☆
 ――その白痴は施設の部屋を抜け出し、図書館で本を読んでいた。タイトルを見た職員はいぶかった。『純粋理性批判』。本当に読んでいるのだろうか? それとも紙をめくるのが楽しいだけなのか?

 「心の糧」の邦訳あり。トポールなのでユーモア作品です。内容はまあ駄洒落で、実際に糧にしている生命体がいましたとさ、という話です。
 

「Charles Reboisé-Cloison accuse」Gébé(シャルル・ルボワーゼ=クロワゾンの告発,ジェベ,1973)★★★☆☆
 ――編集長諸君。重大な秘密をお伝えするので我が家に来てくれ。敵が邪魔をするだろうからくれぐれも用心するように。私は科学技術を人間の頭で追ってみることに成功した……。話の最中に手榴弾が投げ込まれたが、機械の仕組みを頭で追ってゴミ箱に捨ててしまった。ナイフのような単純な武器でなければ、私には通用しない――。

 これはSFというより、『フランス・ユーモア文学傑作選』に載っていそうな諷刺コントのような作品でした。事実『Hara-Kiri』という諷刺新聞が初出。
 

「Magasin central」André Ruellan(中央デパート,アンドレルーラン,1966)★★★☆☆
 ――女の子たちが入り口で待ち受けている。裕福な客と貧乏な客に選別される。売り場の主任は裕福な客を出迎え、ガラクタの山へと案内する。

 これも上記ジェベの作品と同様の諷刺コントです。たとえば『見えない都市』あたりの幻想小説といえないこともないのですが、先日読んだ19〜20初頭のユーモア作家ガブリエル・ド・ロートレックの作品集のなかにも、この手の諷刺コントはいくつか収録されており、こと「SF以後」とは無関係のフランス文学の伝統の一つなのではないかと思います。
 

「Apocalypse」François Cavanna(アポカリプス,フランソワ・カヴァナ,1961)★★★☆☆
 ――謎の天体が冥王星を飲み込み、地球に向かっていた。BS爆弾も飲み込まれてしまった。そのとき、頭のなかに直接声が聞こえた。それはお腹を空かせた星の声だった。宇宙飛行士は酒を振る舞ってみたが……。

 これも諷刺新聞『Hara-Kiri』に掲載された作品。本書収録の諷刺作品3作のなかでは一番SFっぽく、また一番ばかばかしいホラ話でした。
 

「Ce qui vient des profondeurs」Daniel Drode(地の底より来りしもの,ダニエル・ドロッド,1967)★★★★☆
 ――Desroches医師は核実験がおこなわれた場所で採取された海藻を口に入れてみた。やがて幻覚が襲って来た。ところが――実際に恐竜が海から現れたのだ。恐竜は別荘を襲って海に帰って行った。幻覚が実体化したのかどうかを確かめるため、ふたたび海藻を採ると――今度は巨大なロボットが海上に現れた。そして三度目、Desrochesは人工島に自分が殺される幻覚を見た……。

 前集に「La rose des énervents」が収録されていたダニエル・ドロッド。今回はドラッグSFか――と思いながら読み進めたところ、恐竜が現れたので興奮してしまいました。ゴジラ対メカゴジラとでもいうべき場面や、要塞都市からの攻撃のような場面もあり、実験的な小説を書いていた人と同一人物とは思えない作品でした。
 

「La Chambre n° 22.731.412」Roger Blondel(22731412号室,ロジェ・ブロンデル,1969)★★★★☆
 ――Bradferは乱闘に巻き込まれて崖から落ち、平たい乗り物に乗って移動していた。危険を感じて拳銃を取り出そうとしたが、財布がない。「あいつが泥棒だ!」同乗者が指さした――。Bradferは階段を上り、歩き、上り、歩き、Angelicaの部屋を目指していた。会ったことはない。ポケットに写真が入っている理由は覚えていない。声を知っているのは電話で話したことがあるからだろうか。今が何時なのかはわからないが、遅刻してしまうのは間違いない――。

