『大坪砂男全集2 天狗』日下三蔵編(創元推理文庫)★★★★★

 第二巻は奇想&時代篇。

「天狗」(1948,1950)★★★★★
 ――黄昏の町はずれで行き逢う女は喬子に違いない。蕎麦が悪かった。それで腹痛がおこってしまった。厠牀の板戸を排するに及んで俄然! 喬子の洋褌を着了した刹那に咫尺した。「まあ! 失礼な!」喬子の生命は奪われるべく、その下肢は白日の下に曝されるべきというのが唯一の答案であった。

 動機といいトリックといい文体といい冗談か狂気としか思えないところがすごい。同じ題材を用いてギャグに逃げずに書ける作家がほかにいるとも思えません。
 

「盲妹《もんまい》」(1950)★★★★☆
 ――「伊良子!」わたしは亡き妻の幻を見たのだろうか? 隣には親友の栗木もいる。何のことはない、栗木が新妻と立っていたのです。ユミーは盲目でした。そよりとした様子まで伊良子と似ています。

 コンプレックスと恋にまつわるシラノ・ド・ベルジュラックの変奏曲。嘘をついている後ろめたさ、に加えて、由美子が盲目なのをいいことに自分は由美子を「盲妹」扱いしているのでないか――というさらなる後ろめたさが加わることで、コンプレックスとやましさの両方からがんじがらめになる点が優れています。
 

「虚影」(1951)★★★★☆
 ――ひょっこり彼が現れるのは何年もないことだった。「トシ子が危ないんでね」いきなり彼の細君の名が出てきた。「流産の後が悪化してしまってね。僕ら二人はトシ子をめぐる無言のライバルだった。君にトシ子のことで聞きたいことがあるんだ」

 ずっと見つめていたがゆえに、知っていた。そんな相手などいなかったことを。語り手はこれまでずっと妻を裏切っていたのだし、やっていることも変態でしかないのだけれど、真相の切れ味と「復讐」という目的ゆえに間然するところがありません。
 

「花束《ブーケ》」(1951)★★★★★
 ――戦地から戻って印を残したきり消えてしまった初恋の人を探し出してほしい。遠山登紀子と名乗る女性に依頼を受け、僕は手塚哲夫の足取りを追った。

 手がかりを追って巡り会う、戦後を生き抜くキャラクターたちが個性的で面白い。尋ね人はなぜアプレゲールたちの間を渡り歩いているのか? 無頼の徒たちも前線から見れば所詮はおままごとのようです。文脈によって受け取る意味が変化するきっかけの一言は、それだけでもミステリが一篇書けそうです。
 

「髯の美について」(1951)★★★★☆
 ――彫刻家天童が大理石の裸女に圧殺されたのは、全くの過失である。だがわたしはそれを殺意のない殺人だと考えている。唯一の物的証拠はアゴヒゲだ。

 ドン・ファン伝説を髣髴とさせる死に様を見せた彫刻家の、アゴヒゲをめぐる滑稽な悲恋――と見せた、文字通り髯に隠された真実が明らかになる、フィニッシング・ストロークが見事です。
 

「桐の木」(1951)★★★☆☆
 ――新太郎は三千子に恋をしていたのだが、鎌倉高校の教職への誘いを、あまりに幸運すぎるがゆえに、言葉尻を濁してしまった。炯眼の叔母はそこを見抜いて忠告を与えてくれた。そうして新太郎は北鎌倉に着いたのである。

 登場人物が口にする「その嘘ほんと?」という台詞、てっきり赤塚不二夫のギャグかと思っていたのですが、もっと昔の流行語か何かだったのでしょうか。
 

「雨男・雪女」(1951)★★★★☆
 ――まだまだ雨は降り止まない。列車の前の席にいる黄色い顔の老人は、雨男に違いない。二月の旅行のときは雪女に会った。「死んだのかしら」「突いてみようか」わたしは背骨の脇をチクリと刺され、恐怖の悪寒に目が覚めた。

 魅力的なタイトル、溶け合う夢と現、連なる現在と過去……幻想とも妄想ともつかない出来事のなかから現れた一本の針が、紛れもない現実の架け橋として夢や時間を繋いでおり、かなり怖いはずの話なのですが、怖さよりも眩暈や陶酔を感じてしまいます。
 

「閑雅な殺人」(1951)★★★★★
 ――母親どうしが姉妹で家も近かったから、Aと待子は兄妹のように仲が良かった。或いはもう、行く行くは一緒にさせる下話が出来ていたのかもしれない。ところが学徒出征を強制されているうちに、待子に結婚の話が寄せられていた。

