久しぶりに近藤史恵を読みました。そしてどうして読まずにいたのかを思い出しました。近藤史恵の描く、人の悪意の容赦なさが生理的に受けつけなかったからでした。
本書の内容は日常の謎に類するミステリなのですが、描かれる一部の人間の悪意がたいへんに気持ち悪いものなのです。北村薫「朧夜の底」や「夜の蝉」で描かれたような。
けれど本書には、それを補ってあまりある「モップの精」の建設的な考え方が披露されています。そのおかげで、嫌な後味になりかねない悪意があるにもかかわらず、読後感はすがすがしいものでした。
「わたし、自分が間違っていたとは思っていません(中略)わたしは自分が正しいと思っているし、あの人も自分が正しいと思っている。(中略)服装なんて、わたしにとってはそれほど大事なことじゃないし、仕事の前にちょっと着替えて、それで他の人が嫌な気分にならなくてすむんだったら、そうしようと思ったんです」
「悪い芽」
――栗山の会社に、有能だと噂の部長が親会社から赴任することになった。ある日栗山は、部長が来てからシュレッダーのゴミが少なくなったことを、清掃員のキリコから聞かされた。
第一作目を知らなかったので、「名字はもちろんあるけど、まだ慣れてないの」という台詞を読んで、本当に妖精なのかと思ってしまいました(^_^; しかしこれ、社員も部長にくっついて来た、ということは、会社ぐるみで計画的ということなのでしょうか?
「鍵のない扉」
――くるみが務めている小さな編集プロダクションで、社長が猫の毛が原因の喘息の発作で死亡するという事件が起きた。掃除機の紙パックから通常ではあり得ないほどの猫の毛が出てきたことを、清掃員のキリコから聞かされて……。
真相発見のきっかけとなるのが、常識的すぎて盲点になっているある事実でした。言われてみるとそれっぽい。「くるみ」という名前に対するくるみのコンプレックスと、それを打ち破るキリコの一言が明朗で、常識やイメージの怖さを感じもしました。
「オーバー・ザ・レインボウ」
――葵はモデルの卵だった。彼氏だったケンゾーが、二またをかけていたうえに、相手を妊娠させて結婚するという。さらにショックだったのは、葵の名を騙って結婚相手に嫌がらせをしている人間がいることだ。
普通の人間は、例えば卵を食べたくなったとき、鶏を飼うところからスタートしたりはしません。この話に登場するのは、目的と手段のあいだに損得勘定も何もない人でした。それ以上に恐ろしいのが、プロバビリティの誘惑に引かれてしまったせいでおこなったある行為です。魔が差すとはまさにこういう瞬間を言うのでしょう。本篇における解決のきっかけも「鍵のない扉」同様、当たり前だと思っている人間にはなかなか気づけない事実でした。
「きみに会いたいと思うこと」
――キリコが家を出た。といっても家出や別居というわけではない。旅行に行くだけだ。一か月も――。大介は、キリコはもしかして戻ってこないのではないかという思いに襲われた。
これまで三篇に出てくるのはそれぞれの職場の人間とキリコでしたが、本篇では夫から見たキリコが描かれています。キリコ出立の理由とキリコの現在地を推理推測する――という意味では初めからもっともミステリらしい内容でした。罪悪感にまみれたフィルターかかりまくりの語り手のおかげで、真相は雲に覆われ、予想もできない事実に驚けました。
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