 ロジェ・ブロンデルはSF作家・普通小説家・ジャーナリスト。本篇は夢のようなというか夢そのものというか、不条理感たっぷりのファンタジーです。ランダムに部屋番号のつけられたホテルで会ったこともない女のために22731412号室をさがすという、考えただけで頭が痛くなりそうな労多くして功(少)なし。
 

「Le Fabricant d'événements inéluctables」Jérome Sériel(確定した出来事の製造者,ジェローム・セリエル,1965)★★★★☆
 ――その店の老人は、確定した出来事の製造者だった。子どものころに本を覗いたことを覚えている。「L・S・アルマンは湖のそばで掘り出した木靴を燃やした」「形態学Hに属する人物がその夜バスに乗り遅れた」。町は囁きと轟きであふれていた。リチャードソンが火星に到着するのは何時なのだろうか……。

 ジェローム・セリエルは『Le Sub-espace』でジュール・ヴェルヌ賞を受賞したSF作家で、NASAのために働いたこともある情報科学の専門家です。本篇は「不思議なお店」と「宇宙への憧れ」という二つのテーマを扱った、ブラッドベリを思わせるファンタジーです。
 

「Tentative de visite à une base étrangère」Raphaël Pividal(奇妙な基地への訪問希望,ラファエル・ピヴィダル,1970)★★★☆☆
 ――ジョンや司祭たちが基地に入ってゆくと、技師大佐が現れた。彼らは見学に来たのだ。これは戦争ではなく学校だ、と大佐は言う。機械が動く心配はない。我々は偽りの逃亡生活を送っている。生まれ故郷を知らない。アメリカで生まれさえしなかった。父はすでにここの住人だった。自室で本を読むことすらできない。Nomaが近づいて来た。「どこで愛し合える?」「あそこだ」と大佐はあばら屋を指さした。「愛には限界がある」。病んだ人々は棺桶屋に行く。順番が来ると棺桶に横たわる。死ぬと蓋を閉めて運んでゆく。有効利用できないのは塵だけだ。文章はすべて1と0だけで書かれる。やがて船に乗ったジョンたちは、島に辿りついた……。

 本業は哲学と社会学者のようです。タイトルに「奇妙」とあるとおり、架空の都市(基地)の奇異な風習やしきたりを描いたたぐいの作品です。敵がばらばらに逃げるので、下手な射撃手も混ぜておいた方が弾は当たる、というルイス・キャロルチェスタトンのような言い分が可笑しい。
 

「Wilovyi」Daniel Walther(WILOVYI《ウィ・ラヴ・ユィー》,ダニエル・ヴァルテ,1968)★★★★☆
 ――空飛ぶ円盤がやって来た。人類は争いを止めなかった。ただし戦争によってではなく。「MAKE LOVE NOT WAR」「WE LOVE YOU! WILOVYI!」愛を叫ぶ人々は公園に集まり、そこはエデンの園と呼ばれた……。

 ユートピアディストピア小説ということになるでしょうか。平和主義や友愛主義のパロディ。
 

「Journal d'une jeune fille du XXVe siècle」Alain Dorémieux(25世紀の少女の日記,アラン・ドレミュー,1967)★★★★☆
 ――親愛なる日記さん、今朝、目が覚めると透明な壁ができていた。私は女らしい服を着て、化粧をした。両親の前に出て、結婚適齢期の儀式をした。十六歳になると女は自由市民になって生きたいように生きる権利を持つ。いとこのJunioが好きだったけど、伝えてはいない。私みたいな子どもに目を向けてくれるわけがないから。Junioの友人たちから祝福を受けた。「Lorna、新惑星の女王!」。友人の一人Joaoの家に連れて行かれて成人を祝った。部屋には地球の女代わりのvanaという動物がいた。私には理解できない。翌朝交尾をしているのを見て気分が悪かった。昔は男女が同じことをしていたという。これで通過儀礼は終わった。日記さんを記さなくては。Junioが私を貫いた。痛かったが味わったことのない感覚だった。だがやがてJunioは逮捕され、「切断」を施されてしまう。