 プロバビリティの殺人――ではないところがミソです。むしろ蓋然性から言えば、ほぼ100%あり得ないでしょう。しかしそれゆえに、表には出したくても出せない、殺意とまでは行かない衝動を、こういう形でしか表現できなかったのだ、というのがよくわかります。そしてそれを「閑雅な殺人」と名づけるセンスが素晴らしいとしか言いようがありません。
 

「逃避行」(1953)★★★☆☆
 ――わたしは男を捜さなくてはなりませんでした。誰かしら、わたしのために身を捧げてくれる男性をひとり。そしてわたしは四つ辻で客を待っている似顔絵描きの青年を誘惑したのです。

 本書収録の「虚影」にも似た末期《まつご》の復讐譚。
 

「三ツ辻を振返るな」(1954)★★★★☆
 ――おツネ婆アが死んだ。小金を溜めこんでいたに違いないとあっては、村中の人々が縁故ありげに集ってきた。発見者の茂一は線香の束を三ツ辻に立ててくる仕事を押しつけられた。

 怪談にミステリ的な合理的説明を加えたショート・ショート。湯灌や線香立てといった地方の風習が怪奇ムードを盛り上げています。
 

「白い文化住宅(1955)★★★★☆
 ――仁科達郎は自分の家の前で立ち止まった。勝手口の扉が音もなく開いて、亜子をとりまく男友達の一人が足早に立ち去って行った。達郎が家に入ると、シアン化合物を飲んで自死している亜子の姿があった。

 女の死をめぐって観念論を戦わせる恋敵たちというだけでもただでさえキモチノワルイのに、それがコキュの妄想であったのだと知るにいたっては……哀れ――いや惨めとしか言いようがありません。
 

「細川あや夫人の手記」(1956)★★★☆☆
 ――ツルさんは唐代子に言うのだった。「カマルに誘われても絶対に子供たちだけで森に入ってはいけません。裏屋敷にも行かないようにしましょうね。それから、お人形をくださったあの方を、お母様《アヤーメ》と呼んで下さいますか」

 沖縄が舞台となっていて、大坪砂男にしては比較的ゆるやかでおとなしい文章が印象的でした。
 

「ものぐさ物語」(1948)★★★☆☆
 ――張さんが立って歩く姿は見たことがない。寝るほど楽はないと、思索を極めこんだ不孝者だ。あるとき井戸の瓦斯を入れた袋に団子をぶつけると火が出ることに気づいて、火器を思いついた。

 ここから時代篇。といってもこの「ものぐさ物語」はいつどことも知れない世界が舞台の頓知噺です。
 

「真珠橋」(1949)★★★☆☆
 ――今度流されたらお奉行様も切腹ものだ。今度は人柱を立てないそうだ。そんな莫迦なことが……と、美女がうつろな眼差で工事場を見入り、「七色の元結をした女、その女を人柱に立てさえすれば決して橋は流されません」と独白して逃げ去る。

 男も女もまるで操られたように、物語の役割を演じているようです。
 

密偵の顔」(1949)★★★☆☆
 ――猪に弓を引いてしまった。佐助が駆け寄ると、男は言った。「手紙を届けてくれ」。早くおきんに会いたいと思いながらも、佐助は術にかけられ岐阜に向かうのだった。

 猿飛佐助と霧隠才蔵・異聞。
 

「武姫伝」(1949)★★★★☆
 ――王靖安の本を調べてみたのだが、いずれも彼こそ智勇兼備の軍人・情理にかなった温厚の長者と誉めそやしている。ところが私の推理癖からすると、彼の行動には怪しい節が相当多い。

 有栖川有栖氏の言葉を借りれば「謎からしてねつ造」したタイプの作品です。単なる言い伝えの羅列かと思われた伝承の末に明らかにされる、それらすべてに筋を通す「真相」。島田荘司氏の歴史ミステリのような、事実なのかどうかなどは関係のない、謎解き作品として洗練された真相でした。
 

「河童寺」(1950)★★★☆☆
 ――「和尚さま。私……河童に化かされてしまいました……」娘は泣き伏した。河童祭の河童太夫の籤を当てた庄屋の若様が、河童面をつけて踊りの稽古をしているのを見て、娘もつい調子を合わせてしまった。

