『ミステリマガジン』2014年10月号No.704【藤田宜永責任編集】

「迷宮解体新書(80)藤田宜永」村上貴史

「奇妙なファリッド」(再録)藤田宜永
 ――パリの露天商がピアノ弾きの日本人青年に持ちかけたヤバイ話とは?(惹句より)

「70s「若き狼」80s「ネオ・ポラール藤田宜永、リュク・ドゥラノワ対談」(再録)

「墓場にて(前編)」レオ・マレ/竹若理衣訳(Solution au cimetière,Léo Malet,1946)★★★★☆
 ――その女はベティって呼ばれていた。アメリカ人だった旦那がゼロのたくさんついた預金通帳を残して天国に行ってしまった。俺がベティと知り合えたのは、その預金通帳のおかげだった。ポール・セルヴィエールというジゴロに手を焼いていたベティの依頼で、俺は奴をぼこぼこにしてやった。それから二年「すぐに来て」という手紙が届いた。

 ジゴロにまとわりつかれる女の依頼人、数年後に舞い込む謎めいた再会の手紙、タフを気取ったへらず口、呼ばれて来てみれば死体となっている事件関係者……と、絵に描いたようなハードボイルドです。殴られたジゴロが感謝の手紙をよこし、人が変わったと故郷の人間も口を揃えて証言する、その意味は何なのか――という謎は次回。
 

「年寄りだって燃え朽ちる」デイヴィッド・グディス/高橋知子(Never Too Old To Burn,David Goodis,1946)★★★☆☆
 ――おれは年寄りだが、すんなりとは死ななかった。高熱の蒸気に襲われて身もだえし、カブト虫さながらに身をよじらせている。実のところ、あそこで燻っていたのはおれじゃなかった。だがそれを知っているのはこの世でおれだけだ。あれは老いぼれのアンディだった。しかし警察の記録にはおれバディ・スローンだと記されている。おれたちは溶鉱炉で働く老人だった。

 オチはありきたりですが、残酷な殺害方法と「カブト虫さながらに身をよじらせている」というイヤ〜な譬喩が印象的です。
 

「激論! ハメット派VS.チャンドラー派 裏切りを許すことこそハードボイルドの真髄だ」(再録)逢坂剛×笠井潔×藤田宜永
 チャンドラーの文体が「自己憐憫、自己韜晦、諦念」だとする船戸与一氏の言葉と、とそれを受けての笠井氏の「むしろ日本的チャンドラー受容を問題にしなければ」という言葉。原リョウ作品の沢崎について「暇さえあれば気の利いた台詞を考えているように見える」という笠井氏。「俺は本格物の矢吹駆にはそれがあるんですよ。(中略)それを知っているから、ああいうふうに書かれると、何やら私立探偵が、道具として使われているだけなのかなと反発しちゃうわけ」と矢吹シリーズと飛鳥井シリーズに注文をつける藤田氏。

「赤い風」(再録)レイモンド・チャンドラー/加賀山卓郎訳(Red Wind,Raymond Chandler,1938)
 ――その夜、酒場でくつろぐ私立探偵マーロウの目前で拳銃が火を噴いた。(袖惹句より)
 

「追悼東江一紀
 

「第4回アガサ・クリスティー賞選評」『傀儡呪(しだれ桜恋心中)』
 

「書評など」
上田早夕里『妖怪探偵・百目1』は、タイトルから受けるイメージだと最近多いラノベ/コージー妖怪ものっぽいけれど、著者が上田早夕里なので果たしてどうなのか気になります。ほかにカレン・ラッセル『狼少女たちの聖ルーシー寮』、ケリー・リンク『プリティ・モンスターズ』、逢坂剛『わたしのミステリー』。新保教授の復刊レビューはカー『三つの棺 新訳版』
 

「オリジナル版「花婿失踪事件」」テレンス・ファハティ/日暮雅通(A Case of Identity,Terence Faherty,2014)
 ――「確かに言えるのはね、ワトスン。『事実は小説より奇なり』ということさ」ホームズの言葉どおり、依頼人はホームズと同じくらい背が高く、しかも幅は彼よりはるかに大きい女性だった。行方不明になったフィアンセを探してほしいという。

 オリジナルがツッコミどころのある作品なので、その別解となっています。ワトスンはどうして真相ではなく自分の間違い推理を採用したのだろうと考えてみると、そっちの方が「奇」だからなのでしょうね……。
 

  


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