 アラン・ドレミューの作品には「L'Habitant des étoiles」に続いて、思春期の少女が登場します。生殖行為がおこなわれなくなった未来で、少女が経験する通過儀礼と、愛もとい性行為への目覚め。ジェンダーや性や異文化の問題といったSFらしい主題が取り扱われています。
 

「L'Hosite」Serge Nigon(聖体パン,セルジュ・ニゴン,1969)★★★★☆
 ――教会で修道院長が若き修道僧トマに言った。「おまえは異端の罪で告発されている。奥さんが告白したのだ。罰としてロケットで発射される」。トマとエディトは結婚して三年になる。二人は音楽の声に合わせてセックスをする。尋問。トマは見知らぬ娘Josianeに誘惑されていた。「また会えたね」「オルガムスを求めに来たのね」……それを知ってなじるエディト。尋問。修道院長「未来には新しい人類になる」日曜日には誰もが教会を訪れる。オルガムスを求めて。儀式。後日。トマは火をつけた……。

 未来の宗教とセックス。
 

「La Course de l'oiseau Boum-boum」Michel Demuth(ブンブン鳥の走行,ミシェル・ドミュート,1967)★★★★☆
 ――ブンブン鳥は全長12メートルの巨大な鳥である。初めてMiage星を訪れた者は駝鳥かと思うかもしれないが、地上の鳥との共通点はわずかしかない。目は八つある。翼はない。山を越えて砂漠に巣くう。Kellus Bergは鳥類学者だ。転勤を繰り返した。Miage星。外から「ブンブン」という音が聞こえてきた。ブンブン鳥がこの星の天敵だ。ラジオに反応しているらしい。音楽によって静かにもなれば暴れもする……。

 ミシェル・デミュートは第一集「Yerkovの帰還」、第二集「夏の人」に続いての収録です。こういう「先人の遺した謎の存在」というのに私は弱い。モンスターとの戦いのように思われたものが、異文化・異種族との(間接的な)コミュニケーションのようなところに着地するあたりは、面白かった。三作選ばれるだけあって安定した実力の持ち主です。
 

「Comme un oiseau blessé」Gilbert Michel(傷ついた鳥のように,ジルベール・ミシェル,1970)★★★☆☆
 ――彼は永遠の時間のなかを落ちていた。傷ついた鳥のように。叫びをあげていると言う者たちもいたが、彼を知っている者たちはそれを認めなかった。美しい自殺の準備をした。耽美主義者の若者たちは新しい情熱を見つけた。自殺。

 タイトルから内容から耽美な終末SF。
 

「La Réserve」Jean-Pierre Andrevon(保護区,ジャン=ピエール・アンドルヴォン,1968)★★★☆☆
 ――幼いPhilsがKitti Prittiの胸にしがみついていた。乳は少ししか出ない。この先どうやって食べさせていこう。罠を仕掛けたが獲物は捕まらない。Vanloussは侵入していた。矢を打つ。Etres-pas-pareilesのいる断崖の洞窟に行って帰ってきた者はいない。まずい。Kitti Prittiは走った。追いつかれる。もう戻れない。もうPhilsに会えないのだ。Vanlouss夫妻はガラスケースのなかの金髪の生き物を見ていた。

 もはやお馴染みとなった核戦争もの。漫画版『ナウシカ』を先取りしているようでもある真相が印象的です。もちろんそれは結果的に見た感想であって、読んでいるあいだは、仲間もなく独り我が子を生かそうとする母親の愛情とサスペンスにあふれた一篇でした。
 

「Années-lumières」「Les enfants de la lune」Guy Béart(光に満ちた時代/月の子どもたち,ギ・ベアル,1976)★★★★☆
 ――月にいる子どもたちが/地球を眺め、夢見ている/あんなに遠くに人がいたなんて/……

 詩が二篇。どちらも終末感ただよう内容です。著者はシャンソン歌手で、この二篇もご本人が歌っています。

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