 この作品は著者の持ち味である「意外性」が「パターン」になってしまったようなところがあります。
 

霧隠才蔵(1950)★★★★☆
 ――この才蔵が木曾ノ飛猿といわれた佐助と出逢った因縁話を聞かせましょう。この物語の中には白瀬弥次郎という織田方の忍びが附纏っているのです。上杉殿の陣触で、隊長格の陣場武内という大男の前に、忍びが現れ青木来太郎への伝言を託した。

 上杉謙信を狙う刺客と、政争をめぐる各々の思惑がからむ、忍法帖。「密偵の顔」と同様の登場人物・事件が扱われています。飽くまで忍法帖なので、完全に合理的とは言えない現象も描かれているのですが、忍びの覚悟に関する挿話を枕に持って来ることで、それに対するエクスキューズが為されていました。
 

「春情狸噺」(1951)★★★☆☆―性教育に関する面白い講義をと言われましたもので、狸の八畳敷について推理小説風に解釈してみようと思います。元禄の頃、信濃の国千曲川の畔に、ホット狸という夫婦の狸が住んでおりました。

 全然推理小説的じゃない(笑)のはさておき、注文通り(?)の艶笑小咄となっております。注文というのが作中の設定なのか、本当に『宝石』誌の注文だったのかは不明。
 

「野武士出陣」(1952)★★★★☆
 ――陣場武内にとってこんな痛快な眺めはなかったろう。敗走する武田軍の醜態ぶりを見よ。武田信玄が催した奉納競馬で不覚にも落馬して浪人となって以来、苦節の二十年であった。喜びに浸るあまり兜首を挙げるのをすっかり忘れていた。

 「霧隠才蔵」にも登場した陣場武内が主役で登場。「武士道」の世界が舞台だと、大坪砂男特有の極論じみた奇抜な論理が生きてきます。日影二郎の潔い死に様にしても、それすら利用する陣場の執着にしても、「天狗」のようにはぶっとんで感じません。
 

「驢馬修行」(1953)★★★☆☆
 ――酒仙第一号たる長白丹、その仙術の妙は肉体軟化による遠心運動にあるゆえ、精神一到とか一心不乱が必要な将棋には向かず、呂少年に負けて約束通り驢馬となって働くこととなった。

 本書収録のエッセイ「天狗縁起」によれば、「「杜子春」に憧れて」とありますが、そんな「杜子春」めいた志怪譚。
 

「硬骨に罪あり」(1954)★★★☆☆
 ――沈の家には昔から将棋ぐるいの血筋があって、長官が寵用して下さろうと仰言るのに、兄は御希望なら将棋を一番お相手しましょうかと言う始末。妹が鉄拐仙人と酒仙長白丹に相談したところ……。

 上記「驢馬修行」と同じく雑誌『将棋世界』に掲載された将棋ものの仙人譚。
 

「天狗(初稿版)」(1948)

「変化の顔(「密偵の顔」異稿版)」(1949,1960)

「天狗縁起」(1949)

「序――都筑道夫『魔海風雲録』」(1954)

「大坪君の『天狗』について」江戸川乱歩(1948)

 乱歩は「逆説的なファンタジイと合理主義とを結びつけて一つの世界を描く名手」として、チェスタトンのほかカー「怪奇事件局」(『不可能犯罪捜査課』?)を挙げています。目のつけどころが乱歩的というか、大坪砂男の魅力とはちょっとずれているような気もしますが……。
 

「「天狗」頌」中井英夫/「忘却・空白・愛憎」松山俊太郎/「「天狗」のとき」和田徳子(1972)

 旧全集月報のエッセイ。和田徳子氏は大坪氏の奥さん。「天狗」解題に「よほどこの喬子という女が、作者は憎かったのに違いない」という島田荘司氏の言葉が引用されていますし、大坪自身による「天狗縁起」にもその辺りの口論のことはちょこっと触れられていますが、その辺の事情が妻の口から綴られています。
 

「解説――大坪砂男ノート」都筑道夫(1972)

 旧全集第二巻解説。
 

「砂おとこ眠る」都筑道夫(1965)

「「宝石」と大坪砂男と『天狗』――インタビュー」都筑道夫(1985)

サンドマンは生きている」都筑道夫(1993)

 以上都筑道夫による大坪関連の文章がまとめられています。重複も多い。インタビュアーは瀬戸川猛資とのこと。「シャーロック・ホームズになりたかったので」警視庁につとめたとか、父親の財産を相続してお洒落な恰好で警視庁づとめをしていたとか、どこまで本当かわかりませんが、実人生もユニークな人だったようです。

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